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撮影報告 その9 山北紀彦さん・恵理子さん・ラムヤート

2011年5月23日(月)

6:00起床。

まだ寝ぼけ眼の石川さんと内本さんと別れ、早朝の船に乗った。

かたつむりスピードのみんなとまた一緒になった。

リーダーのクロゴメさんと話をした。

彼は苫小牧で「オールド」というバーをやっている。

「空想の森」を店で上映してくれる気になっていた。

「まず、試写を見て映画を気に入ったらでいいからね」と私は言った。

 

函館に着いた。まだ朝の8時半。

こなひき小屋の親方が教えてくれた早朝から営業している「しんわの湯」に直行。

温泉に入り、少しゆっくりした。どっと体の疲れを感じた。

厚沢部の山北紀彦さんに電話してインタビュー撮影をお願いした。

今日これからオッケイということになった。

そして七飯のこなひき小屋に寄り、パンを買った。

おかみさんと親方に大マグロックのことを少し話す。

親方に山北さんの家への行き方を教えてもらい厚沢部に向かった。

この日は山北さんの家に泊めてもらうことになった。

 

山北さんはN’DANAのメンバーで太鼓たたき。

まだお互い20代の頃からの友人。

厚沢部の清和小学校の横に山北さんの家はあった。

小高い丘のてっぺんで、なんか気持ちのいい場所だった。

山北さん、奥さんの恵理子さん(エリー)とまず、今回の震災と原発事故についてひとしきり話をして情報交換などをした。

特に原発事故、そして高濃度の放射性物質が海や大気、土壌に流れ出ていることに、山北夫婦は恐怖を感じ、

どうしたらいいのか真剣に考えていた。ガイガーカウンターを買って毎日数値をはかり、記録していた。

私はガイガーカウンターを初めて見た。

私が見た中では0.08~0.15マイクロシーベルトの値を推移していた。

これは新聞などに発表される数値よりも高いそうだ。

山北さんは事故以来、家の使用電気を9割カットし、極力電気を使わない生活を始めた。

暗くなったらろうそくを灯す。

この生活になって、明るいうちに夕飯を食べ、暗くなったら自然に眠くなり早く寝るようになったそうだ。

 

山北さんの携帯が鳴った。かたつむりスピードのクロゴメさんからだった。

今からかたつむりスピードのメンバーたちが遊びに来るとのこと。びっくりした。

さっき船で別れたばかりだったのに。

彼らと私はよっぽど縁があるのだなあ。

 

まもなく彼らはやってきた。私は撮影を始めた。

「江差にじいちゃんの墓があるので墓参りしてきたんです。

それで山北さんの家に寄ろうってことになって。」とクロゴメさんは言った。

山北さんとかたつむりスピードはお互いの音楽のファンなようだ。

小一時間ほど話をして彼らは苫小牧に帰っていった。

それから、山北さんのお気に入りの近くの山を案内してもらった。

ブナのある山は、実に緑が瑞々しい。

少し歩いただけだけど、気分がリフレッシュされた。

山北さんが厚沢部を好きな気持ちが伝わってきた。

晩のおかずにたらんぼを少し摘んで帰った。

 

そして山北さんのインタビュー撮影。

途中どんどん暗くなっていって最後は真っ暗な中話していた。

夕飯はろうそくの明かりで食べた。

なかなかおつなものである。

山北さんも私も言いたいことを話しまくり、何だかさっぱりした気分になっていた。

山北さんはタイコで、私は映画で、これからやれることをやっていこうと。

 

2011年5月24日(火)

朝目が覚めると、トントントントンと、山北さんがタイコを掘る音が聞こえた。

彼はもらった木でタイコをつくっている。

ノミと木づちで木をくり抜いていく。

時間のかかる地道な仕事だ。

時々、歌も聞こえてくる。いい感じだ。

3.11の後つくっている新曲らしい。

カーテンの隙間からの日差しが温かい。

布団の中で、山北さんの音をしばらく楽しんだ。

山北さん、いい暮らししているなあ。

ああ、今外に出て山北さんをロングで撮影したいなあ。

と思ったが体が動かなかった。

のどがひりひり痛い。体もしんどい。

疲労がたまって風邪をひきかけている。

このままいったらひどいことになりそうだ。

 

