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旅する映画 その96 2011年2月 伊勢・近江

2011年2月。営業とお礼参りを兼ね、伊勢~十津川村~高野山~彦根へとまわった。

伊勢・進富座。支配人は水野昌光さん。

あたたかい感じの方だった。

三重県の面白い場所や、この辺りのおいしいお店も教えてくれた。

水野さんの先々代が興した新富座。

この場所は、江戸時代から芝居小屋があったという。
新富座は3つスクリーンがある。

一番大きなスクリーンで「わたしの可愛い人シェリ」を観た。

昔は芝居小屋だったというだけあって、舞台があり、天井も高く、音もよくてとても贅沢な気分で映画をみた。

伊勢の駅前。

せっかく伊勢に来たのだから、伊勢神宮にも行ってみた。

外宮の入り口付近に市がたっていた。

牛乳屋さんがあったので飲んでみた。

山村乳業の山村さんが売り子で売っていた。

その場で牛乳を飲みながら話をしていたら、帯広に縁のある方だったのにはびっくり。

伊勢も昔は沢山の映画館があったそうだが今は新富座が唯一の映画館とのこと。

伊勢神宮は外宮と内宮があって、外宮からまわるものと観光マップに書いてあったので外宮から行ってみた。

神殿に行き着くまでは森林浴のようだった。天気もよかったので清々しい気分になる。

外宮もたくさんの人だったが、内宮はその倍以上の人だったのにはびっくりした。

内宮のにわとり。


この酒屋さんの中に立ち飲みがあり、お猪口で一杯飲んだ。おかげ横丁はすごい人でにぎわっていた。

「あかふく」には行列ができていた。

せんべやだんごや焼きかきや揚げ物を歩きながら食べている人が大勢いた。

熊野へ向かう。映画が出来る前に、熊野大社、玉置神社、高野山にお参りに行った。

映画が無事完成し、お礼参りに行かなくてはとずっと気になっていた。

今回一気にお礼参りをすることにした。

熊野大社は小雨。寒かった。人はほとんどいなかった。

私はゆっくりお礼を言えてよかった。

山と山の間に川が流れ、その斜面にへばりつくように集落が点在している十津川村。私が十津川に入る前日に雪が降った。

観光案内所の方が色々調べてくれ、玉置神社の宮司さんにも電話してくれた結果、今日は来ない方がいいということになった。

玉置神社は標高1000メートル以上の山の上にあり、今の時期はバスも通っていなく、道も細くてくねくねした山道。

傾斜のきついところや、陰になって雪が溶けないところもあるから危ないとのこと。

村で一軒あったレンタカーをやっている車屋さんに軽自動車を借りた。

一応冬タイヤを履いているが、四輪駆動ではない。この日はあきらめて、明日に行くことに。

幸いこの日は天気がよかったので雪もだいぶ溶けるはず。


なのでこの日は、十津川村役場に営業に出かけた。突然の訪問にも関わらず、

十津川村教育委員会の教育次長の更谷さんが対応してくれた。

北海道の新十津川町は、この奈良県の十津川村の人たちが開拓に入ったところで、現在も交流があるそうだ。

映画の概略、今までの上映の話をしながら、映画の上映の検討をお願いした。

翌日も快晴。玉置神社へ向かう。

思った以上に山道の傾斜はきつく、雪もけっこう残っていた。

途中すべって止まってしまいそうになりながらもようやく駐車場にたどりついた。ここから雪道を15分ほど歩く。

左へ行けば近道だが、私は鳥居をくぐり、右の道を行った。

やっとたどり着いた。この日は私一人しかお参りしてないと思う。

ゆっくりとお礼を言った。

社務所。ここで宮司さんたちは暮らしている。

玉置神社からの帰り道。

遠くに十津川の集落が見える。

ついでに果無集落へ行ってみた。

ここは、前に八尾木から十津川村までの小辺地を歩いた時にヘトヘトになってたどり着いたところ。

ここから十津川村までの長い下りの山道では膝が笑ってしまって大変だった。

標高差が1000メートル以上もある起伏のある熊野古道のコースだった。

その時の私にはここが桃源郷のように映った。

そして高野山へ行き、無事お礼参りを終えた。

彦根へ向かった。奥田さんが6月に上映会を計画してくれている。その会場の下見へ。

そして、3箇所ほどの近隣の町や市の教育委員会などに連れて行ってもらい営業。

奥田さんが前から行きたいと思っていた東近江市の「ファブリカ村」をいっしょに訪ねた

。私は近江は麻が有名ということを初めて知った。ここは北川織物工場だったところ。

麻織物の寝装具、服地、和装小物などをつくってきた。ここのだんなさんが亡くなり、

10年間工場はそのまま残されていたが、2年前に奥さんと娘さん二人が工場の中をリフォームしてartの展示・カフェ・ワークショップの場としてよみがえらせた。

織物工場だったことを随所に感じられ、そしてセンスがよく気持ちのいい空間だった。

工場時代は機械がびっしり並んでいたそうだ。床がコンクリート。

でも機械と機械の間の女工さんが立って作業をする床は木材だった。それを今も残していた。

工場は東西に長く建っていて、のこぎり屋根。その北側に明かり取りの窓がついている。

この窓からの差し込む太陽の光がいい。

ただ遊びに行っただけだったが、話の中から映画の話になり、長女の北川陽子さんが興味をもってくれたので色々話をした。

彼女は染色家でもあるが、今はこのファブリカ村をやることに夢中になっているそうだ。

ものづくりを大事にして、近江の文化や食をここから発進していきたいと。

その拠点をつくっていこうと奮闘していることがわかった。

キラキラとしていた。そしてここで上映会ができたらさぞかしいいだろうなあと私は思った。

亡くなっただんなさんが、これだけはとっておいてくれと言っていた織物の機械が置かれていた。

今でもメインテナンスをしていて時々動かしているという。

ペチカ。

このレンガを背に座っているとじんわりとした暖かさが実に気持ちが良かった。

彦根ではあっと言う間に時が過ぎ、営業とお礼参りの旅はおわった。

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