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撮影報告 その166 明通寺・大飯原発・高浜原発

貴美子さんの家の台所から。
2012年11月28日。
朝から天気がよかった。
陽の光に照らされた上野の集落が美しかった。
朝食をいただき、9:30に出発。
今日は、明通寺、大飯原発、高浜原発の撮影。
国道27号線を小浜方面に向かった。
原発事故が起こった時に、道路が遮断されるゲートがある。
上野の集落から国道に出て間もなくのところにそのゲートがある。
ここだけでなく、大飯、高浜原発の撮影の道すがら、このような遮断機をいくつも見かけ、下をくぐった。
万が一の時は、車で逃げることはできないのだ。
ちょっと信じられないことなのだが、人間も車も放射性物質とみなされて、外に出さないということらしい。
ひどい話だ。
でも現実にそういうゲートがあるのだ。
若狭の人はみんなこのことを認識している。
喜美子さんの家には25年以上前からガイガーカウンターを設置している。
亡くなったお連れ合いが、京大で何年か核物理を研究していて、放射能にたいする知識があった。
お連れ合いの実家・若狭の上野に戻った時から、万が一に備えて設置したのだそうだ。
そして、車では逃げられないので、自転車を用意している。
リュックの中に現金や最低限の必要なものを詰めてあり、万が一に備えている。
そして避難ルートも風向きによっていくつか想定してある。
「それでも、いつもどこかに不安があり、シャワーで頭を洗っている時とかに、もし今ガイガーカウンターが鳴っていたら・・・と思うことが度々あるの。」
と喜美子さんは言う。
2011年3月11日の事故直後から、貴美子さんの家のガイガーカウンターは頻繁に鳴っていたそうだ。
設定数値を低くしていることもあるが、1年半以上たった今でも、雨上がりの翌日などは鳴るときがあるそうだ。
福島の放射能はここ若狭にも確実に飛んできていると実感する。
10:00 明通寺に到着。
朝の光の中のお寺は実に美しかった。
三重塔、本堂はもちろんだが、まだ昨日の雨に濡れていた植物たちがキラキラとしていた。
「今年はあまりもみじが赤くならなくてね。いつもはもっと赤くなってもっときれいなんですよ。」
と、通りかかった副住職さん(哲演さんの弟さん)が、話しかけてきてくれた。
とても感じのいい方だった。
この弟さんが、あちこち講演でかけまわっている哲演さんを支えているのだなあと感じた。
明通寺で3時間も撮影をした。
13:00 大飯原発に向かう。
大島半島。この先の方に大飯原発が立っている。
途中、横道に入って大島半島のロングを撮影。
青葉富士と青戸大橋

 

 

青戸大橋
そして大飯原発へ行くためにつくられた青戸大橋を色んな場所から撮影した。
青葉富士がきれいだった。

青戸大橋の上。
その青戸大橋を渡り、いくつものトンネルをくぐり、いくつかの小さな集落を通り過ぎ、大飯原発へ。
建売住宅が並んでいるような漁村もあった。
大飯原発入口
大飯原発の入り口には警備の人が数人いた。
そこは写真だけ撮った。
原発入り口からすぐのところに、集落と海水浴場があった。
どこか少しでも原発が見えるところはないかと車で探した。
右側が海。景色が見えない。
海沿いの景色のいいところなのに、なぜか景色をふさぐように生垣があった。
原発の建物が見えないようにしているのかなと思った。
キャンプ場からみた大飯原発の建物。
綺麗に整備されたオートキャンプ場(赤礁崎キャンプ場)から海を挟んで原発の建物が見えるところがあった。
大飯原発の建物。
管理人の人に断って、中に入らせてもらい撮影した。
大飯原発の建物
稼働しているので、原発敷地内では車が行きかっているところが見えた。
大飯原発の入口がら坂を下ったところの海岸。
そして海水浴場に移動。
大飯原発の入口がら坂を下ったところの集落。
後ろの山のふもとに原発が建っている。
脇の集落では、畑仕事に精をだす人たちがいた。
しばし夕暮れ前の海を眺めた。
きれいな海だった。
もうすぐ陽が暮れる。
高浜原発へ向かって急いで向かった。
高浜原発もいくつかのトンネルをくぐっていく。
高浜原発の建物が見えてきた。
高浜原発入口
高浜原発は道路からも見える。
高浜原発の入口のすぐのところにもゲートがあった。
入り口を通り越して、道の脇にあるパーキングから建物が見えるのでまず撮影。
パーキングからの高浜原発。
パーキングの脇の植え込みのところにあった看板。
パーキングのすぐ下の海では、何かやっていた。
きっと原発関係の作業の人だろう。
高浜原発。
そしてその先を行って、高浜原発の対岸の漁村から、3、4号機が正面によく見る。
そこから撮影。
いよいよ陽が落ちてきた。
夕焼けがとてもきれいだった。
釣り人がいたので話をした。
京都からご夫婦で釣りにきていた。
小さなバンの中を自分で改造して、布団をしいて寝られるようになっていた。
定年後、よくここに泊まりがけで夫婦で釣りに来るそうだ。
小さなアジをエサに、あおりいかをねらっている。
この日はまだ釣れていなかった。
「原発が止まってから釣れなくなったんですよ。海水温が低くなったからです。
この原発も再稼働されるでしょうね。もし事故があったら、私たち逃げ場ないですわ。ここへ来るまでの道は一本しかないし、がけ崩れがあれば終わりですわ。」
とご主人は言った。
夕焼けがきれいだった。
とっぷりと陽が暮れた。
撮影を終え、私は美浜の喜美子さん宅へ帰った。
お昼ご飯を食べ損ねたので、とてもお腹がすいていた。
夕食をガッツリ食べさせてもらった。
寺井勝治さんとヒサコさん
ひと心地ついた。
去年も遊びに行ったご近所の寺井勝治さんのお宅へ喜美子さんと伺う。
勝治さんは今年の2月に脳梗塞で倒れた。
数か月入院生活だったが、体に麻痺もなく元気になった。
といっても前と同じようにはいかないが、相変わらず頭脳明晰だった。
干し柿をご馳走になりながら、この集落の昔の話、原発のことなど話してくれた。
去年は豊作だったが、今年はあまりカキがならなかったそうだ。
「ところで、もうすぐ選挙だけど、わしは言いたいことがある。これを多くの人に伝えてもらえないか。」
と勝治さんは私に言った。
原発を推進してきた自民党議員たちが、今度の選挙でそのことを反省しているとか言っているが、何にも責任もとってないじゃないか。ちゃんと責任もとらんでまた選挙にでようなんておかしいじゃないか。
と勝治さんは言った。
勝治さんはもんじゅが出来るときも、何度も説明会に参加して危ないんじゃないかと言ってきた人だ。
「明日の午前中にでもビデオ持ってきますから、言いたいこと言いませんか。」
と私は勝治さんに言った。
そうしようとなったところで、奥さんのヒサコさんが、
「あそこもそこも、もんじゅや原発や関電に働いてる人かおるで。これから若い人に世話にならなきゃいけないのに、やめておき。」
ということで、勝治さんの話の撮影は実現できなかった。
古いかけじくや古文書を見せてもらったりして面白かった。
ちょっとのつもりが、11時近くまで話に花を咲かせた。
「また遊びにきておくれや。」
とヒサコさんは言った。
月明かりの中を喜美子さんの家まで二人で歩く。
空を見上げると満月のようだった。

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