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空想の森便り 第6号 2005年8月

2005年8月
『空想の森』便り 第6号
監督 田代陽子 

みなさん、こんにちは。北海道はお盆を過ぎ、急に涼しくなってきました。8月はぐずついた天気が続きました。少なからず、野菜の生育や味に影響があるようです。それでも聡美たちが共働学舎でつくっている野菜たちは、今一番のピークです。トマト、きゅうり、人参、ピーマン、なす、ズッキーニなどなど。美味しくてしあわせです。

 

 

田代陽子の撮影日記 2005年6月23日〜7月7日

<第10回SHINTOKU空想の森映画祭2005を振り返って>

 「すべては夢見ることから始まった」。1996年、第1回目の空想の森映画祭のキャッチコピーである。今思うと、この映画祭に参加したことが、私にとって、すべての始まりだった。映画祭と出会って、私はドキュメンタリー映画づくりのスタッフになり、それと平行して、空想の森映画祭のスタッフにもなった。映画づくり、映画祭を通して様々な人と出会い、スタッフたちといっしょに試行錯誤しながら、一つのものをつくってきた。

この10年、色んなことがあった。もちろん、いいことばかりではない。いつも何かしらの問題にぶつかっていたり、抱えていたり。その時々で私は精一杯、問題に向かっていったつもりではいる。映画の撮影では、2003年の春から、キャメラマンの問題などで撮影ができない状態が2005年の春まで続いた。同じ時期、私は病気になった。体の調子がとても悪く、心身共に悪い状態が長い間続いた。2004年の9回目の映画祭は初めて休んだ。

そんなこともあり、10回目の今年の映画祭は、私にとって特別感慨深いものになった。どうしても自分の映画祭は気合いが入ってしまう。来たお客さん、ゲストの方々に気持ち良く楽しんでいってもらいたいという気持ちが強く働くからだ。休んでいた時、こうあるべきだとか、こうしなくてはいけないという思い込みが強かったのではないだろうかという反省があった。今年は、一映画祭スタッフとして10回目をやっていこう、そして楽しもうと。そして今回は私も被写体になって、岸本君と一坪君に私たちの10回目の映画祭を撮影してもらおうと思って臨んだ。

映画祭はやっぱり楽しい。おもしろい。
2005年6月23日金曜日。
スタッフのまりんが、カフェで本部店のおでんの具の卵の殻をむいていた。二人の年輩の女性のお客さんがやってきて、いっしょに手伝ってくれていた。その一人の方が「あなた、田代さんでしょう?」と私に話しかけてきた。9年前、美和ちゃん、有里ちゃん、美根、私の4人で結成した「ブラボー!茂の会」で開催した『阿賀に生きる』上映会・小林茂講演会に来てくれたお客さんだったことがわかった。私はとても驚いて、同時にとても嬉しかった。

その9年前のイベントは、私が1回目の空想の森映画祭に参加して、小林茂さん(ドキュメンタリー映画『阿賀に生きる』のキャメラマン)と出会って、その時いっしょに映画祭に参加していた仲間四人で、その半年後の1996年11月に開催したものだった。私たちにとって、自分たちで一からやった初めてのイベントだった。その半年間は、開催に向けて私たち4人は毎日半徹夜状態で目一杯動き、それと平行して山に登ったり川で泳いだり月見の会をやったりと、真剣に遊んだ日々でもあった。たった4人で始めたことだったが、プレイベントの上映会に250人の人たちが来てくれた。来たお客さんの中に、上士幌高校三年の生徒たちがいた。やっている私たち4人をみて心配になったのか、彼らが私たちが次にやる本展のイベントをいっしょに手伝ってくれると申し出てくれた。そして私たちはその3ヶ月後の1997年1月、帯広の藤丸デパートで5日間、「小林茂写真展〜ウガンダに生まれて〜」を開催したのだった。ウガンダから民族衣装や教科書やコーヒー豆を取り寄せて展示したり、取り寄せた豆を焙煎し、ウガンダのコーヒーを来たお客さんにふるまった。タイコのライブをやったり、写真展以外にも色んなことをやった5日間だった。そんなことが走馬灯のように甦ってきた。このご夫人たちはその後も、映画祭に何度か来てくれていたそうだ。続けてきてよかったなあとしみじみ思った。

 

 

2005年6月24日土曜日。

受付前で突然私に若い女性が「スタッフやりたいんですけど。」とやって来た。聞くと彼女は知床の斜里からはるばるやってきたのだ。「では早速お願いします。」と私は答え、あらかたのことを説明し、受付嬢の河崎さんとあけみちゃんにバトンタッチした。3人でチームワークよく楽しそうに映画祭の受付をやっていた。

名古屋からお客さんとして来ていた竹中さんという女性も、私たちが忙しそうにしているのを見て「何かお手伝いしましょうか。」と言ってきてくれた。すぐさま人が足りなかった本部店の手伝いに入ってもらった。カフェのマスターのネコさんが張り切って竹中さんに教えていた。

帯広で映画祭のポスターを見てやってきた男性は、結局初めから終わりまでびっしり手伝ってくれた。重たいもの運んだり、ゴミを集めたりと何かと動いてくれた。映画祭が終わると、彼は再び放浪の旅に出ていった。

 

 

2005年6月26日日曜日

最終日。野外でのさよならパーティー。昨日の野外上映の時、雨に降られ、ホールの中での上映に変更した。そしてまた、パーティーが始まる頃にかなりの雨が降ってきた。撮影のことを考えて、私はやきもきしていた。校舎沿いにつくったタ−プの下のスペースにテーブルとイスを移動し、バンド演奏の場所は柏の木の下から、校舎の玄関に移動した。開期前、柳の葉を支柱にくくりつけたりぶら下げたりした甲斐があって、タ−プ下のスペースも、これはこれでいい感じになっていた。雨足も弱くなってきて、なかなかいい雰囲気のパーティー会場になった。料理は今年も豪華だった。おっちゃんを中心に有里ちゃん、よしさん、圭介さんなどが腕をふるった。鯛飯、マグロのかま焼き、窯焼きピザ、新鮮な野菜、マグロのかまのカレー、厚岸の牡蠣焼き、イカ焼き、聡美さんのつくったデザートなどなど。

今年は映画祭十回目を記念して、スタッフがそれぞれが川柳で映画祭を詠んだ。プログラムにそれを印刷し、お客さんからの投票で大賞を決めることにした。そしてゲストのギリヤーク尼崎さん、相原信洋さん、あがた森魚さんにもそれぞれ一句を選んでもらうことにした。30人がエントリーした。どれもそれぞれ味のある句だと私は思った。

大賞は山北紀彦さん(N’DANA)の「手をひろげ むかえてくれる 柏の木」。相原賞はインデアン(スタッフ)。「トラブルと ビール担当 いんであん」。ギリヤーク賞は藤本幸久さん(実行委員長)。「この森で 夢見ることから 始まった」。あがた賞はなんと私、田代陽子。「解き放つ 映画と希望 空越えて」。

私はもうそりゃ嬉しかった。まさか私の句があがたさんに選ばれるなんて思ってもなかった。もちろん自分では、私の句が一番とは思っていたけど。これはあがたさんからの映画祭と私へのエールだと思った。

新得バンドの演奏は大いに盛り上がった。お客さんもいっしょに歌ったり踊ったりバンドのメンバーも楽しそうだった。そして、おっちゃんの歌は最高だった。

やっぱり映画祭はいいもんだよなあと思いながら、私は改めてスタッフのみんな、ゲストの人たちとのつながりを感じた。夜も更け、あらかたの人が帰っていった。毎年するように、誰もいない校舎の中を、私は一人歩いた。上映会場、廊下、カフェ。この空間で起こったすべての出来事、出会った人たち全てを愛おしく思う気持が込み上げてきた。そして、いつも感じる今年も映画祭が終わってしまうんだという寂しい気持ちはあまりしなかった。それよりも何よりも、今こうして岸本君と一坪君という二人の青年といっしょに撮影をしていることが嬉しくてたまらなかった。「さあこれからだ。ようやっと映画『空想の森』は立ち上がったんだ。」という思いの方が強かった。10年前の空想の森映画祭で、この柏の木の下で味わったことが私の原点なんだと改めて思った。ドキュメンタリー映画はなんて豊かで面白いものなんだということ、大人たちがこんなにも楽しんでいる時間と空間をつくっているということを。

 

 

2005年6月27日(月)雨。寒い。新内ホールの片付け。

8:00 起床。私はひどく体が疲れている。朝風呂で腰浴。岸本君、美和ちゃん、一坪君、おっちゃんも起きてくる。私はコーヒーを入れる。

9:00 新内ホールへ。藤本さんは役場に返す大きなものをトラックに運び込んでいた。西村さん、佐野さんは外の憩いのスペースに立てたパイプをばらしていた。有里ちゃん、よしさんたちは窯の周りを撤収していた。美和ちゃんはキッチンの片付け、おっちゃんは窯へ、岸本君と一坪君は藤本さんたちに合流した。私は来年のために事務用品やら資料やらポスターなどを、必要なものといらないものに選別しながら片付けていった。まゆこちゃんと憲一さんがテキパキと手伝ってくれたのでとても助かった。ゲストだった山北君マサトさんも最後まで手伝ってくれた。

17:00 新内ホールの撤収は大変だけど私は結構好きだ。ゆっくり名残り惜しむ時間もないけれど、仲間と一緒に会場をきれいにするのも、いい時間だ。ばらして、返すものを返し、ゴミも捨てにいって、ホールの掃除も終わった。おっちゃんと美和ちゃんがじいちゃんちに来た。疲れたからみんなでどこかに食べに行こうかと言っていた。とりあえず、家の中に入り、薪ストーブに火をつけて暖まったら、ストーブの周りでみんなで和んだ。するとおっちゃんが、映画祭の残り物のきゅうりとちくわを味つけして出してきた。それをみんなでつまみながら、なんだかんだと話していると、今度はチーズを切って出してきた。「そうなるとやっぱりワインが飲みたいよね。」ということで、残り物のワインをみんなで飲みながら、またとりとめのない話。そうこうしてるうちに、私もチーズとトマトときゅうりのサラダをつくった。おっちゃんに味を整えてもらうと格段に美味しくなった。聡美さんのレタスも出てきた。こんな感じで食べているうちにお腹が膨れてきた。一坪君とおっちゃんと美和ちゃんは、疲れきってストーブの周りで寝てしまった。私は風呂に入った。出てきて岸本君、起きてきた一坪君と、とりとめもなく色んな話をした。映画祭のこと映画のこと、今後の撮影のこと、戦争のこと、アメリカのことなど。私たちは同じ方向を向いていっしょに映画をつくろうとしているんだと感じた夜だった。ものすごい体は疲れているのだけれど、気持ちは嬉しくて元気だった。

 

 

2005年6月28日(火)晴れ。撮影は休み。星空が素晴らしかった。

11:00 起床。腰浴。朝食。コーヒー、フロマージュブラン、ホエイジャム、聡美さんがつくったクッキー。今日の休日をどう過ごそうか、三人でなんだかんだと話す。

12:30 焼却場にゴミを捨ててから、帯広へ向かう。国道38号で13キロオーバーのスピード違反で捕まる。我慢できずに警察の人に思ったことを言う。芽室の安田スタンドで給油。有里ちゃんの父さん母さんにスタッフを紹介する。おじさんが私たちにジュースをごちそうしてくれた。帯広温泉で温泉に入る。十勝ビールで地ビールとピザを3人で食べる。

17:30 芽室の平和園で焼肉を食べる。藤本さんも合流して4人で。

20:00 帰宅。素晴らしく星がきれいな夜だった。『森と水のゆめ』の撮影でトムラウシに登った時、テントから顔を出して満点の星空を眺めた時以来。下界では今までで一番といっていいくらい星が見えた。あんまり美しいので3人でD型倉庫の前に行って星を眺めた。私と一坪君はマットをひいて寝転びながら見ていた。この辺りは真っ暗なので、本当に星がよく見える。天の川もよく見えた。一坪君は三脚に自分のスチールキャメラをつけて星空を撮影した。彼の昔の夢は天文学者になることで、星がとても好きなのだ。天の川を見ることが夢の一つだったので「夢がかないましたよー!。」と、とても興奮していた。岸本君はいつのまにかいなくなっていた。私と一坪君は「あー、流れ星だ。あそこあそこ。あー、また人工衛星だ。」と飽きもせず3時間以上も話ながら星を眺めていた。本当にいつまでみても飽きない美しい星空だった。星の話、宇宙の話、空間の話などしていると一坪君は止まらない。そんな話をしながら、果てしない宇宙空間の中のとてもちっぽけな存在の私たちが、偶然だが必然だかわからないが出会って、こうして日本の北海道の新得の新内でいっしょに映画を撮っていることが、なんだかものすごい貴重なめぐり合わせのように思えてきた。

23:00 家の中にもどり、30日の撮影のことなど話す。スチールは一坪君が撮ることにした。CDのジャケットの絵も一坪君が描いたらいたらどうかと。「次回の撮影報告の映画祭の部分は僕が書きます。」と岸本君が言った。「それはいいねえ。」と私は答えた。

 

 

