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奥田さんからの旅の報告

第6回の大間原発の裁判を傍聴した滋賀県彦根市の奥田さんから、旅の報告がきました。
以下、奥田さんの文章です。

「函館・大間を旅して」

 

滋賀県彦根市  奥田好香

 

私の今回の旅の目的は、大間原発の原告になったのをきっかけに、函館での裁判を傍聴することと、

原発立地の本州最北端の青森県大間町で、最後まで建設予定地を売らずに原発建設に反対された

熊谷あさ子さんの家「あさこはうす」へ行くこと。

ドキュメンタリー映画「空想の森」の主人公だった山田圭介さんの北海道大沼にある山田農場へ行くことだった。

 

6月7日に函館入りをして裁判前日の弁護団会議に途中参加した。

会議室は緊張した面持ちで、明日の裁判で意見陳述をする訴訟の会代表・原告の竹田とし子さんと

元大間町議員の佐藤亮一さんのリハーサルをされていた。

そこに居る事が場違いな感じがして私自身が緊張した。

 

6月8日(金)午後2時より裁判開始。

その一時間前ぐらいに傍聴席の抽選があった。

函館に来る前に傍聴席が少ないので法廷に入れないかもと聞かされていた。

私は、幸いにも原告席で傍聴する事ができた。

現在、原告は400名弱、今日の裁判にも大阪や京都・東京からなど、全国から人が集まっていた。

 

今回の裁判は、裁判長や裁判官の交代のため、何故訴訟に至ったかを一から説明する。

初めて裁判を傍聴した私には、中野弁護士のこれまでの事をまとめたバワーポイントを使ったプレゼンテーションは、わかり易かった。

 

特に印象深かったのが、原発立地国で地震の多い所に原発が建っているのは日本だけだということだった。

諸外国では、地震の起こる危険性のない所に建設されている。

その事を今回初めて知った。

 

地震大国の日本での福島の原発事故は予測可能なものだったように思った。

現在建設中の大間原発は、世界でも初めてという燃料がウランとプルトニウムを混ぜたMOX燃料。

世界でも初めてという原発を、今まで原発を経営したことのない電源開発が運営すると。

大間原発が稼働し、万が一事故が起こったらどうなるのか想像するだけでも恐ろしかった。

 

竹田とし子さんと佐藤さんの意見陳述は心に響いた。

裁判は、テレビで見るような弁護士と検事とのやり取りもなく淡々としたものだった。

原告席は、狭い長椅子にぎゅうぎゅう詰で傍聴した。

時間は、あっという間に過ぎた。

 

翌日は教会で集会があり、その後、脱原発のパレードがあった。

両方に参加。

パレードは思った以上に参加人数が少なかった。

函館市民は、大間の事をどう思っているのだろうか。

函館から大間まで近い所は18㎞。

 

その後、30数年間原発建設に反対してきた熊谷あさ子さんの建てた「あさこはうす」へ行った。

あいにく、娘の小笠原厚子さんは不在のため、了解を得て周辺を見せていただいた。

 

「あさこはうす」へ行くには、電源開発の道路を使わないと行けず、見張り小屋がある所から自宅まで1キロあり、

道路の両サイドは鉄柵がめぐらせてあり異様な光景だった。

厚子さんと連絡を取り明日の午前中なら都合がいいとの事で、明日改めて「あさこはうす」へ行く事になった。

 

「あさこはうす」の土地は、一丁歩ある。

広大な土地の広さだった。

大間原発の炉心から200メートルの所に建ち、すぐ目の前に原発の建屋や大きな工事用のクレーンが見える。

そんな原発のすぐ近くに人が住んでいるのに原発を建ててもいいのだろうか?

ここで、あさ子さんが田畑を耕していたそうだ。

 

娘の厚子さんが母の意思を引き継いで、田畑を再現しょうとしている。

今も野菜や花が植えられていた。

いつか、今の林を開拓して、田畑を元の姿に復元し、ここに定住したいと。

 

原発が建設されるようになって、虫たちも減り大間の子ども達はバスで虫を見に出かけるようになったと。

いつか、この「あさこはうす」の土地に子ども達が遊びに来て、虫を捕まえたり自由に伸び伸びと遊んでほしいと。

また、丘になっている所を客席にし、イベントをしたいと厚子さんは夢を語ってくれた。

 