鷹栖町の理香子さんがセッティングしてくれた5月27日の旭川での大間原発報告会のことが気になった。

大間原発の資料も、訴訟の会の事務局の大場さんから送ってもらうよう手配していた。

行ってみんなに話したい気持ちと、ここで無理をしたら後にひびくことがせめぎ合っていた。

この後、1か月間の関西上映・撮影の旅が控えている。

鷹栖町の理香子さんに電話を入れ謝り、27日をキャンセルすることを伝えた。

 

下に降りてエリーに風邪気味なことを伝え、今日一日ここで休ませてもらうことにした。

エリーはのどの痛みに聞くハーブエッセンス、自家製のかりん茶を枕元に持ってきてくれた。

山北さんたちも長いツアーをしてのどを使う商売だ。

こういう時の私の状態と気持ちをとても理解してくれた。

体はしんどかったけれど、とても居心地がよくゆっくり休ませてもらった。

山北さんはこのことをとても喜んでいた。

自分がいつも世話になる側なので、自分の家で人が羽を休めていくことが嬉しいのだ。

私もその気持ちがよくわかる。

私もいつか自分の家が誰かの休息の場になるようにしたいと思っている。

かりん茶を飲み、ハーブエッセンスをふりかけたマスクをしながらうつらうつら寝ていた。

 

昼過ぎ、こなひき小屋の親方とおかみさんがパンの引き売りにやってきた。

親方たちは数年前から、農村、漁村地区にパンを持って売りに行くことを始めた。

私が泊りに行くと親方たちはいつも楽しそうに引き売りの話をしていた。

その姿を一度も見たことがなかったので、エイやとキャメラをもって撮影することにした。

 

隣の清和小学校の校庭にこなひき小屋カーが止まっていた。

バックドアーを跳ね上げて、荷台に色々なパンがうまく並んでいた。

近所の人が買いにやって来る。

そしてしばし会話を楽しむ。今は原発の話題だ。

そしてこなひき小屋カーは次の場所へ走っていった。

 

2011年5月25日(水)

この日もひどくはなっていないがのどが痛く、体がしんどかったので、引き続き山北家でお世話になることにした。

山北さんはこの日も、タイコづくりでトントンやっていた。

人の話し声が聞こえた。誰かが来たのだろう。

「ハル枝さんが来ましたよー。」とエリーの声がした。

大間の署名用紙が欲しいと先日電話をもらっていた。

それを渡さなきゃと思い、下に降りた。

ハル枝さんと厚沢部で再会するとは思ってもいなかった。

彼女は厚沢部の知り合いを訪ね、ついでに署名も集めてまわっているそうだ。

少し話して私はまた布団に戻って寝た。

 

しばらくすると山北さんのこの地区の友人が遊びに来た。

とても面白い人だった。

彼はマタギの息子で山のことをよく知っている。

山北さんがしているハイダのようなアイヌのような木の彫り物のネックレスがとても素敵だった。

それを作ったのが彼だった。

そしていっしょに庭に出て晩御飯のニラをつんだ。

私はまた撮影を始めた。

煉瓦をつんだ簡単なかまどで、タイコを掘った木屑を燃料にご飯をたいた。

そして友人は町に行くからと言って去っていった。

彼にまた会いたいなあと思った。

そして晩御飯を食べて寝た。

またエリーにかりん茶をつくってもらった。

 

2011年5月26日(木)

風邪は小康状態。

のどが痛い。

山北夫妻と山田農場へ向かった。

圭介とあゆみさんは3.11後、自分たちにできるかぎりの放射能対策をしている。

山北夫妻はその話を聞きたいということで、いっしょに行くことになった。

私はそのまま山田農場に泊めてもらうことにした。

 