2005年6月29日(水)晴れ。風強し

7:00 起床。朝食。パン、チーズ、レタス炒め、卵やき、コーヒー。

9:00 ラッシュを見る。

13:00 昼食。ご飯、味噌汁、納豆、ホウレン草の炒めもの(一坪作)にらのおひたし(田代作)、パセリ、きゅうりとトマトとツナのサラダ

15:00 9月に撮影する予定の新得バンドが軽トラの荷台に乗って新得町を走る撮影のロケハン。 

練習小屋引きと寄りの2カット、共働学舎の牧草地引きといっしょに乗っての2カット、食堂前1カット、共働学舎へ向かう砂利道1カット、新得町駅前2カット、新内の宮下さんの家の前1カット、藤本さんハッピーの散歩1カット、新内ホールの前1カット、じいちゃんちの前の空に向かっていく道1カット。

ミンタルにて一坪君がお土産のチーズを買う。ソフトクリームとシューソフトを美和ちゃんがご馳走してくれた。

18:15 牧草地より、夕景の撮影。

19:00 夕食。トムヤンクン風スープ(もやし、しいたけ、豚肉、ねぎ。岸本つくる)、まぐろのかまの煮物(田代)、ご飯、さくらんぼ。

21:30 ラッシュをみる。今回の映画祭はよく撮れていた。私が感じている映画祭だった。今回のこと、今後のことCDのことなど3人で色んなことを話した。一坪君は明日帰るので、今回、映画祭の打ち上げの日にみんなに見せる映画祭のラッシュの編集をやってもらうことにした。

1:00 私と岸本君は就寝。一坪君は徹夜でラッシュの編集。

 

 

2005年6月30日(木)快晴。映画『空想の森』が贈ってくれた幸せな一日。

7:00 起床。岸本君は緊張のためか、すでに起きていた。一坪君は「わけわからなくなった」と言って、いましがた寝たらしい。

8:30 岸本君と二人で、今日の収録に使う太鼓などを練習小屋に取りに行く。駅前のカメラ屋でフィルムを買う。帰る途中宮下さんが畑にいたので、7月2日の映画祭の打ち上げのお知らせなどをして少し立ち話。

9:40 美和ちゃんより電話。今日はみんな忙しい中、収録にくるのだから昼ご飯を用意しておくようにとのこと。もちろん言われなくても用意していた。ご飯を炊き、味噌汁をつくり、マグロのかまの煮付けも。ビールだってある。

11:00 聡美さん以外みんな集まった。天気は上々、風もない。願ってもない野外録音日和だ。この新得バンドのCDのタイトルは『楽音日和』。英語のタイトルは『It all started with dreaming』(「全ては夢見ることから始まった)山之内さんに訳してもらった。)と岸本君が決めた。

 聡美さんが来るまで、サックスの憲一さん、トランペットの圭介さん、ベースの嘉さん、コンガの美和ちゃんがウォーミングアップをしている。天気もよく開放的な野外で、なんだかいい気分だ。みんなも気分よさそうにアップをしていた。岸本君はマイクを三本立て、中央にミキサーを置き音の調節をしている。一坪君も三脚をたてキャメラの位置を決め撮影をしている。それぞれ自分の仕事を黙々としている。今回は音の録音がメインだが撮影もすることにした。スチールも一坪君にまかせた。私は麦茶をつくったり、昼ご飯をつくったり。一時間程遅れて聡美さんがあかりといっしょにやって来た。牧草の時期で憲一さんは仕事を休めず、2時には仕事に戻らなくてはいけない。あまり時間がない。さっそく収録をはじめた。収録のためのオリジナル曲ということでお願いしていたが、みんなでそろって練習する時間がほとんどなく、この場で即興でつくりながらの収録となった。それがまたよかった。この日の空、雲、空気、鳥の声、D型倉庫、牧草を運ぶトラックの走る音、新得バンドのメンバー、そして撮影スタッフの私たちすべてが一体となって見事に調和した空間となった。そこから生まれた音楽はまさに「楽音日和」という感じの曲だった。この1曲目に演奏した曲のタイトルは「楽音日和」となった。私はとりたててやることもなく、ただ何とも幸せな気分で夏の陽をあびながら収録現場にいた。この日は2時過ぎまで3曲を収録した。D型倉庫前でバンドメンバーのスチール写真の撮影をした後、憲一さんは昼ご飯も食べられず、急いで仕事に戻っていった。

15:00 他のメンバーはじいちゃんちでみんなでお昼ご飯を食べた。ご飯、味噌汁(もやし、ねぎ)、レタス、まるてん焼き、豆腐、ビール、すいか。

16:00 食べ終わってみんなでじいちゃんちの牧草地へ行った。そこでみんなでエアロビーで、ひとしきり遊んだ。その後、牧草地にてスチール撮影をした。

17:45 一坪君東京へ帰る。新得駅まで送る。

18:30 夕食。スパゲティ。

20:00 岸本君は音のチェック。私は機材の掃除整理。

22:00 一坪君が編集したラッシュをみる。やはり訳分からなくなっているようだったので、岸本くんといっしょにやり直すことにした。

1:30 就寝

 

 

2005年7月1日(金)曇り。少し寒い。

8:30 起床。腰浴。

9:00 朝食。タイ風焼飯(岸本)、味噌汁。

10:30 ラッシュ編集。今回撮影した映画祭の部分を1時間にまとめた。

16:00 太鼓を練習小屋に返しに行く。十勝毎日新聞社の記者の成田さんに挨拶に行く。カメラ屋に昨日撮ったフィルムを現像に出す。フクハラで食材の買い物。文代さんにばったり会い、学舎のレタスをいただく。

16:30 ラッシュ編集。1時間きっかりに納まった。

20:45 編集終了。見直しながらVHSに録画。なかなかいいラッシュができた。

22:10 夕食。チャーハン(豚肉、しょうが、田代つくる)ビールで乾杯。

23:40 私が1998年につくったビデオ、『空想の森から〜予告編〜』を岸本君といっしょに見た。その頃の自分たちを、ただ記録しておきたいと思って撮ったものだったが、まさかこの後本当に自分で映画を撮ることになるとは思ってもいなかった。このビデオは本当に予告編となったんだなあと思った。自分の学生の頃を思い出したと岸本君が言った。私も久しぶりに見て、結構面白かった。明日はじっくり、今後の話し合いをしようということになった。

0:30 就寝。

 

 

2005年7月2日(土)曇り。涼しい。ハッピー死にそうになる事件。映画祭の打ち上げ。

8:30 起床。腰浴。岸本君は外で音を撮っていた。

10:00 朝食。酵母パン、チーズ(コバン、プチ・プレジール)、野菜スープ(岸本つくる)、コーヒー。

10:30 掃除。玄関、トイレは岸本くん。掃除機と台所は私。

12:30 昨日まとめたラッシュの見直し。

13:30 昼食。ご飯、豚肉の野菜巻き(アスパラ、大葉、もやし、ニンジン、インゲン)

15:00 町へ出る途中、藤本さんの家にコードを返しに寄る。藤本さんが新内に来た時から飼っているパッピーという犬がいる。真っ白の毛足の長い雌の大型犬で、気立てが良く人懐っこいので番犬にはならない犬だ。いつも駆け寄って来るパッピーがピクリとも動かない。変だなと思ってハッピーに近づいていくと、近くにあった棒にひもがぐるぐるに巻き付いて、ぬかるんだ泥の上に身動きが取れない状態で横たわっていた。下半身にはびっしり蠅がたかっていた。岸本君がひもをほどいてやっても立ち上がれずなんだか様子がおかしい。水が欲しいだろうに動けずにいる。水の樽をもってきてあげると、よろよろと立ち上がろうとするが、体が痙攣してしまっていた。樽を傾け、寝そべったままで水が飲めるようにしてあげた。私はもう動揺していた。「ハッピーが死んじゃう。」藤本さんに電話をかけるが繋がらない。いんであんに電話したが釧路に出張中。ハッピーの状態を説明し、知り合いの米岡さんという獣医さんの電話番号を教えてもらう。その人にすく電話したが、牛で忙しいので夜8時まで行かれないと言われた。ハッピーの様子を説明すると、行くまでもつかなあと言う。私は焦って共働学舎の美和ちゃんに電話し、今日やっている動物病院を調べてくれとお願いした。そのしゃべっている間にハッピーの容態がどんどん悪くなってきた。呼吸はぜいぜいし、全身痙攣して時折苦しそうな声をだしていた。岸本君が「ハッピー、ハッピー、頑張れ。」と言って横にぴったりとついてハッピーを励ましている。ハッピーは苦しそうにしながらも、水を飲み続けていた。美和ちゃんと電話をしながら私はさらに動揺して泣けてきた。土曜日だったため、動物病院は帯広のイソップ動物病院しかやっていなかった。学舎のやさい屋でまわていたところだ。そこに電話をかけて、ハッピーの様子を説明すると、先程の獣医の先生と同じようなことを言われた。すぐに病院に連れてくればなんとか助かるかもと。畑にいた宮下さんのところに相談に行った。帯広まで遠いし費用もかかるし、藤本さんが帰ってくるまで待ったらどうかということになった。それで私は、お医者さんが水にポカリを混ぜて飲ませたらいいといったので、買いに出かけようとして岸本君を見ると、「オレはハッピーの傍についていてあげます。」ときっぱりと言った。帰ってくると美和ちゃんが仕事を抜けて、様子を見に来てくれた。動物が得意でない私と岸本君では心配だったのだろう。ハッピーを毛布の上に寝かせてくれていた。少し落ち着いたようだった。私も美和ちゃんが来てホッとした。宮下さんから聞いて、文代さんも自転車で来ていた。文代さんが「死臭がするわ。うちの犬も蠅がたかってこんな臭いして死んでしまったわ。」と不吉なことを言った。ポカリ入りの水は嫌いなようで飲まないので、ほんの少量のポカリを水に入れた。藤本さんにやっと連絡がついた。私の話を聞いてさすがにびっくりして「急いでもどる。」と言った。

17:30 獣医の米岡さんが来てくれた。一件キャンセルが入って早く来られた。お尻の穴の脇に糞がたまってしまい、それが膿んで痛くなっていたそうだ。老犬によくある症状だそうだ。岸本君がハッピーの体を押さえ、先生はビニール手袋をしてお尻の穴に手を突っ込み、膿をかき出した。ハッピーはものすごい痛がり声にならない声を出した。その後、抗生物質を注射した。牛用の太い針しかなかったのでそれを打ったが、ハッピーは何も感じていないようだった。先生が「痛みを感じない程、よっぽど弱っているんだなあ。」と言った。ブドウ糖の点滴もした。藤本さんが家を空けて何日かわからないが、その間にひもがからまり、動けなくなって脱水症状になって弱ってしまったのだろうということだった。確かにこのところとても暑い日が続いたからどんなにか辛かったろうに。とにかく、しばらくは楽な生活をさせてあげること。家の中で生活させてあげて、体をふいて清潔にし、食事もお粥などを食べさせ、毎日体重をはかり、糞やおしっこもチェックすることという指導を受けた。藤本さんが帰ってこないのでメモを取った。私はお粥をつくった。

18:15 藤本さん帰ってくる。獣医さんの話を説明する。今晩はもうすぐ映画祭の打ち上げだ。私たちはじいちゃんちに戻る。藤本さんはハッピーの看病でもちろん参加できない。今日は今後の話し合いをゆっくりしようとしてたが、それどころではなかった。私は風呂に入る。

19:00 今晩は映画祭の打ち上げだ。宮下さん、文代さん、亜海ちゃん、止揚くんの宮下一家やってくる。鳥肉の空揚げ、小松菜の味噌和え、野菜を持参。それから続々とみんなやってきた。美和ちゃんはシャケのホイル焼き。真以子さんと成田さんは餃子とうどん。憲一さんと聡美さんとあかりはじゃがいもと玉ねぎのオーブン焼きとルバーブパイ。佐野さんは天ぷら、コロッケ。共働学舎の加藤さんと佳子さんとサヤ、マナは生春巻き、圭介さんはワイン、遅れて箕浦さん、よっちゃんも8ミリ映写機を持ってやってきた。

 食べて飲んでひとごことち着いたので、あまり酔っぱらわないうちに、やることをやらなくてはいけなかった。

今回の映画祭で問題になった煙草の件を話した。煙草を吸いたい人、嫌いな人、気分の悪くなる人、煙りで体がおかしくなる人など色んな人がいるわけで、ただ分煙すればいいというものでもない、ということが今回よくわかったので、これからみんなでよく考えて来年に活かしていこうということになった。

新得バンドのCDジャケットのデザインを真以子さんにお願いした。みんなそろっているのでこの機会にとジャケットの打ち合わせもした。録音の岸本君が被写体の人たちに喜んでもらいたいという気持ちから、ミニCDをつくろうと言ってきた。私は映画の宣伝や紹介にも使えるし、これはいいアイデアだと思って「やろう!やろう!」と言った。そして、デザインを真以子さんにお願いしたらすぐにOKしてくれた。真以子さんは「つくるんだったら納得するものをつくりたいから、CDのコンセプトをもっとはっきりして欲しい。今の話だと、映画『空想の森』と空想の森映画祭と新得バンドという3つの要素があっってよくわからない」と私たちに言った。私はCDに関しては、岸本君がいいと思うものをつくればいいんじゃないかくらいにしか思っていなかったので、真以子さんの意見を聞き、それはもっともだと思った。私たち撮影隊そしてバンドのメンバーにもいっしょに、今年いっぱいくらい時間をかけてじっくりコンセプトを考えていきながら、CDジャケットをつくっていこうということになった。いいものをつくっていこうということで意見がまとまった。