「あさこほうす」の土地には、ふきやわらび等の野草がいっぱいあり、木の茂みには小川が流れていた。

自然豊かで、目の前の原発さえなければ気持ちのいい場所だ。

すぐ目の前に大間原発が見えていて大きな鉄塔があるが、その電力は東京へ送られるそうだ。

「あさこはうす」には、電線がなく電気がきていない。

太陽光や風力発電などの自家発電。

 

大間の原発からどこの家も3キロ範囲内にある。

小高い丘から角度を変えてみても、どこからでも大間原発が見える。

原発事故が起これば、もう住めなくなるだろう。

「今なら、燃料棒が入っていないので止められる」と厚子さんは話していた。

 

大間町は人口6千人で、町の半数の人が漁業に携わっているのんびりした漁師町だ。

私は、海の幸が好きで、あわびやウニ・本マグロを連日美味しくいただいた。

今まで食べた事のない甘みがあり、生臭さもなく美味しかった。

値段も都会の函館に比べ格安だった。

 

私の住む滋賀県は、海なし県で琵琶湖では、川魚しか獲れない。

こんなに美味しいものが獲れる大間の海。

原発が完成(現在37.8%の進捗率)し、稼働するようになり、温排水を流すようになったら

こんなに美味しいものが食べられなくなってしまう。

 

建設中の今でも、昆布の収穫量が減っていると。

熊谷あさこさんは「自然と海を守っていけば将来どんな事があっても生活できるべ」と言って

土地の売却を拒否し続け、原発建設に反対した。

 

大間崎で出会った海産物を売っている地元の方と原発の話をする機会を持てた。

彼女は、たまたま以前、熊谷あさ子さんの家の近所に住んでいた。

福島の原発の事故が起こった時に「あさ子さんの言っていたとおり」だと思ったと。

 

原発建設には、反対だが、現地の人は、その事を大きな声で言えない事情がある。

原発を恐れていても、身内や知人が原発関係の仕事についているからだ。

ある人は、自分達は大間に住むが、若い娘や息子には、大間以外の安全な所に住ませたいと考えている。

 

今年の5月5日に日本の全原発が止まったが、暮らしは大きく変わらなかった。

原発は今まで消費電力の約3割を占めていたが、火力、水力、風力などで必要な電力はまかなえるのではないか?

 

昨年の福島原発の事故後、東電の管轄内では計画停電もあった。

電気を節約しょうと思えば、以前テレビで聞いた話だが、自動販売機を止めるだけでも随分電気の消費量が違うと。

コンビニがあっちこっちにある現在、その上自動販売機は不要だという意見だった。

何故、それが良いことと思われる事が実施されないのだろうか。

 

関西の大飯原発が再稼働しないとこの夏の消費ピーク時には計画停電も有り得ると。

それまで、再稼働を反対していた滋賀県嘉田知事や大阪市の橋下市長まで夏の電力のピーク時のために

「一時的な再稼働は、やむを得ない」と。

今までの意見が180度変わった。

節電のための全ての手を打たない前に電力が足りないと言えるのか。

原発に依存しない社会は、全国の原発が止まっている今しかチャンスがない」と思う。

 

多くの国民が原発への不信感を抱いているのに国会は、消費増税について多大な時間をさいている。

まるで福島での出来事や福島の苦しんでいる人々の事を忘れているかのように…。

国は、何が大事で何が大事でないのか、わからなくなっているのではないか。

 

福島の事故についても、東電も国も責任を取っていない。

福島の事故から学ぶものが、いっぱいあったのに、また、大飯原発を再稼働させて同じ過ちを繰り返そうとしているのか。

日本の未来は、どうなるのだろうか?

 

私は今年初めて、自宅の小さな畑で野菜作りを始めた。

野菜の成長が楽しみで、収穫したきゅうりやなすを塩のみで調理し食べている。

今まで口にした事のないぐらいみずみずしく、えぐみもなく美味しい。

自分が作っているので安心・安全な野菜である。

 

滋賀県も隣県が福井県で、原発銀座と言われる位日本で原発が一番多い。

福島の事故が起こるまで、原発の存在や危機感を意識していなかった。

福島の事故後は「明日は我が身」と思い、今の当たり前の生活がいつまで送れるのかと考えるようになった。

 

日本の未来は、どうなるのだろう?

あと数年して福島原発で被曝した人達が発病して「あの時、こうしていれば良かった」と思うのだろうか。

もう、今も人体に影響が出ているらしい。

 

生命あるもの全てを犠牲にしてまで守るべきものってなんだろう?

私達は、ごく普通の生活がしたいだけなのに。

今より、原発を増やす事は、絶対してはいけないと思う。

そのために自分ができる事をやって行くしかないと考えている。

 

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