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撮影報告 その167 若狭から彦根へ

軒下に干し柿

2012年11月29日。

「あと一回山に雪が降ったら、ここも雪が降るわ。」

と貴美子さんは言った。

上野の集落

三十三間山に3回雪が降ると、里にも雪が降ると昔から言われているそうだ。

若狭での撮影を終え、今日は杉原さんと太田さんの家に寄ってから、彦根の奥田さんの家に向かう予定。

朝食をいただき、お世話になった感謝をこめて喜美子さんにご挨拶。

「娘を見送る親の心境みたいやわ。」

と、喜美子さんは涙ぐみながら見送ってくれた。

そして敦賀に向けて車を走らせた。

杉原さんの家

杉原先生の家へ行くと、ちょうどお昼ごはんを食べるところだった。

杉原敦子さん

いつものように、杉原さんはご飯を勧めてくれたが、私は朝食を食べたばかりだったので遠慮した。

 

杉原さんは88歳。とても元気に活動している。

先日の満久先生の講演会、来年早々の小出裕章さんの講演会、12月の選挙のことなどひとしきり話をする。

お土産に四国のうどんをいただいた。

「私は100まで生きるつもりや。いつでも泊りにきいや。」

と杉原さんは言った。

 

「今、太田さんの家から来たんです。」

杉原さんの家の前に停めた車に乗ろうとしたら、石地さんに会った。

去年お会いした人で、反原発運動を長くやってこられている方だ。

太田さんは石地さんのことを仏様のような人と言っている。

とても穏やかで優しい人で、杉原さんや太田さんの用事も色々こなしているのだ。

 

石地さんと少し立ち話をし、私は太田さんの家へ向かった。

太田さんはちょうど昼ごはんを食べるところだった。

「昼ごはん、食べませんか。」

と太田さん。

私もお腹がすいてきたので、いただくことした。

 

そして火鉢にあたりながらおしゃべりをしていたら、敦賀の歴史を研究している鶴田さんがやって来た。

「あー、ちょうどよかった。敦賀の歴史はこの方から聞いた話なんですよ。」

と太田さんは私に言った。

 

鶴田さんは、東洋紡で働いていて定年してから鶴賀の歴史を調べ始めた。

というのは、東洋紡は定年の数年前から、出向と言う形で原発に働きに出される。

炉心に近い高線量のところで働くのだそうだ。

すぐに線量計がピーピーなるので、詰め所で将棋をやったり、各自好きなことをしている時間の方が多かったそうだ。

鶴田さんは、そういう時、一人で外に出て敦賀の海をずっと眺めていたそうだ。

海を眺めているうちに、美しい海岸線だなあと思ったという。

そして敦賀というところはどんな歴史があるのだろうと調べ出して今に至っているとのこと。

 

安土城は天皇家の墓があったところだったのではないか、それを信長は知っていたのではないかなど、古文書や地名から自分の仮説を立てている。

などなど、鶴田さんはこのような話をいくつもしてくれた。

とても興味深く面白かった。

「こんな話をしたら、話が尽きないのでこれで帰りますわ。」

と言って鶴田さんは帰っていった。

 

それからまた太田さんとしばらくおしゃべり。

時計を見ると3時半を過ぎていた。

「名残惜しいけど、お見送りしますわ。」

と太田さんは言った。

明日は大飯原発運転差し止め訴訟の提訴の日だ。

 

そして私は彦根の奥田さんの家へ向かった。

12月1日、奥田さんが主催して、石垣島の鳩真ファミリーのライブを能登川で開催する。

その準備で奥田さんは忙しいけれど、とても充実した顔をしていた。

夜、沖縄料理の店に食べに行った。

色んな種類のビールが飲める店だった。

料理もおいしく、店の人の感じがよかったので、ライブの打ち上げを急きょこの店にすることにした。

私はおいしいビールをいただきながら、ゆったりと夕食を楽しんだ。

そして奥田さんの家に帰り、ゆっくりと寝た。

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