そしてビデオ上映会を始めた。1本目は宮下さんが持ってきたビデオ。宮下さんたちの子供たちが小学校に通っていた時、学芸会で恒例で父兄の出し物をやっていた。この新内地区の父兄たち、宮下さん、文代さん、いんであん、その奥さんのはるみさん、進ちゃん(私たちが家を借りている故小川豊之進じいちゃんの長男)などの出し物、「剣の舞い」「白鳥の湖」が録画されている。私は見るのが3回目なのだが、何度見ても抱腹絶倒なのだ。「剣の舞い」では宮下さんが指揮者なのだが、音楽に合わせて、何かにとりつかれたように激しく真面目に指揮棒を振る姿がおかしてたまらない。「白鳥の湖」では、なんといっても白鳥に扮したいんであんが音楽に合わせて舞っている姿がたまらなくおかしい。もう1羽の白鳥、進ちゃんの踊りもおかしい。進ちゃんは7年前のちょうど今頃、突然亡くなった。「進ちゃんの供養になるね。」と文代さんがぽつりと言った。思いっきりみんなで笑った後、私たちが今回撮影した映画祭を1時間にまとめたラッシュを上映した。見ながら笑ったり、話したりみんなの反応もよく、なかなか好評だった。

その後は映画祭で十勝映像の記憶というプログラムで上映した30年くらい前に地元の8ミリ同好会の人がつくった「若者たち」、「カニの家」を上映した。ちょうど宮下さんやいんであんが新得に移住してきた頃の帯広のあたりの映像だった。この映像に触発されて、私は7年前に私がつくったビデオ「空想の森から」をみんなに見せてみたくなった。20分程のものなのでみんなに見てもらった。これがわりと反応がよっかた。佳子さんなんかは、「すごくよかったよ。なんで陽子ちゃんが今映画を撮っているのか少しわかった気がする。」というようなことを言っていた。

よっちゃんの自前の映写機で、宮下さんのいとこが撮った8ミリも上映した。生まれたばかりの止揚くんを嬉しくてしょうがないといったふうに抱いている若き日の宮下さんと文代さんがそこにいた。

0:00 みんな帰っていった。佐野さんは泊まっていった。

 

2005年7月3日(日)曇り。新内ホールにてOKIの野外ライブ。N’DANAも出る。

11:00 起床。腰浴。朝食。ご飯、目玉焼き。

12:00 新得バンド収録のラッシュを見た。あの日の雰囲気かよく伝わるものだった。岸本君とCDジャケットの話をする。

15:30 ハッピーの様子を見に、藤本さんの家へ行く。いんであん、美和ちゃんもハッピーの様子を見にたまたま来ていた。玄関に毛布をしいてあり、ハッピーはそこに横たわっていた。昨日よりだいぶ回復した感じで、落ち着いていた。ホッと安心してみんなでハッピーを囲んで昨日のことなどひとしきり話していた。ハッピーは私たちの話を聞いているようだった。死にそうにならないとみんなが気に掛けてくれないなんてかわいそうだから、普段からもっとハッピーをかまおうと思った。

CDの件、藤本さんに相談してみた。今の時点で新得バンドの曲をこの映画のテーマ曲として位置付けてつくったらどうかという助言。

17:00 じいちゃんちに戻り、私はコーヒー豆をひいた。今日は新内ホールでOKIのラ野外ライブだ。岸本君は山北君とマサトさんも出るので楽しみにしていた。私はライブを見ながら、美和ちゃんとコーヒーの屋台を出す。会場に行くと柏に木の下にコンパクトで機能的なカフェができていた。ホントこういうの美和ちゃんは上手だ。ホールの中の台所では、帯広でカレー屋をやっているジュンちゃんが打ち上げの料理をつくっている。箕浦さんは忙しそうに取り仕切っている。西村さんは焚き火やかがり火に薪をくべている。亜海ちゃんとまりんは受付嬢をしている。宮下さん、文代さんもきていた。映画祭のメンバーが色んな役割をしていた。私はコーヒーを入れながらライブを楽しんだ。岸本君は私のキャメラで大好きなマサトさんの写真を撮りながら、ライブを楽しんでいた。ツアー最終日でOKIさんはノリノリで終わったのは21時をまわっていた。むねはトラックを持ってきて野外ステージの解体指揮をとっていた。宮下さんや岸本君も手伝いに回った。

22:30 私は山北君、マサトさんとしゃべった後、一足先にじいちゃんちにもどった。N’DANAも今ツアー中で、7月5、6日と空いているので、じいちゃんちに泊まりに来ることになった。私は7日までじいちゃんちで後片付けなどしているので。夕食の準備をする。豚肉の生姜焼き、ご飯、キャベツの千切り。

しばらくして、岸本君ヘロヘロになって帰ってくる。「映画祭の片づけよりしんどかったわ。宮下さんもきつそうやったわ。」と言った。遅い夕食を食べ終わった頃、美和ちゃんがライブの打ち上げの食べ物を持ってきてくれた。カレー、新鮮でおいしそうなサラダなど。岸本君が片づけを手伝ってくれたので箕浦さんが配慮してくれたそうだ。それは明日食べることにした。美和ちゃんにバンドのレコーディングのラッシュを見せ、3人で色々話をした。今回の映画祭のラッシュはとてもよかったと、初めて美和ちゃんに言われた。

2:00 就寝。

 

2005年7月4日(月)少し雨。寒い。

9:00 起床。腰浴。朝食を早く起きた岸本君がつくってくれる。昨日美和ちゃんが持ってきてくれたカレーなど。あの美味しそうな野菜は、岸本君が炒めてしまし、すっかり変わり果てた姿になっていた。「ああいう新鮮で美味しそうな葉ものの野菜は生で食べる方が美味しいと思うんだけど。」と岸本君に言った。

藤本さんロケ費2万円持ってきてくれた。今日は空想の森便り第5号の宛名書きをする。岸本君にやってもらう。現在210人の方々に協賛金をいただいている。手書きでやってきたが、そろそろパソコンに入力してシールで打ち出せるようにしないと。寒いので薪ストーブを焚く。

12:30 映画祭のスタッフの青柳さんが協賛金を届けにわざわざ来てくれた。少し話す。藤本さんより電話。文化庁の助成金に応募したらどうかと。今年の12月までにシナリオなどを書いて応募しなくてはいけない。来年の春くらいまで撮影をするつもりだし、編集にもしっかり時間をかけたいし。などと話した。

13:30 進さんがくる。小川のじいちゃんの一番下の息子さんで、町に住んでいて時々この家の草刈り、除雪など色々とやっている。今年の映画祭のこと撮影のことなどひとしきり話す。7月末にまたロケをすることを伝えた。

16:00 学舎へ。岸本君が明日帰るのでお土産を買いに行く。美和ちゃん、聡美さんは、味わい便の発送作業で忙しそうだった。帰りにフィルムを出し、ハッピーの様子も見に寄った。うんちもしていたし、時々ハーハーと不整脈のような症状があったが、落ちついた様子。そしてじいちゃんちに戻った。

19:20 今日は夕食にお呼ばれしていたので岸本君と二人で山田家へ。今晩のメニューはお好み焼きとさやいんげんの炒めのも。あかりは岸本君を見て大泣き。だっこされて更に火がついたように泣く。有里ちゃんから電話がきた。今回の映画祭のラッシュのことや、新得バンドのレコーディングのことなど少し話した。映画祭でかなり疲れたようだったが、体調も少しもどってきたとのこと。今度ラッシュ見てもらおう。

岸本君がお好み焼きを焼き、聡美さんが風呂に入り、次に憲一さんが風呂へ。そしてあかりを入れる。風呂から出てきてみんなでビールで乾杯した。聡美さんのお好み焼きはおいしい。岸本君が持ってきた6月30日に収録した新得バンドの音を聴きながら食べた。憲一さんが「6月30日は今までの自分の人生の中で3本の指に入るくらい素晴らしい日だった。」と言った。私もそう思った。

「もう一度7月の末あたりに収録をしたい。」とバンドのメンバーの要望があった。圭介さんが新得にいるうちに収録をしようということになった。圭介さんは学舎から離れて、道南に移住し、独立する準備をしている。といことで岸本君の交通費は、半額バンドのメンバーが出してくれることになった。そんな話を4人でしながら、整音をお願いしている久保田幸雄さんもこの時来てもらえたらいいなあとか、N’DANAの山北君、マサトさんもいっしょにできたらいいのになどと話が盛り上がった。そしてCDジャケットをどうやってつくっていくかなども話し、じっくりといっしょにつくっていこうということになった。帰りに聡美さんがキャベツとさやいんげんをくれた。

23:00 帰宅。ストーブを焚きながら、岸本君ととりとめもなく色んなことを話す。

3:00 就寝

 

2005年7月5日(火)雨。寒い。

10:30 起床。腰浴。

12:00 昼食。ご飯、野菜炒め(キャベツ、ニンジン、厚揚げ、ピーマン、しいたけ、エノキ、しょうが)、煮物(豆腐、厚揚げ、しいたけ)、さやいんげんの湯がいたもの、じゃこ、納豆、味噌汁(豆腐、岩のり)、コーヒー。

13:00 岸本君は宛名書き。山北君より電話。今晩泊まりに来るとのこと。それで聡美さんと美和ちゃんに電話して、今晩いっしょに夕食をじいちゃんちで食べようと誘った。私は森の映画社の判子を取りに藤本さんの家へ。ハッピーは不整脈がまだあった。新しい水にかえてやって水を飲ませた。うんちに血が混じっていた。シャベルで外に出した。ハッピーは一度も立ち上がらなかった。まだ弱っている。ブラシをかけてやった。帰りに宮下さんのところに寄ると、作業小屋で小松菜の出荷の準備をしていた。

14:30 じいちゃんちにもどる。少し前に山北君たちがやってきて、オソウシ温泉へ行くといって出かけたそうだ。岸本君は宛名書きをギリギリまでやってくれた。私は封筒に判子を押して空想の森便り第5号をつめていった。そして岸本君がフェリーの中で食べるおにぎりをつくった。

17:30 山北君たちは戻ってこず。大好きなマサトさんと話せることを楽しみにしていた岸本君は残念がっていた。帰る時間になった。セイコーマートで荷物を出し、昨日出したフィルムの写真を受け取り新得駅へ。今回は苫小牧から船で大阪に帰るのだ。また3週間後ロケにくるのでしばしの別れだ。久保田さんにラッシュを送って手紙をかいて、久保田さんが都合良ければ撮影現場を見てもらうということで次回お呼びしようということを話した。そんなことを話しているうちに、2人で緊張してきた。岸本君にとってはプロの録音技師として最も尊敬する人であり、久保田さんの一番最近にやった仕事で黒木和雄監督の『父と暮らせば』の音が素晴らしかったと言っていた。久保田さんが沢山の経験があって現在活躍している素晴らしい録音技師であること、そんな久保田さんに、自分の現場をみてもらうということは嬉しい反面とても緊張する。が、私は今ようやく自分の現場を久保田さんに見てもらいたいと思えるようになったことが嬉しい。そして映画『空想の森』が久保田さんが加わることで、グレードアップすることは間違いない。

18:30 帰る途中に国道で1頭鹿を見た。藤本さんの家の裏の牧草地で角が立派な雄鹿と雌鹿、子鹿の3頭、いんであんの家の裏の牧草地で2頭鹿を見た。やたら鹿を見る日だ。米を研いで味噌汁をつくり、薪を運び風呂をいれた。

19:00 山北君、マサトさんが来る。岸本君が会えずに残念がっていたことを伝える。まもなくして仕事を終えた美和ちゃん、憲ちゃん、聡美さん、あかりもやってきた。聡美さんがシュウマイとサラダをつくって持ってきてくれた。学舎のチーズ、パン、いものきんぴら、デザート、ビール、ワインでみんなで夕食を食べた。楽しい食事だった。映画祭のラッシュをみんなで見た。山北君は眠そうだったが、しっかり最後まで見てもらった。この日はみんな泊まっていった。

3:00 就寝

 

2005年7月6日(水)雨。

9:00 起床。腰浴。朝食。コーヒー、パン、チーズ。美和ちゃんは仕事に出かけていった。憲一さんは休みの日、聡美さんは雨なのでじいちゃんちでゆっくりしていた。

10:30 私は雨の宮下さんの畑を撮影に出かけた。藤本さんの家にいって、映画祭のお金の精算などをした。

12:30 昼食。ごはん、味噌汁、いものきんぴら、キムチを山北君、マサトさん、聡美さん、憲一さんと食べる。

13:30 共働学舎食堂へ山北君、マサトさんもいっしょにみんなで行く。シュタイナーの発声ワークショップを受けに行く。フィンランドから先生を招いて杏奈さんが企画したのもだ。なんだか面白かった。眠くなったりした。

16:30 私は聡美さんの仕事を撮影。ハウスの中のトマトに珊瑚を噴霧機で噴霧しているところを撮影した。

19:00 帰ってきて機材整理とラッシュチェック。

20:30 夕食。聡美さん、憲一さん、美和ちゃんもやってきて、山北くん、マサトさんとにぎやかに食べる。ご飯、スープ(豚肉、シュウマイ、インゲン)、豚肉とキャベツとインゲンの炒めのも。サラダ。スープと炒めのもはマサトさんがつくった。なかなか料理が上手だ。