山田農場に着くと、早速、山北夫妻は圭介さんとあゆみさんと話し込んでいた。

私は牧草地で寝転がって休んでいた。

子ヤギたちが一斉に寄ってきて離れない。

そうこうしているうちに、山北さんの家に今日泊まるお客さんもやってきた。

この人(ハコさん)は山北さんが学生の時、ヒッチで乗せてもらった人で、それからの付き合いだそうだ。

山北夫妻、ハコさんといっしょに母屋で昼食をいただいた。

話題はやっぱり原発のこと。

 

そして夕方、山北夫妻とハコさんはチーズを買って帰って行った。

夕食の時、大マグロックのことなど、大間であったことを圭介さんとあゆみさんにひとしきり話した。

これをあゆみちゃんと圭介さんに話してからじゃないと帯広には帰れない。

 

2011年5月27日(金)

ヤギチーズを買って、車に荷物を積み込む。ようやく帯広へ帰るのだ。

あゆみちゃんと圭介さんには今回もお世話になった。

「また7月にね」と言って別れた。

それからこなひき小屋に寄り、パンを買う。

おかみさんにあいさつして別れる。

帯広に向けて車を走らせた。

まだのどが痛く体がしんどい。

洞爺の手前で疲れてしまった。

どうしようかと思い、ラムヤートの満寿喜さんに電話をかけ、「疲れてしまって寝たいから、洞爺で安い宿教えて」と頼んだ。

「ウチに泊まって下さい。個室ありますから。」と彼は言った。

「ではお世話になります。」と、私はラムヤートに向かった。

洞爺湖の湖岸の道に入ると雰囲気がガラッと変わった。左から差し込む夕方の光が美しく、新緑のトンネルの中を走った。

あまりの美しさに私は元気になってきた。

緑のトンネルを抜けると、田植えを終えたばかりの水田だった。

これまた美しい風景だった。疲れも忘れ、車を止めてしばし撮影。

車に戻ると満寿喜さんから着信がたくさん入っていた。

電話をかけると「すごく声が疲れていたし、あんまり遅いから行き倒れているんじゃないかって心配してました。」と彼。

「ごめんごめん。あんまり田んぼが美しかったからついつい撮影してしまったの。もうすぐ着きますから。」と私は電話を切った。

 

突然泊まらせてもらうことになったのにもかかわらず、満寿喜さん夫妻は快く迎えてくれた。

店の2階の個室に案内された。

ダブルベットのスプリングも程良く、置かれていたイスも座り心地がいい。

すばらしくいい部屋だった。

これから満寿喜さん夫妻はエネルギー研究会に行くとのこと。

私も元気だったら一緒にいきたいところだった。

近所の温泉を教えてもらい、私は温泉に入ってから寝ることにした。

洞爺湖を見下ろせる温泉でゆっくり湯につかった。

そしてラムヤートに帰って寝た。

夜、トイレに起きたら、満寿喜一家が帰ってきていた。

おやすみだけ言うつもりが、結構しゃべってしまった。でもよかった。

奥さんの美環さんともゆっくり話せたから。

そして心地いいベットでゆっくりと寝た。

 

2011年5月28日(土)

朝ゆっくり起きて、朝食をいただきながら、満寿喜さん・美環さんと話す。

朝のひと時を撮影させてもらう。

店の開店も少し撮影。なんかここも撮影したいことが多いのだ。

パンを買いお礼を言って、帯広に向けて車を走らせた。

新得のいんであんの家に寄り、新しいパソコンの設定をしてもらう。

そして深夜、やっと自宅にたどり着く。

 

4月22日から始まった函館・大間の旅がようやく終わった。

たくさんの出来事があった。新しい出会いもあった。

3.11に起こったことはとてつもなく不幸なことで、今も放射性物質が垂れ流されている最悪の状況なのだけれど、

このことが起こったから、私は動き出した。

というより、動き出さずにはいられなかった。

人と面と向かって話すこと、気持ちや思いを共有すること、その大切さがよくわかった。

自分のやるべきことも見えてきた。

大事なのは、今私たちは生きているということ。

ハードな日々だったが、自分の感覚を頼りに動いている感じがたまらなく心地いい。

怒涛の日々がひとまず終わった。

 

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