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撮影報告 その172 彦根から敦賀

2012年12月10日。

日本海の天候は荒れていた。

彦根もボタボタとした雪が降る。

「初雪でこんなに降るのは初めて。」

と奥田さん。

午前中にフェリー会社から電話があった。

11日1:00AM敦賀発苫小牧行の船は大幅に遅れることになり、5:00AM敦賀港に集合という知らせだった。

敦賀の太田さんに電話をして今晩泊まらせてもらうことにした。

荷造りをして、車に積み込む。

そして奥田さんといっしょに護国神社の「朴」さんへお昼ご飯を食べに行く。

今回3度目。

ランチがほんとおいしいのだ。

ご飯のセットとパンのセットがあってそれぞれ捨てがたい。

ゆっくりと味わう。

今回も奥田さんにはお世話になった。

滞在期間はいつものことながら、自分の家以上にリラックスさせていただいた。

鳩間ファミリーのライブは本当に楽しく素晴らしかった。

奥田さんがやりたいことをやり、それに共鳴する人たちといっしょにモノゴトをする姿に刺激を受けた今回の彦根滞在だった。

中塚さんとカニ鍋をした夜。

 

人がイキイキとしている姿は、それだけで周りを明るくしてくれる。

洗濯ものを干す奥田さん。
今年から家庭菜園も始めた。

「春からは、お母さん支援に力を入れてやっていきます。」

と奥田さんは言った。

そして奥田あんとハグをして別れ、私は敦賀に向かった。

彦根は雪がけっこう降っていて、高速に乗るまでに時間がかかった。

冬タイヤに替えていない車が、スリップして動けなくなっていたためだった。

高速に乗り、敦賀に近づくにつれ、雪もやみ天気も良くなってきた。

 

夕方、太田さんの家に到着。

くず子さんの写真をプリントしてあげたのを太田さんはとても喜んでくれた。

太田さんは自分の写真は嫌いだけど、くず子さんの写真は嬉しいのだ。

 

太田さんは今取り組んでいる写真集『欧亜国際船の着いた港』の校正でしんどい日々が続いていた。

春くらいに、出版予定とのこと。

不思議な縁で、太田さんはこの写真集をつくることになった。

何より、敦賀を愛した母・げんさんにこの写真集をささげたいという太田さんの思いがその原動力なのだろうと感じた。

そして太田さん自身も自分が生まれて育ち、今も暮らす敦賀を愛してやまないからだ。

「敦賀と運命を共にする。」

と言った言葉が忘れられない。

 

夜ごはんは、八新へ。

二人で10分ほど雪道を歩いていく。

星がきれいだった。

太田さんは杖をもち、しっかりと歩く。

ごはんとおかずを数品食べて、おなかいっぱいになる。

 

「ごちそうしますわ。これくらいは協力します。」

と太田さん。

ありがたくご馳走になる。

本当にありがたいと思う。

 

道を歩きながら、太田さんと会話が楽しい。

 

明日早いので、お礼を言って早めに寝床に着く。

 

2012年12月11日。

4:30 起床。

敦賀港に向かう。

港には車が1台もなかった。

事務所に行くと、出航が更に遅れて8時半にまた来てくださいと言われた。

 

もう一度、太田さんの家にもどり、8時過ぎまで眠った。

母屋に寄ってから行こうかどうか考えたが、昨日挨拶したし、顔を見たら名残惜しくなるのでそのまま港へ向かった。

 

苫小牧~敦賀は、どちらも出航が深夜。

昼間の敦賀港が新鮮だった。

敦賀港

港で乗船を待っていたら、太田さんから電話が来た。

「8時過ぎに車があるから、きっと船が遅れただろうと思ったけど、今外を見たら車がいなくなっていて、心配して電話をかけました。寄っていってくれたらよかったのに。年寄りは心配するんです。」

と。

10:30過ぎ、乗船。

すぐにお風呂に入る。

サウナに入って汗を流した。

 

そして遅い朝食を食べた。

 

出航すると、船が揺れだした。

気分が悪くなり、それから苫小牧に着くまでずっと寝ていた。

とてもじゃないけど、事務仕事はできなかった。

 

2012年12月12日。

7:30AM

11時間遅れで、苫小牧港に到着。

一面雪の世界だった。

 

トンネルを抜け、十勝平野が見えてきた。

 

ホッとする。

 

旅を振り返り、感謝の気持ちが湧きあがる。

と同時に、これからやっていくことを考えると身が引き締まる。

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