23:00 山田家帰る。山北君、マサトさんともゆっくり過ごせて、何だか楽しい2日間だった。

0:30 就寝

 

 

2005年7月7日(木)雨。寒い。

9:00 起床。

10:30 山北君、マサトさんは次のライブ地の北見へ出発。見送った後、私はしばらくボーとソファーに寝転んだ。「じいちゃん、終わったよ。」と写真のじいちゃんに報告した。いい撮影だったなあ。またすぐ次の撮影だ。次に向けてやらなくてはいけないことをノートに書き出した。まずは、便り第五号を役所へ行って印刷し、宛名書きの残りを書いて出すこと。久保田さんに手紙を書いてラッシュをコピーして送ったりなどなど。長かったロケが終わった。突然疲れがどっときたが、よろよろと掃除をしてゴミをまとめ、自分の荷物をまとめて車に積み込んだ。

 

今回は6/22〜7/7の映画祭の撮影の報告をまとめました。映画祭の撮影は私も被写体になっていたので、実際の撮影はどのようにしていたのかを、録音の岸本君に書いてもらいました。

 

<今後の予定>

10月後半 帯広にてラッシュ報告会(予定)

11月   札幌にてラッシュ報告会(予定)

この便りを書き終えた二日後、藤本さんからハッピーが死んだという知らせがきた。

 

 

<田代陽子の一人での撮影項目一覧>

(2005年2月〜5月9日までものもは第5号に書いた)

 

2005年撮影したこと

5月17日 

@共働学舎。聡美さんの仕事。トマトのハウスへの移植。泉さんの畑の視察。(共働学舎の敷地内の畑の他に近所にいくつか畑を借りている)

@食堂にて。原君のお父さんが送って来たタイをさばく池田さんのおばさんと原君。

@泉さんの畑にて、とうきびの種まき。聡美さん、牧也君、村上君、水もっちゃんなど。

5月20日 

@牧草地からの風景。

@宮下さんの家のロング、新内小学校周辺。(校舎、柏の木、サホロ川など)

@宮下さんの仕事。肥料まき。トラクターを使って。ラッパを使って。

5月21日

@共働学舎。羊の毛刈り。佳子さん、まゆこちゃん、学舎の子供たちなど。

6月10日

@共働学舎チーズ工房。搾乳を待つ牛たちなど。

@朝のミルクの受け入れ。美紗子さん。チーズ工房からパーラーへ。搾乳されている牛たち。フロマージュブランをつくる愛三(なるみつ)君。圭介さんのシントコの製造。(撹拌、型入れ、プレス)包装室にて、文代さん、美紗子さんなどがさくらの包装とコバンのシール貼り。愛三君のラクレットカット。発送室にて働く佐々木さん。包装室にて愛三君と千代さんがフロマージュブランのカップ詰め。

@作業が終わった誰もいない工房を二階から。

@放牧地の牛。

 

6月14日

@共働学舎。聡美さんの仕事。育苗ハウスにてカボチャの定植の準備。ハウスのきゅうりの水やり。トマトの苗木の支柱結び。

@加藤さんの牧草刈り。

@花子Bの畑にてカボチャの定植。

6月17日

@じいちゃんの牧草地より風景。

@宮下さんの仕事。チンゲン菜の間引き。トラクターでじゃがいもの土寄せ。人参の草取り。

空想の森便り 第5号 2005年6月

2005年6月
映画『空想の森』便り
第5号
監督:田代陽子

 

みなさん、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。この冬の北海道は雪が多く、寒い日も続いていたのですが、ようやく春の兆しが感じられ、そして6月。昨年の7月に便りを出して以来ご無沙汰していましたので、その間の報告と今後の予定をお知らせしたいと思います。

 

2004年夏秋 道内をラッシュ上映でまわる

 2004年の夏秋、映画『空想の森』これからも撮影を続けます、応援団を募集していますということをアピールするために、フィルムと映写機とスクリーンを持って、ラッシュ上映に出かけました。

 

2004年7月29日 帯広市 FLOWMOTION(カフェとギャラリーのお店で雑誌類もおいてある)にて『空想の森』ラッシュ上映会

フローモーション代表の高坂さんが主催してくれました。帯広で3年くらい前に開催されたデメーテルのスタッフをしていた20代の女性などが参加。上映後に私に感想などを話に来てくれました。フィルムの映像が美しかった、空想の森映画祭やこの映画づくりにも興味があると若い女性たちが言っていたのをとても嬉しく思いました。

 

 

2004年9月15日 亀田郡七飯町木村さん宅(七飯町でこなひき小屋というパン屋さんをやっている)にて『空想の森』ラッシュ上映と『闇を掘る』の上映会

 こなひき小屋のおかみさん、親方が主催してくれました。こなひき小屋さんのご自宅に、持っていった映写機を設置。天井も高く、家の周りは森で、なかなかいい雰囲気の上映会場になりました。暗くなるのを待って上映開始。『闇を掘る』は長いので大きなリールにフィルムがまかれています。ロングプレイユニットというものを使って上映するのですが、置く距離、フィルムの巻き取りの適正なテンションをつかむのに手間取ってしまい、親方にも手伝ってもらいながら、なんとか上映。上映後は親方とおかみさんがうまいワインをあけてくれ、共働学舎のチーズやこなひこ小屋パンを食べながら、見に来てくれた人たちと遅くまで色んな話をしました。ラッシュを見た感想として、沢山の人たちが出てくるが、これからどうフォーカスをして撮影していくのかが楽しみだ、また2年後おいでよというようなことを親方に言われました。

 

 

2004年9月16日 亀田郡大沼町の交流センターにて『空想の森』ラッシュ上映と『闇を掘る』の上映会

 以前2年ほど共働学舎にいた池田誠さんが主催してくれました。この時、大沼で国際ワークキャンプを誠さんが主催していて、そこに集まった色々な国の若者も参加してくれました。そんな訳でたくさんの人たちに見てもらえました。炭鉱出身で前から『闇を掘る』を見たかったという人に見てもらえたのもよかったです。夜は誠さんの家で遅くまで飲んで話し、彼の活動にも刺激を受けました。

 

 

2004年10月9日 中富良野町の大越さん宅にて『空想の森』ラッシュ上映と『闇を掘る』の上映会

 以前新得に住んでいて、私たちといっしょに空想の森映画祭のスタッフをやっていた大越夫妻が主催してくれました。大越さんの家も天井が高く、いい上映会場になりました。参加者の一人のご夫人が、「何か分からないままここへ連れてこられたけど、思いがけなくいい映画が見られてとてもよかった。こんな若い人がいるのを知って希望が持てたわ。」と感想を言われました。上映後は参加者の方々が持ち寄った料理を食べながら遅くまで話をしました。

 上映会で色々な人たちと出会えてみなさんと色々な話をするのも、映画をつくっていく中で、大きな力になっていくものだと改めて実感しました。主催してくださった方々、参加してくれた方々に改めてお礼を申し上げます。ありがとうございました。これからもこのようなラッシュ上映会をやっていきたいと思っています。

 

 2004年師走 ビデオに切り替えて私が撮影をすることを決めた

 2004年8月下旬、久しぶりの撮影を予定していました。その撮影直前、キャメラマンの大塚君がバイト先で大きな怪我をしてしまい、やむなくロケは中止。その後、心配していた怪我の方は治ってきました。

 12月、このことがきっかけで彼は27歳という自分の年令、生活や将来のことを前よりもっと考え悩むようになり、このままの気持ちでキャメラはできないということを私に伝えてきました。

 私は残念でたまりませんでした。キャメラもありフィルムもあり、新しい体制で撮影することに期待をもっていましたから、1回は撮影をやってみようよと彼に何度も言いました。しかし彼の悩みは深くなる一方でとてもこれから撮影していこうという気にはなれず、彼はやめることになりました。    

私はこれから一体どうやって撮影していこうか。八方塞がりです。体の具合も悪かったので、私は食材と鍋を車に積み込み、秋田の湯治宿へ向かいました。体があったかいと、心も何となくあったかくなるものです。同じ時に湯治に来ていた地元のばあちゃん3人組と友達になり、心に残る湯治生活になりました。風呂にはいって、オンドルの床に寝て、共同炊事場でご飯をつくって。そんなことをしながら、私はこれまでのこと、これからどうしていこうかなどを考えていました。

今まで『空想の森』をフィルムでやってきたのは、何より画が美しいのが好きだからということ、一人でなくチームで映画をつくっていくことをしたかったからです。フィルムのキャメラマンは誰でもできるものではありません。技術が必要です。そのキャメラマンをこれから探して、フィルムでやっていくのか、それともビデオに切り替えて自分で撮っていくのか。考えた結果、自分で撮っていくことを選びました。録音の岸本君、製作の藤本さんもそれに賛成しました。ただ岸本君は、『空想の森』をやってみたいという若い撮影スタッフがいるので、その人にも撮影に参加してもらって撮影を手伝ってもらった方が、この映画にとってもいいんではないかと私に言いました。ビデオで撮影することにしたけれど、スタッフでいっしょに映画をつくっていくことを大事にやっていきたいと私も思うので、やりたい人がいたらいっしょにやっていきたいと思いました。

 私でも扱えて、画の質がよいビデオで撮影していくことに決めました。色々調べて、中古だけど、すぐ使える状態のものを探して手に入れました。ビデオでやっていくということで、日常的にこまめに私が一人で撮っていくことが可能になりました。キャメラを通して被写体の人たちと向き合っていくことを、直接私自身がやっていくことの感覚を、早くつかみたいと思いました。そしてスタッフを組んでやった方がよい撮影と、私が一人で撮影した方がいい撮影をしっかり考えて、ロケを組んでいく、という方針を立てました。とはいうものの、私は撮影に関して、全く自信がありませんでした。このビデオの扱いを、お店の人やメーカーの人や岸本に質問したり、こんなに説明書を読んだことないほど読みました。

 

◆撮影日記◆

2005年2月23日。雪。

 記念すべき私の初めての撮影は、宮下さんの家。畑は一面真っ白な雪に覆われ、その向こうに宮下さんの家がいつものようにある。降りしきる雪の中、三脚を立て、キャメラを装着し、雪がかからないよう片手に傘を持ちながら構図を決め、絞りを決め、ピントを合わす。手がかじかんでスムーズに動かない。心の中で「よーい、シュート!」ファインダーの中の宮下さんの家を見つめる。「カット!」

 後で聞いた話だが、この時家の中に文代さんがいて、誰かが車がはまって動けなくなっているのかなと思い、双眼鏡で私を見ていたそうだ。陽子ちゃんとわかったら、傘持ちくらいやってあげたのに、と言われた。5カットくらいしか撮影しなかったが、時間がかかってとても疲れた。帰ってすぐラッシュチェック。やはり、ふつうのビデオの画像とは違ってフィルムのような質感がいいと思った。そしてなかなかよく撮れていて少し安心した。  風景撮りはやはり、しっかりと三脚を立てた方がいいと思った。

 

2005年2月24日。

 新内小学校周辺を撮影。まだ雪深い。

 

2005年2月28日。

 聡美さんの仕事。共働学舎野菜部の話し合いを食堂で撮影。初めて食堂で撮らせてもらう。聡美さん以外の人もそれ程キャメラに緊張した様子がなくホットする。これからも撮っていけそうだと思った。ただ、キャメラマイクで音を拾っているので、離れると会話が聞き取りにくい。会話を撮ろうとするとかなり寄って撮るしかない。これが一人撮影の不自由さだ。岸本君に相談しよう。

 

2005年3月2日。

 風もほとんどなくいい天気。朝から共働学舎小ビニールハウスのビニール張りの撮影。まだ雪がたくさん残っている中、野菜部の人たちの他、牛担当の加藤さんなども応援にきていて、総勢10人以上で作業をする。周りの雪をかいていく人。加藤さんなど男の人がハウスの上にあがりビニールを張っていく。タッカーでビニールをとめる。サイドに重しをつける。分業して結構スムーズに作業は進んだ。聡美さんは娘のあかり(生後6ヶ月)を背負ってみんなといっしょに作業。私はとにかくキャメラでしっかり被写体の人を見ることに集中して撮った。

 夕方。宮下さんのお風呂と夕食づくりの撮影。宮下さんの家のお風呂は五右衛門風呂だ。家を入ると土間があり、その右手に風呂がある。風呂の対面に台所がある。この日は、私の撮影の練習ということで撮らせてもらう。宮下さんは、冬場にいつもやっているスキー場の仕事からまだ帰っていなかったので、文代さんが薪で火をおこした。風呂用スリッパを履きタオルを持って、私は一番風呂に入らせてもらう。実は私は前からこの風呂に入ってみたかった。水は井戸水。薪で炊いたお湯の温もりは、何とも気持ちがいい。お尻の下から熱いお湯が上がってくる。熱くなってきたら水を足して調節。いい場所を探し、釜によっかかって風呂を楽しむ。

 1時間から1時間半かけて火をおこしてようやくお湯になり、その後も火加減を調節しながら入るのだ。風呂の水は風呂釜に栓がないので桶でくみ出す。毎日の生活の中でやるとしたら、結構大変だなあと思ってしまう。が、日々の自分の暮らしに手をかけ時間をかけることを大事にしていることは、なんて豊かな暮らし方なんだろうとも思う。宮下さんが帰宅し、風呂に入ったので、早速撮影させてもらう。風呂場は狭くて暗かったが、なんとか撮影できた。風呂の中で、宮下さんはキャメラ越しの私によく話しかけた。最後に「これ撮ってたの?」と聞かれた。

 台所仕事をしている文代さんを、私が土間越しで撮影していた時、風呂に入っていた宮下さんが文代さんに話しかけてきた。ちょうど中間に私がいたのでその会話が撮れた。これは私にとってはとてもワクワクした撮影だった。普段もこんな感じなんだろうなと思う場面が撮れたことがとても嬉しかった。そして夕食をご馳走になりながら、宮下さんと文代さんと色んな話をした。

 

2004年3月4日。 

 共働学舎食堂、朝。今まで私は、共働学舎を知り見に行って、学舎のチーズや野菜を食べたり、野菜の仕事を手伝ったり、ミンタルを手伝ったり、そして撮影を少しずつしてきた。いいところも、よくないところも私なりに感じてきたが、なんて魅力的でおもしろいところだろう思う。学舎でトウモロコシ人形などをつくっている工芸部の(野菜も手伝っている)加藤佳子さんと、学舎って生き物のようなものだねと話しをしたことがある。代表の宮嶋望さんのお話を聞く機会は今まで何度かあったが、現場で働く人たちとは、色んな機会でいっしょに飲んだり食べたりしてきた中で話もしたが、どうして学舎で、どういう思いでやっているのか、実際やっていてどんなことを思うか、学舎とはどういう存在かなど聞いたことはなかった。これから撮影していくのにも大事なことと思うので、インタビューという形をとって、キャメラを持って一対一で話をしたいと思った。食堂で会った時など、ひとり一人にその話をしてインタビューに応じてもらえるかと聞くとみんな「いいよ。」と言ってくれ、まずはホッとする。私が撮影することを全員が快くは思っていないことはわかるので、一人でもOKしてくれると嬉しい。

 

2004年3月8日。 

宮嶋牧也さんインタビュー。宮嶋宅にて。宮嶋家の長男。野菜の仕事をしている。あまり話したことがなかったが、人をやわらかい気持ちにしてくれる人だなあと思っていた。

 

2004年3月11日。 

山田圭介さんインタビュー チーズ工房2階にて。チーズに携わって10年。映画祭のおにぎり屋の大声、新得バンドでトランペットを吹いてる姿がとても印象的だった。彼のチーズをつくっている姿はあまり見たことがないが、チーズに対して、自分に対して向かい合っている姿が職人だなあと思う。どんなこと考えて、どんな仕事してるのか。

 

2004年3月15日。 

共働学舎ミンタルにて、定岡さんの事務仕事風景の撮影。学舎周辺の風景。
2005年3月17日(木)〜19日(土)新しい体制で初めてのスタッフ撮影

2004年3月17日。

新しいスタッフ体制

制作:藤本幸久、監督:田代陽子、録音:岸本祐典、新しいスタッフ:一坪悠介

一度、空想の森の撮影に参加したいと言っている一坪君が京都からこちらに来て、撮影をしてみようということになった。3日間だけだが、やってみることにした。藤本さんは札幌で別の仕事とのことで参加できず。まだ雪が深く、いつも宿舎に借りているじいちゃんの家を開けるのも大変なので、宿舎は藤本さんの家にする。が、井戸水を汲み上げるポンプが壊れていて水が一切使えない。ストーブは付くのでなんとか過ごせる。3日だけなので、宮下さんの家で水をもらえばなんとかなるだろうと。

19:30 新得駅に二人到着。初めて会った一坪は、風邪をひいていて辛そうだった。大阪の大学を卒業し、この春東京でアルバイトをしながら、撮影専門学校に通い、プロのキャメラマンを目指そうという若者だった。着いた夜、ストーブを囲んで今までの経緯を説明し、これからどんなふうにやっていきたいのか、今考えている構成プロローグ、エンディング、中身を話した。そして、この一年で撮影をして、編集作業して仕上げたいことを伝えた。プロローグとエンディングは、私も登場人物の一人になって一坪に撮ってもらうことを考えていた。中身の部分は私の目線で私が撮っていきたいと思っていた。録音の岸本君は他の現場で一坪君といっしょにやってきているので、中身の部分も一坪君に撮影をまかせるところがあってもいいのではと言う。私の撮影に不安も感じていたのだろう。一坪君もやってみたいと言う。私としては、ようやくキャメラにも慣れてきて、自分が撮影することが思ったより悪くなく、逆にいい面を感じていたし、これからスタッフ撮影をして自分の技術も上げていきたいと思っていたところだった。何より、一坪君とは会ったばかりで彼のことを何も知らないし、信頼関係もまだできていない状態で、大事な撮影をまかせるという気持ちにはなれなかった。とにかくいっしょにやってみてからだと思った。だから今回は、私がキャメラを持ち、風景などは一坪君が撮ってみるということになる。私は今回の撮影は久しぶりだったこと、また新しい人が来るということで、期待もあったが、一から関係をつくるのもしんどいなあとか、うまくいくかなあなどと同じくらい不安もありとても緊張していた。しかし、ここまできたら『空想の森』を完成させるために、自分の思うようにやっていこうと思っていた。

 

2005年3月18日。曇り。

6:00 三人で散歩。藤本さんの家から新内ホールへ向かって歩いていく。もちろん、いつでも撮影できる状態で。昨日降った雪が結構積もっていた。まだ誰も歩いていない雪の道に、私たちの足跡がついていく。3月半ばを過ぎたといっても、まだまだ春は遠い。宮下さんの家を撮影することにした。私にとっては初めてのスタッフ撮影。フィルムの撮影と違って、キャメラに岸本君のマイクをつける。その線はミキサーにつながれている。何カットか撮っていたら、宮下さんが出て来て、トラクターに乗り除雪をはじめた。歩いて近づいていって挨拶をし、撮影させてもらうことにした。トラクターの先にシャベルをくっつけているのだが、それが外れてしまっていた。ハンガーを針金がわりにして、ペンチでくくりつけていた。そしてようやく「ギー」という渋い音を発しながらシャベルは動いた。少し進むとまたどこかが調子悪くなりまた直す。そんなことを繰り返しながら、仕事前に除雪をする宮下さん。たまたま、いいところに出会っておもしろいものが撮れてよかった。

8:00 朝食。 食パン、学舎のチーズ(コバン、レラ・ヘ・ミンタル、カチョカバロ)

9:30 学舎へ。ハウスで種まき作業の準備の撮影。聡美さんや他の野菜部の人たちに挨拶をし、一坪君を紹介てから撮影開始。たい肥からできた土をほぐしたり、土を振るったり。聡美さんは、あかりを背負いながら指示をしたり、次の準備をしながらみんなの仕事を見たりする感じで仕事をしている。ハウスの中はほこりっぽいので、あかりの鼻の穴は真っ黒だ。私たちのキャメラも。時々ブロアーで土ほこりを払いながらの撮影だ。動きのある撮影をして、マイクの線がくっついているのが少し気になった。もっと岸本君との意思疎通が必要だ。私は大した理由もなくずっと広角で撮っていたので、マイクがフレームによく入ってきた。

12:30「カンカンカンカン。」食堂の鐘が鳴る。お昼ご飯の合図だ。これを前から撮りたいと思っていた。ハウスの仕事の撮影を切り上げ、食堂前に移動し、誰かがお昼の鐘を打つのを三脚を立てて待つ。この日は時間よりだいぶ遅れて鐘が鳴った。鳴らしたのは桜井さんだった。窓を開け、少し顔も出して丁寧に長めに鐘を鳴らしていた。人によって鳴らし方、回数もずいぶん違うのだ。それから、ぽつぽつと人がご飯を食べに食堂に集まってくる。

 午前の仕事を終えた聡美さんとあかりが、ごはんを食べに食堂に入るところを後ろからくっついて撮影。玄関前で私は雪に足を取られコケたが、撮影は続けた。この日のメニューはうどん。私たちもいっしょに食べた。お昼が終わると、お知らせや午後の仕事の報告をみんなでやる。その時に私の映画のスタッフを学舎のみんなに紹介した。

午後は学舎の周りをぐるっと走って見てまわった。

16:00 宿舎にもどる。キャメラ、機材の掃除などしてラッシュをチェック。ビデオだと撮ったものをすぐに見られるのがとてもいい。宮下さんの除雪はなかなかよく撮れていた。広角で撮るのはどうかということになった。私も画を見てそう思った。

 一坪君が、この映画は人の目のサイズ50ミリで撮っていったらどうかと思うと言った。近づく時は自分の足で寄る。離れる時も自分の足で離れる。そうだ、それがこの映画らしいと私も思った。それを重ねていった時どんなものになるか楽しみだ。音の方は初めて試した小さめのマイクだった。あまりよくなかった。キャメラマイクと変わりない感じだった。岸本君は今度はもっときちんといい音が拾えるマイクを持くると言っていた。初めての撮影で色々試しながらやって、だいたいの感じはつかめてきた。スタッフ間の役割もお互いわかってきたし、今回短い時間だったけどエイヤと撮影してよかたなあと思う。

夕食の準備をみんなでする。豆乳鍋だ。宮下さん、定岡さんもよんで、今夜はみんなでにぎやかにご飯を食べる。

20:00 食べはじめる。豆乳と昆布水にとり肉、白菜、塩をいれたシンプルな鍋。宮下さんがカボチャのテンプラを持ってきてくれた。

 

2005年3月19日。 晴れ。

8:00 起床

8:30 新内周辺を車で走る。一坪君、風景撮影。

10:30 ラッシュチェック。

12:00 昼ごはん。 パン、チーズ、ごはん

14:00 解散。二人を駅まで送る。また映画祭の前に一回撮影しようと言って別れる。その後、私は一人で撮影をする。新内周辺の風景。

 

2005年3月20日 

山田憲一インタビュー、山田家の家の中などを撮影。

聡美さんと2002年に結婚した。新得町内の北広牧場で働いている憲一さんにインタビュー。なぜ新得に来たのか、これからやりたいことなど。キャメラ越しで話しづらかったようだ。

 

2005年3月21日 

上佐幌、新内小学校など、風景撮影

 

2005年3月30日 

斉藤美紗子さんインタビュー。チーズ工房2階にて。チーズ工房に来て5年。カマンベールチーズを担当している。最近、同僚の斉藤愛三くんと結婚したばかり。種まきの撮影もする。

 

2005年4月6日 

宮下さんの風呂の撮影。この日、「カツ」という若者が遊びにきていた。彼は農業を志し、宮下さんの紹介で、新得の農家で働いていている。今回は宮下さんが火をたきつけるところから撮った。風呂場では彼にライトを持ってもらい撮影。夕食は彼が釣り堀で釣ってきた魚やら、彼の働いている農家でとれたホウレン草なども並び、豪華だった。私もいっしょに食べさせてもらう。

家に帰って、ラッシュを見直した時、標準ではなくなぜか3倍で撮影してしまったことに気がつく。宮下さんに電話し、再度撮影させて欲しいとお願いした。

 

2005年4月9日 

山田家にて。定岡さんと夕食にまねかれた。撮影する予定はなかったが、憲一さんと聡美さんが、独立のことなど今後の話題になったので、撮影をした。後にこの時撮ったものが、映画の中で、とても重要なシーンとなる。

 

2005年4月12日 

斉藤愛三さんインタビュー。チーズ工房2階にて。学舎に来て3年、ラクレットを担当している。チーズに対する愛情が溢れ出ている人だ。

 

2005年4月14日 

午前、聡美さんの野菜の仕事で、苗のポットへの移植の撮影。午後、柴田千代さんインタビュー。チーズ工房2階にて。彼女は学舎に来て2年くらい。コバンを担当している。 

 

2005年4月14日 

聡美さんのビニールハウス内の仕事の撮影

 

2005年4月15日 

育苗ハウスの中で苗の撮影。

チーズ工房にて愛三君のレラ・ヘ・ミンタルの反転、ラクレット磨き、圭介さんのさくら反転の仕事の撮影。この日、私は初めてキャメラを持ってチーズ工房の中へ入った。みんなの仕事の邪魔にならないよう気をつけた。ファインダー越しに見るチーズの仕事はとにかく面白い。使っている道具、製品になる前のチーズの姿。やっている人間たちもカッコ良く見える。熟成庫にも、初めて入る。なんとも素晴らしい空間なのだ。レンガと木のチーズの棚、そこにじっといるさまざまな年のチーズたち。神聖な感じさえする。

 

2005年4月16日 

熟成庫の撮影。帰りがけに清水町の十勝川で、白鳥がたくさんいたので車を降りて撮影する。

 

2005年4月16日 

苗の撮影。牧草地の馬の撮影。圭介さんのチーズ磨きの撮影。

 

2005年4月26日 

イモまきの撮影。3年ほど前、16ミリフィルムの時撮影したことがあるイモまきだが、畑の場所も違うし、メンバーも違うので、また雰囲気が違うものだ。今年は泉さんの畑。日高山脈の眺めがとってもいい、気持ちのいい畑だ。しかし風が強く、一人での撮影でマイクに風防もなく、音はきつかった。風の対策をどうもできず、とにかく撮影をした。

 村上くんと杏奈さんが結婚して学舎に帰ってきて野菜をやることになり、野菜部は今までと違って仕事のペースが上がってきている感じだ。一人目がイモまき。しょいこを背負い、種イモを同じ間隔に落としていく。二人目が白い珊瑚の粉をイモにふりかけ、三人目が黒い炭の粉をイモにふりかけ、4人目がイモを軽く踏みながら土をかけていく。今年は新兵器があった。ビニール管を工夫して、イモを等間隔に落としていける道具を、木工部門のげんちゃんがつくってくれたのだ。なるほど、見ていると、しゃがまないで立ったまま等間隔にイモを落としていける。なかなか楽そうだ。加藤佳子さんがやり方を教えたり、全体を見て畑を走りまわっている。聡美さんもあかりを背負ってイモに土よせていったり、あかりのおむつを取り替えたり、次に使う畑を計ったりしていた。食堂での昼食も撮影した。

 

 

2005年4月28日(木)〜5月9日(月) 2回目のスタッフ撮影

2005年4月28日。晴れ。 

昼過ぎ、帯広で一坪君をピックアップ。新得へ向かう。今回の宿舎はじいちゃんの家。一坪君と二人で家を開ける。荷物を運び込み、電気の元栓を入れ冷蔵庫を稼動させ、水落としを解除。しばらくしたら、床に水があふれていた。とりあえずふいて、洗面台の下にある水落としのレバーの辺りを見てみる。配管が外れているところがあり、どうやらそこから水が漏れているようだ。よく調べると、お湯を使う時に漏れてきて、水だけ使う時は大丈夫だ。いんであんに電話したら留守だったので、宮下さんに電話する。明日見に来てくれることになった。それまでお湯は使えない。

19:30 岸本君を新得駅に迎えに行き、そのまま山田家へ。夕食に招待された。定岡さんもやってきて、みんなで夕御飯。豚肉のオーブン焼き、りんご、たまねぎ、ニンジン、イモもいっしょに焼いてあり、どーんと豪勢な食事だった。それに学舎のごぼうをさっとゆがいて塩、バルサミコ酢、オリーブオイルであえたもの、デザートは甘夏のジンあえ。おいしく楽しい食事だった。

22:30 宿舎に戻って、機材チェックなど。

0:00 就寝

 

2005年4月29日。くもり、晴れ、にわか雨。

3:00 起床。

4:00 まだ辺りは暗い。北広牧場へ車で向かう。憲一さんの仕事のロケハン。撮影できる体制でいく。今回は一坪君の撮影。370頭ほどの牛をしぼっている。午前中の憲一さんの仕事は、主に牛をパーラーへ送り込み、糞をシャベルやトラクターで出して堆肥舎へ運ぶ。以前撮影した時より100頭ほど牛が増えたので、仕事の始まりも1時間早まった。ロケハンだったが、憲一さんの動きを確認しながら撮影もした。7時頃、にわか雨が激しく降った。

8:30 じいちゃんの家に戻る。

9:00 宮下さんが水漏れを見に来てくれる。これは業者に見てもらった方がいいとのことで、どこに頼んだらいいか教えてもらった。

朝食 コーヒー、楽園ベ−カリー(私のバイトしている店でパンをたくさんいただいた)のパン、学舎のチーズ。

ひと休みして、二人は外で生ごみの穴掘り、私はキッチンの片づけ、掃除などをする。そして、今朝撮ったラッシュを三人で見る。なかなかよく撮れていた。手持ちのぶれはもう少し改善した方がいい。本番に向けての撮影のポイント、これからの話し等する。

13:30 業者に電話。すぐ見にきてくれるとのこと。見てもらうと6千円で直してくれるというので、お願いし、明日道具を持って直しにくることに。これでお湯が使えるようになる。

15:00 仮眠

16:30 近くの狩勝温泉に行き、風呂に入る。

17:30 夕食 ご飯、山田家からもらった塩辛とたらこ、聡美さんがつくった煮豆、うどん(学舎のねぎ、ゆで卵)

20:00 ラッシュを見直す。色んなことを率直に話しながら撮っていきたいと話す。

 

2005年4月30日。晴れ。風強し。

7:30 起床。朝食 パン、チーズ、コーヒー。

9:00 水漏れを直しに業者がくる。私たちは、前の牧草地へ。ネコさんから借りたデジカメで映画祭のプログラムに載せる撮影風景の写真を撮影。天気が良く山々が抜群にいい。後に、ここが私たちの大事な撮影ポイントとなった。

10:00 私は帯広へ。今年の空想の森映画祭のチラシの打ち合わせ。真以子さん、ねこさんと十勝プラザにて。今までのことを振り返ったり、それぞれの映画祭に対しての思いなどを話す。

18:00 新内にもどる。

19:00 夕食。ごはん、味噌汁、一坪作オムレツ(玉ねぎ、にんじん、ラクレット)

21:00 ラッシュを見ながら明日の撮影の打ち合わせなど。この時、ネズミが一匹走っているのを見てしまった。ネズミ取りを仕掛けた。明日はいよいよ一坪君が撮影する憲一さんの仕事の本番の撮影だ。

22:30 就寝。

 

2005年4月1日。曇り。寒い。

2:40 起床。頭の中が撮影モードに切り替わり、興奮して色んなこと考え、寝たんだかなんだかわからなかった。

3:30 出発。

3:45 北広牧場到着。自分たちの長靴、三脚などを消毒。初めのカットの確認。電気をつけ、憲一さんの動きをイメージしながら、カメラをのぞきながらシュミレーション。パーラーを抜け、牛舎への柵をすり抜け、一番初めにやる糞出しの仕事にとりかかるところまで、ワンカットでいこうと。

4:00 憲一さんが時間きっかりにやってくる。少し疲れ気味の様子。「おはよう。」と挨拶をし、着替えに事務所の中へ。出てくるところからシュートした。さっきシュミレーションしたようにワンカットでなんとかいけた。シャベルで糞出し、トラクターで糞を一ケ所に集め、堆肥場へ運ぶ。牛の数を増やしたので、今は6棟の牛舎になり、2棟の牛舎は元の牛舎の奥にできた。前よりも素早く無駄な動きもなく、牛をパーラーへ出し、牛舎に戻し、切れ目なく次の棟の牛を送り込む。

 糞の量もハンパじゃない。牛が少し走ったりすると、糞が飛んでくる。お産直後の牛がカルシウム不足になり、立てなくなっていた。トラクターにくくりつけられ、牛舎の端に引っ張られていった。真近で見ていた私たちは、何か大変なことが起こったのかと思っていた。カルシウムを与えてやればすぐ元気になるそうだ。ロケハンをしっかりして、憲一さんの動きがあらかたわかっていたのと、撮るところを絞ったので、いい感じで撮影ができた。

8:30 撮影終了

9:00 機材整理。家の掃除。朝食。 目玉焼き丼、味噌汁、牛蒡のみそづけ、たらこ、のり。

10:30 朝に撮ったラッシュを見る。なかなか良かった。

12:00 トムラ登山学校へ、お風呂にはいりに行く。

13:30 休憩、仮眠。

16:30 夕食。豚肉と白菜の鍋。昆布水、しょうが、にんにくたっぷりの。うどん。

19:30 「新得バンド」の練習の撮影。一坪君が撮影をする。練習小屋にて。憲一さんの牧場の社長さんが、自分の小屋を使わない時貸してくれている。新得バンドは山田憲一、聡美、西村嘉洋、定岡美和が主なメンバーで、自分たちの好きな音楽を楽しんでいる。お祭りや保育所などに、時々呼ばれて演奏したりしている。音楽は、それぞれにとってなくてはならない大事なもののようだ。この日、聡美さんと定岡さんは風邪気味で参加できず、男3人の練習となった。今は今年の映画祭に向けての練習をしている。空想の森映画祭のさよならパーティーで演奏をすることが、ここ最近恒例になってきて、今年もやる気満々だ。仕事が終わってから集まって練習したり、聡美さんがあかりを産んでからは、昼間に集まって練習することが多くなったそうだ。小屋が狭いため、私は中に入れず、外でうろうろ。見ていて、いい感じで撮れてそうだった。

22:30 撮影終了

23:00 ラッシュを見る。普段の練習の感じがよくでていて、なかなかよいラッシュだった。明日チーズ工房の撮影なので、前に私の撮ったチーズ磨きのラッシュをみる。明日は私が撮影をする。

1:00 就寝

 

2005年5月2日。曇りのち快晴。

5:00 起床。朝食。パン、コーヒー、チーズ。

5:50 共働学舎チーズ工房到着。この日は、チーズ職人山田圭介さんの仕事を私が撮る。色々な種類の仕事を、動き回ってやると、事前に圭介さんに言われていた。とにかく一日、圭介さんについていって、どんな仕事をどんな顔してやっているのか見てみようという気持ちで臨んだ。撮影隊も白衣を着て、髪の毛が落ちないよう薄い帽子をかぶり、白い長靴を履き、工房の中へ。まず、長靴を消毒。三脚の足も消毒。そして手をきれいに洗う。中ではすでに5時から仕事が始まっている。朝一番で隣のパーラーで搾乳された乳が、ホースを通って工房のミルクタンク(パスとよぶ。これは2重になっていて冷やしたり殺菌したりできる入れ物)に流し込まれる。朝の乳の受け入れは当番制で、早出の人の仕事だ。何の動力も使わず、建物の高低差を利用して乳が流れてくるのだ。これが学舎のチーズが美味しい理由の一つだ。

6:00 圭介さんがやってくる。さくら用の乳が3樽。この樽をキューブと呼ぶそうだ。理科の実験のように、ほんの少しの液体をポタッといれる。かき混ぜる。この1キューブで66個くらいのさくらができる。そのキューブを違う場所へ移動し、今度はフロマージュブランの仕込みとクリームチーズの仕込みに入る。その合間に圭介さんは実験室みたいな部屋で、その日の仕事日報のようなのもを書いたり、自分のノートに何やら書き込んだりしている。このノートは圭介さんの個人的なもの。試していることの記録や結果や気付いたことなど、チーズに関しての自分の大事な記録のようだ。       

 この日はラクレットのカッティングと撹拌を愛三君といっしょにやる。大きな四角いステンレス製の入れ物(バット)に入ったラクレット用の乳が凝固してくると、針金のたくさんついたようなもので細かくカットしていきながら、木製のシャベルのようなものでゆっくりと八の字に20分間休まず撹拌。1つのバットに500キロのミルクを入れてそれから、10ホールのラクレットができる。2バットつくるので、一回に20ホールできる。愛三君がカッティング、圭介さんが撹拌。真剣な顔だ。みるみるうちに黄色っぽい水分(ホエー)が多くなる。たまにすくって食べたり、にぎったりチーズの状態について話したり。息の合った二人だ。私は夢中になって撮影していた。一坪君が絞りとピントをやってくれたので、私は構図決めるだけでよかったので、スムーズに撮影ができた。チームでやるよさを実感した。それが終わると、今度は包装室へ。ラクレットのカット、そして真空包装、シール張り、さくらの包装とシール張り。この日は宮坂さん(学舎のメンバーで最近チーズ工房の仕事を手伝うようになったそうだ)と珍しく共働学舎代表の望さんも手伝いに来ていた。さくらは去年スイスで開催された山のチーズオリンピックで金賞を受賞したこともあり、張るのシールの数が多い。一枚一枚手ではっていく。直径30 cmのラクレット(重さ6キロくらい)を、大きなチーズ用のカットナイフで、圭介さんが手慣れた手付きでカットしていく。断面のにおいをかぐ。「なかなかいいんじゃない。」試食用にスライスし、みんなで食べてみる。そして次々と一つ200グラムほどにカットしていく。そのラクレットを宮坂さんがビニールに入れ、望さんが真空パックにする機械にセットし、パックにしていく。そして千代さんがシールをはっていく。圭介さんは何をやっても手早くきれいに仕上げる。器用な人だ。こうして製品となってこのチーズは今日の夕方、方々へ運ばれていき、誰かの口にはいるのだ。ようやくお昼になった。私はすでに集中力が限界になってきて、へとへとだった。

13:00 お昼ごはん。食堂にて圭介さんが食べているところを少し撮影する。そして私たちもいっしょにお昼ご飯を食べた。

14:00 天気がとてもいいので、学舎の牧草地へ行ってみた。馬が2頭草をはんでいる。牧草地の一番高いところまで登り、風景の撮影。一坪君が撮影。一坪君はパンが上手だなと思う。一定の速度でカメラを動かせる。三脚が壊れてるせいもあるが、私はそれがうまくできない。

15:00 熟成庫にて圭介さんのチーズ磨きの撮影。私はへろへろになっていたので、一坪君に撮影を頼んだ。学舎の一番大きいチーズシントコ(直径70センチで重さ40キロほどある)の磨き。シントコは、放牧している時の牛乳400キロから2ホールできる。見て、触って、匂いをかいで、空気を感じて、熟成庫の中でひとつ一つのチーズに向き合い、きっと色んなこと考えたりしているんだろうな。あらかたの圭介さんの仕事が終わり、私たちは工房を出た。

ゴールデンウィーク中で、ミンタルはお客さんでにぎわっていた。その中に、たまたま西村有里さん、嘉洋さんが嘉洋さんの母さん、ばあちゃん、妹といっしょに遊びに来ていた。シューソフトなどを食べていた。挨拶をしてスタッフを紹介し、ちょうどいい機会なので、少し彼らを撮影させてもらう。人が多いのでマイクを切り離し、私が手持ちでキャメラを持ち、有里ちゃんに家族の紹介をしてもらう。本当に明るくて楽しい家族である。特に真知子母さん、おばばはお茶目だ。そして、ミンタルで働いている定岡さんも少し撮影させてもらった。それから工房のロングなど、外観を撮影。そして私たちは食堂のベランダへ出て座る。天気は最高、なんとも静かで平和な感じだ。ワンカット撮影して今日は終了!長い一日だった。風呂へ先にいくか、夕御飯何にしようかなど、しばらく3人でベランダであれこれ話す。今日はとても疲れたので、つくるのもおっくうなので食べに行くことにした。

17:30 宿舎にもどる。機材の整理。

18:30 トムラ登山学校へお風呂は入りにいく。その後焼肉を食べにいく。

22:30 もどってきて就寝。

 

2005年4月3日。快晴。

4:00 起床。私たちは新得らしいロングの風景を探していた。候補地として、1、宿舎の道をはさんだじいちゃんの牧草地からの山々の風景、2、じいちゃんちの前の道を上佐幌方面に向かっていった高台のところからの風景、3、狩勝峠からの風景を上げていた。そのポイントへ行ってみた。

 憲一さんの仕事の撮影の時は薄暗かったのに、今日は4時ですでに明るかった。日に日に日の出が早くなっている。3箇所のポイントに行って撮影をした。どこもとてもいい風景なのだが、やはり、じいちゃんの牧草地からの風景が私たちに一番しっくりきた。

6:30 宿舎に戻る。朝食。パン、チーズ(コバン、レラ、クリームチーズ)イモのオリーブオイル炒めツナ入り(聡子さんからいただいたイモ)

10:00 私は学舎に忘れ物を取りにいったり、買い物したり、西村さんの家に行ったり用事をたす。

15:00 昨日のラッシュを見ながら話し合い。チーズ工房での私の撮影も、途中からだんだん落ち着いていい感じで撮れていた。私は圭介さんと愛三君のラクレットの撹拌のシーンがとても好きだ。

20:00 夕食。ごはん、聡子さんからいただいた長いものポン酢あえ(のり)、学舎からもらった牛蒡のサラダ(オリーブオイルバージョン、ごま油バージョン)、一坪君のつくった卵スープ。

22:00 明日の愛三君のチーズの仕事の撮影を、一坪君にまかせることにした。前に私が撮影した愛三君のラクレットの作り方を解説してくれたラッシュを見る。そしてなぜか映画につける音楽の話しになる。岸本君がブラジルの音楽なんかどうかとか。私はケルトもいいんじゃないとか。それにしてもこの映画1時間30分に納まるかなあ。などなど。

11:45 就寝。

 

2005年4月4日。晴れ。

4:00 起床。 朝食。パン、チーズ、コーヒー。

5:30 チーズ工房到着。白衣を来て機材や手の消毒をして、工房の中に入る準備をすませる。今日は一坪君の撮影で愛三君の仕事を撮る。この日はレラ・ヘ・ミンタルという大きなチーズをつくる。400キロのミルクから2個しかできない。かなりミルクから水分を抜くチーズなのだ。凝固剤をいれてしばらくおいて、カッティング、撹拌など、時間で作業行程が決まっている。計算した量のホエー(乳清)を抜いたら丸い木の枠に型入れ、成型、決まった時間で反転、そして24時間塩漬けした後、48時間乾燥させる。そして熟成庫へ運んで最低約2ヶ月くらい熟成させる。その間、毎日チーズを磨いたりして面倒をみて、ようやく出荷できるチーズになる。この作業の間、触ったり、匂いをかいだり、食べてみたり、ペーハーを計ったりしながら、状態を常にみている。きっとその中でやることを微調整していっているのだろう。愛三君は私たちに、次にやることを先に教えてくれたり、説明してくれたりしてくれる。

 朝一番の仕事が一段落し、8時過ぎ、工房の休憩室で朝食を食べる。自分のつくったラクレットをトースターで溶かし、パンにのせて食べる。私たちもいっしょに食べさせてもらう。途中、千代さんもやってきた。彼らはここでもチーズの話が尽きない。本当にチーズが好きな人たちだ。朝食後、私たちは工房の外に出て、外から工房を撮影していた。すると千代さんが「次の作業に入るから急いで中に入った方がいいよー。」とわざわざ呼びに来てくれる。再び中へ入る。この撮影中、私は一坪君の撮影が、作業を追っているなあと少し気になっていた。撮りどころが私と違うなあと。私が、こういうところを狙ったらどうかと彼らに言った時、一坪君も岸本君も何かが違うと感じていたようであった。仕事の終わりで工房の掃除をしていた時、愛三君と学舎の子供たちとのちょっとしたシーンが撮れた。これが撮れて私は良かったと思った。

12:30 昼食。食堂の昼食風景は、私が撮影をした。私は初めて厨房の中に入り、そこから食堂を撮影できた。続々とみんな食べにやってきて、ご飯と味噌汁をよそって席についていく。三人体制で撮影していたが、みんな別段キャメラを気にしていなかった。厨房から出て、階段の下から、吉田あゆみちゃんがご飯をよそっているところを撮っていると、ちょうどそこに愛三君が入ってきた。よしこのまま撮るぞと思い、愛三君を追った。愛三君が席につこうとテーブルに向かっていく時、午後の予定がちょうど始まった。それに合わせて私はゆっくり動き出した。夢中でキャメラをまわした。一坪君は私の横について絞りをきっていく。ひとり一人午後の仕事を言っていき、終わると食事の片付けが始まるのだ。食事の時、今までで、一番人に近づいた撮影だった。私一人でなく録音の岸本君、助手の一坪君もいてどうかなと少し心配だったが、キャメラ越しには、ほとんどの人はそれ程撮影を気にしないで、それぞれしゃべったり食べたりしていた。この長いワンカットが撮れて、私は嬉しくて興奮した。そして愛三君の食べてるところを撮影してた時、ちょうどあかりをおんぶした聡美さんがフレームに入ってきたりして、すごくおもしろい撮影だった。

18:30 撮影終了し、新内へ帰る途中、とてもきれいな夕焼けだった。あの牧草地から撮りたいと思い、車を飛ばした。急いで牧草地へ。あっという間に日は落ちていく。一坪君が三脚を立て、夢中に夕景を撮影している。岸本君は少し離れた場所で、じっと音を撮っている。私は牧草地に止めた車の屋根に座り、日高山脈の雄大な風景と二人が撮影している様子を眺めていた。「ああ、スタッフで撮影するっていいものだなあ。」としみじみ思った。

20:00 夕食。ぞうすい(たまねぎ、白菜)一坪君つくる。

21:00 ラッシュを見る。一坪君は今回の自分の撮影に関して「全然ダメだった。」と落ち込む。作業を追ったものだったと反省しきりだ。被写体の人たちとの関係がないだけに、仕方がない部分もあったと私は思う。今後に活かせばいい。私は食堂のシーンがよく撮れていたのでとても嬉しい。私が撮った方がいいもの、一坪君が撮った方がいいものがあると思った。

0:30 就寝。

 

2005年4月5日。快晴。

8:30 起床。私は天気があまりにもいいので、牧草地へ行って風景撮影。二人はまだ寝ている。今まで朝の早い日ばかりだったので、今日はゆっくり寝てようということになっていが、体は疲れているのになぜか私は起きてしまった。

今日は、夜に聡美や憲ちゃんや圭介さんや愛三君や美和ちゃんや有里ちゃん、宮下さんなどの被写体の人たちを一品持ち寄りでじいちゃんちに招待している。そこでご飯をみんなで食べながら、今まで撮ったものを1時間に編集してみんなに見てもらう予定だ。

9:00 二人が起床。今晩みんなが来るので、二人は家の掃除にかかる。玄関、トイレなど。

11:00 編集作業開始。編集機材がなく、ビデオデッキと、キャメラを使って荒い編集だ。結構手間のかかる作業で、結局みんなが来るぎりぎりの時間までやってやっと完成。私たちも何品かつくる予定が、何もつくることができなかった。

18:30 聡美さんがあかりとやってくる。チラシ寿司をつくってもっきた。あかりを風呂に入れるため、お湯をはっていたので、まずは聡美さんが風呂に入る。私があかりを風呂にいれるのを手伝うのは2回目だ。そして私があかりを寝かせ服をぬがし、風呂の中の聡美さんに渡す。いつものようにぎゃーぎゃー泣き叫ぶあかり。しばらくして「いいよー。」と聡美さんの声。今度はタオルを持ってあかりを受け取りに行く。そしてまた泣き叫ぶあかり。バスタオルの上に裸のあかりをのせ、水分を拭き取り、二重におむつをする。が、あんまり泣くものだから、なかなかおむつをつけてやれない。そうしてるところに千代さんが来た。仕事が終わってからつくった餃子とイカのトマト煮を持参。おいしそうだ。そうこうしてるうちに、聡美さんがお風呂からあがってきてバトンタッチ。そして美和ちゃんはレンコンととり肉のあま酢煮、宮下さん、文代さんそして長男の止揚くんは、採りたてのアイヌねぎのテンプラとそばサラダ、愛三君と美紗子さんはトチーズとイモもオーブン焼き、圭介さんはチーズ、有里ちゃんと嘉洋さんはタコのマリネなどを持って続々とやってきた。私たちはアルコールだけ用意した。本当はつくりたかったので、次回は私たちもつくってみんなに食べてもらいたい。遅れて箕浦さんもやってきた。

 食べてお腹も落ち着いたのでラッシュ上映を開始。今までと違って今回はビデオなので音もついている。まずは、被写体の人たちに見てもらえることが本当に嬉しかった。こういう日が迎えられて良かったとホントに思った。見終わった後、感想やら意見やら色々と聞いた。一番印象に残っているのが、「これがこんな感じで映画になっていくのやなあと初めて思えて安心した。」という宮下さんの言葉。美和ちゃん、聡美さんなどは「自分たちは知ってる人たちばかりだからわかるけど、全く知らない人が見てどう思うかねえ。」と言っていた。確かにそうだ。早く知らない人たちに見てもらいたい。そして圭介さんが帰りがけに「オレは協力できることはやるから、がんばれや。」と。嬉しい言葉だった。不安や自信のなさを抱えながらも、今まで私は被写体の人たちに自分なりのアプローチをしてきて、そして初めて自分の思うように撮影して、少しづつ「このシーンいいなあ」と思えるものも撮れてきた。スタッフを組んでの撮影も、この映画に対する思いや言いたいことは全て言ってきたし、お互いの役割がわかってきて協力しあい、刺激し合いながらやれたことで、スッと何かから解放された感じがした。この夜のことを私は忘れないと思った。

1:00 最後に宮下さん、箕浦さんが帰っていった。就寝。

 

2005年5月6日。晴れ。

9:00 起床。皿洗い。朝食。昨日の残りのそばサラダ、ポテトグラタン、フロマージュブランに原地さんからいただいたホエイジャム。

豪華な朝食の後、3人でこれからの話をした。これからもスタッフ撮影は共同生活をしながらの撮影になるわけで、食べること、短い間だけど、いっしょに生活することをそれぞれが大事にして撮影にも活かしていきたいと私は言った。

そして次回の撮影となる映画祭の撮影について、どんなところを撮っていくのかなどイメージを話し合う。映画祭の後、新内ホールで新得バンドのレコーディングをして、これは今のところ、この映画のプロローグにと考えている。私も登場人物になり、一坪君と岸本君に撮影をまかせるつもりだ。そしてさよならパティーのライブ版とあわせてCDのミニアルバムをつくって、映画が完成し上映の時にパンフ代わりに売ったらどうかなど。

最後のシーンは秋、新内ホール校庭での窯パーティーと決めている。そこも私は被写体の一人になり、一坪君と岸本君に撮影をしてもらいたいと思っている。エンドタイトル前には新得バンドのメンバーに協力してもらって、新得町内の色んな場所で移動撮影を考えている。そんなことを3人で話しているうちに、エンドタイトルについてのいいアイデアも飛び出した。そして岸本君、一坪君は自分たちも何か一つ楽器をマスターして、最後に新得バンドといっしょに演奏に加われたらいいなあなどと言う。「それはいいんじゃない。」と私。なんだか楽しみになってきた。

13:00 一坪君が帰るのでミンタル寄ってチーズをお土産に買う。愛三君は二人に大きなチーズをくれた。そして帯広空港まで送っていった。私と岸本君は帰りに電器屋に寄ってケーブルを買ったり用をたす。これからの編集方法や、ラッシュチェック方法など色々話し合う。帯広温泉で温泉に入って帰る。

21:00 宿舎にもどる。岸本君とこの映画のテーマなどについて話し合う。見た人が自分を振り返ることができる映画になればいいなあなどと岸本君が言う。私もそう思う。

23:00 就寝。

 

2005年5月7日。雪。

7:30 起床。寒かった。外はみぞれ。そのうち雪へ。この時期の雪はめずらしい。今日は聡美さんの仕事の撮影だ。

9:20 出発。途中、宮下さんの家に寄り、前に失敗した風呂のシーンを再度、撮影したいことを伝える。聡美さんの家にまだ彼女の車があったので、寄ってみる。ちょうど憲一さんが朝食を終え車に乗り込むところ。「今日は昼休みゆっくりできそうだよ。この天気だから。」と言って出かけていく。聡美さんに今日の仕事の内容を聞く。大きなトマトのハウスの中の牧草抜きと畝づくりとのこと。

10:00 学舎に到着。結構雪が降ってきた。雪の降りしきるハウス、食堂、牛舎など撮影。聡美さん、まゆこちゃん、村上くん、あゆみちゃんなどやってくる。ハウスの中にはえている牧草を抜いていく。これがなかなか手強い。シャベルを使って根っこから取り除く。佳子さんがネコで一ケ所に抜いた草を集める。マルチを張る幅が1メートル、通路60センチと棒とヒモで印しをつけていく。そしてその際に、くわで溝を掘っていく。この溝にマルチの端が埋められていくわけだ。ハウスは縦に長い。それぞれ草を抜く人、草をネコで集め運ぶ人、溝を切る人など分担してやっていく。誰かと近づいてくると、話がどちらからとなく始まる。学舎の話、天気の話など。かと思うと地面に向き合って黙々とやっていたり。今日はそんな感じを撮りたかった。お昼の鐘がなり、午前中の仕事はこれで終わり。私たちは挨拶をして、宿舎へもどる。

13:30 昼食。おかゆ、れんこんと卵ととり肉の煮物の残りもの。

15:30 宮下さんの風呂の撮影。春の雪景色なども撮影。宮下さんが火を炊くところから撮る。もう3回目なので、撮りたいところをねらって撮影できた。風呂場の中で録音の岸本にライトも持ってもらったのだが、宮下さんの顔に影ができてしまい、これはあまりよくなかった。風呂をあがった後、ビールを飲みながらの宮下さんの話が撮影できたのがよかった。

19:20 撮影終了。

20:00 夕食。イモのオリーブオイル炒め。

21:00 ラッシュを見ながら色々話す

1:00 就寝

 

2005年5月8日。快晴。

5:00 起床。今日は聡美さんの朝一番の仕事と、山田家の朝食と聡美さんとあかりの散歩の撮影。

5:30 昨晩の雪が積もって、朝の光を浴び、外は素晴らしく美しい。車に乗り込む前、思わずキャメラをまわす。出発し、じいちゃんちの前の坂を新内ホールへ降りていく途中、左手の新内の森に朝靄がかかり、幻想的な光景が目に飛び込む。車を止め、まずそこで何カットか撮影。こんな風景にはめったにお目にかかれるものでないと思い、岸本君に「引き返してじいちゃんの牧草地からの景色をねらおう。」と言った。聡美さんに電話をかけ、事情を話し、朝の仕事の撮影はキャンセルし、朝食から撮りに行くことを伝える。急いで牧草地へ行く。もうそれはそれは幻想的な風景だった。陽が昇ってきて刻々とその風景は変わっていく。私が興奮して焦ってセッティングしてたら、「そんなあせらんと。」岸本君に言われる。無事に撮影できた。「これは神様がくれたご褒美かもね。」と後で映像を見た宮下さんに言われる。

7:40 山田家へ。素晴らしい風景にすっかり興奮し、いい気分で山田家の朝食の撮影へ。憲一さんと聡美さんは朝食をとても大事にしている。彼らの生活は、朝が一番ゆっくりできる時間なのだ。朝の4時から働いている憲一さんはお腹がぺこぺこで帰って来る。聡美さんはあかりを見ながら朝食の支度。この日は、自分でつくったパン、自家製ゆずジャム、自家製ヨーグルト、バター、学舎のチーズ、卵と野菜の炒めのも、チャパティみたいなもの、ネルドリップコーヒー。あかりは岸本君を見ては大泣き。見なきゃいいのに見ては泣くのだ。岸本君もこれにはまいって、目を合わせないようにしていた。聡美さんはあかりといっしょにガリガリとコーヒー豆を挽く。憲一さんが帰ってきた。お風呂に入ってさっぱりしてから朝食。聡美さんはまだ卵料理ができていない。結局憲一さんがつくることになる。次にコーヒーを落とす。そしてようやく支度が整い、ゆっくりと朝食を3人で食べる。朝の光を浴びながら、色んな話をしながら、ゆったりと自分たちでつくったものを食べる。なんて豊かなんだろう。こんなにゆったりと朝食を食べている人って、どのくらいいるだろう。撮影が終わって、私たちも同じものをご馳走になる。おいしかった。

9:45 しっかり皿洗いもしてから、憲一さん再び仕事に出かける。いいだんなさんだ。

11:30 聡美さん、あかりと散歩に出かける。最後の撮影だ。雪の後で天気もよく風もなく、条件がいい。意外と聡美さんの歩くペースが早い。マイクの線でつながれている私と岸本君は、二人でひーひーしながらついていく。先に走っていって待ち構えたり、後ろ姿を撮ってからダッシュで追い掛けたり。とにかく汗びしょになった。これはあまり満足のいく撮影ではなかった。これで今回の撮影は全て終了。聡美さんの家にもどり、汗かいたのでビール飲もうということで、3人でビールで乾杯した。なんだかんだ話してるうちに憲一さんが午前の仕事を終え帰ってきた。開口一番「あ、ビール飲んでる!いいな。」まだ仕事のある憲一さんは少し考えてから、やっぱり少しだけといっしょにビールを飲んだ。お昼ごはんもご馳走になった。憲一さんは肉体労働だから、昼が一番ボリュームがあるのだ。

お昼 塩豚となすとピーマンの炒めもの、玄米、白米、味噌汁(牛蒡、えのき、にんじん、いも)、牛肉のしょうが炒めと千切りキャベツ。

15:30 宿舎に戻る。私は風景撮影にいく。岸本君は夕食づくり。今日はまたみんなを招き、今度は岸本君が料理をつくってみんなにふるまうことになっている。二人でビールを飲みながらラッシュをみる。

19;30 宮下さん、文代さん、止揚くんが海老フライと野菜を持って、憲一さん、美和ちゃんはアイヌねぎ、こごみのおひたしを持ってやってくる。岸本君は野菜スープをつくった。玉ねぎ、人参、イモ、にんにく、ベーコンが入っていて、なかなか美味しくみんなにも好評だった。宮下さんの風呂、山田家の朝食など新たな映像もみんなに見てもらった。岸本君は体力の限界って感じで疲れきって眠そうだった。私も体は疲れているけど、頭は冴えていた。

3:00 憲一さん、美和ちゃん帰る。就寝。

 

2005年5月9日。曇り。

9:00 起床。今日で解散だ。掃除や荷造りなどする。私一人の撮影の時に使えるように、岸本君のマイクを置いていってくれた。今までより少しはいい音がとれることになる。その使い方など色々教えてもらう。

13:30 岸本君を駅まで送る。途中荷物を出す。私も岸本君も、今回は終わって充実感を感じるとともに、これからの撮影に向けて気が引き締まる思いでいた。次は私も被写体になり、現場の撮影は基本的に岸本君と一坪君に任せている。次もいい撮影しようと言って別れた。

 今回の撮影も色んな人たちの協力があってできました。特に食べ物に関しては色んな人たちからいただき、撮影中、豊かに過ごせました。本当にありがとうございました。今後も撮影を進めていきますので、よろしくお願いいたします。

空想の森便り 第4号 2004年7月

2004年7月
映画『空想の森』便り  第4号
監督:田代陽子

 

みなさん、いかがお過ごしですか。御無沙汰しておりました。便りが遅くなってすいませんでした。 

2002年の冬から本格的に撮影をはじめ、登場人物人たちの仕事や暮らしの撮影、この映画をつくるきっかけになった空想の森映画祭の撮影、映画の舞台となる新得の森を、冬に実際に歩いての撮影、登場人物人の聡美さんや定岡さんの仕事場でもある新得共働学舎での撮影などを試みてきました。

去年の4月の以降、撮影を続けられなくなり、一時中断していました。みなさんもご承知のように、協賛金を募りながら撮影をしてきました。今まで200人を超える人たちの協賛をいただきましたが、その資金が底をついたという経済的な理由が一つと、撮影を重ねる度にどのように撮影を進めていくかということで、スタッフ間で意見の違いが際立ってきたことが、その大きな理由でした。この間、スタッフで度々話し合いをしてきました。そして、撮影の小寺君がやめることになりました。大変残念ですが、残ったスタッフで新たに再スタートしたいと思います。

 

<映画『空想の森』製作体制>

プロデユーサー:藤本幸久、監督:田代陽子、撮影:大塚伸之、録音:岸本祐典

 

<資金>

基本的に一口一万円の協賛金を募っていく。助成金を申請する。

 田代が、今まで撮ったフィルムを15分ほどに編集したラッシュ(音はない画のみのフィルム)を上映しながら、このような映画をつくっていきたいという話をして、協賛金を募っていくことをしていきます。この時、森の映画社で製作したドキュメンタリー映画『森と水のゆめー大雪トムラウシ』、『闇を掘る』などの上映も可能です。

公民館、体育館はもちろん、映写機で上映できるスペースがあれば、個人の家でもやらせてもらいます。どこでも行きますので、このような映画に興味のありそうな方をぜひ紹介して下さい。

 

【田代の近況報告】

私事ですが、去年の秋頃から体調が悪くなり、久しぶりに病院に行ってみると子宮筋腫という病気でした。自分でも弱ってるなと感じたし、体の具合がとても悪かったので、しばらく養生しようと思いました。3月くらいから約3ヶ月間ほど療養生活をしてみることにしました。食事と生活習慣に関する医師の指導を、この際だから自分で徹底的にやってみました。規則的な生活と食事。不安や焦りとも付き合いながらも、確実に体調は良くなっていること実感してきました。自分で体のバランスをとることができるようになり、さあ、またやっていこうか!というところにようやくこぎつけました。これから自分のいいペースをつくりながらやっていきたいと思います。

 

第9回SHINTOKU空想の森映画祭さよならパーティーにて

そんな訳で、私は今年のSHINTOKU空想の森映画祭はお休みし、最終日のさよならパーティーにだけ顔を出しました。校庭でいつものようにスタッフの西村堅一さんが大きな木で、でっかい焚き火をつくっていました。まずは西村さんとワインで乾杯。3年くらい前の映画祭の時、おっちゃん(斉藤修さん)と西村さんでつくったレンガの窯のまわりでは、おっちゃんがパーティの料理準備をしています。定岡さん、共働学舎の山田圭介も楽しそうに手伝っています。テーブルには山田聡美さんがつくったレタスなど、野菜が大きなザルに盛られています。本部店には、第2回目からこの映画祭を手伝っている野田草悦君が座っていました。去年よりもずっとたくましくなっていてびっくり。もう中学生になったのでした。お父さんのねこまたやさん(野田尚さん)はパーティの準備でおおわらわ。柏の木の下ではきれいな色のチマチョゴリを着た人たちが座っていました。その中から「陽子ちゃん。」と声をかけられ顔を見ると、「たう」の波多野信子さんでした。髪を短く切っていたので、すぐにはわかりませんでした。本当に久しぶりだったので、私も座って話をしました。気がつくと隣にいんであん(芳賀耕一さん)がビールを片手に楽しそうにニコニコ座っていました。校舎からあがた森魚さんが出てきました。握手をして再会を喜び、近況などを話しました。あがたさんのマネージャーの倉科杏さん、映画祭スタッフの箕浦伸雄さんとも、会えてよかったとひとしきり話しました。西村マサ子さんも家でつくった料理を持って元気にやってきました。受付には宮下喜夫さんの娘、亜海ちゃんが座っていました。今年はいんであんの娘の野原ちゃんとスタッフでがんばっている様子。宮下喜夫さん、文代さん夫婦もやってきました。山田憲一さんも来ました。聡美さんは出産が近いので、大事をとって来ないとのこと。いつになく憲一さんはよく飲みしゃべっていました。実行委員長の藤本さんもいつものように大変楽しそうでした。

私は久しぶりに会った人たちと話をし、時折空を見上げたり、柏の木や校庭の風景をを眺めたり。気持ちのいい風に吹かれてとてもさっぱりした気分になったのでした。鯛飯、野菜、ピザなどのパーティー料理も満喫しました。

気がつくと夜もしらじらと明けてきて、おっちゃんと定岡さんと3人でボーと窯の中の炎をながめていました。この時の話しの中でおっちゃんがこんな一言を言いました。「ここに全てがあるじゃない。」

おいしい食べ物、集ってくる人たち、映画、柏の木、なぜか気持ちのいいこの場所・・・確かに、ここに全てがあるじゃないかと思ってしまうくらいのとびきり楽しくて幸せな空間と時間があるんだよなぁと思わせてしまう力がこの場所にあるのです。第1回目の映画祭に初めて参加した私が一番印象に残っていることは、柏の木と木造校舎のある場所が心地よかったこと、そしてこんな楽しんでいる大人たちがいるんだということでした。全てはここから始まったんだと改めて思うのでした。そして何だかワクワクしてきました。

私は自分が暮らすこの北海道で、自分たちの映画をつくりたいと思います。

この映画に登場する山田聡美さんは大阪出身です。学校を卒業し、会社務めを経験した後、焼き物の師匠に弟子入りしますが、やめて新得共働学舎にやってきました。そこで農業に出会いました。

聡美さんの夫の山田憲一さんは東京出身です。大学の経済学部を卒業した後、北海道の農業の専門学校に入り直し、卒業後、新得共働学舎にやってきました。チーズや野菜の仕事をやっていました。何年か後、やめて東京に戻り、しばらくしてサックスをかかえて再び新得に戻り、牧場に就職しました。

定岡さんは鹿追町出身です。学校を卒業後、札幌で就職。何年か後、カナダへ遊学。帰国後、父親の他界を機に地元で就職。数年後、母親の病気を機に退職し、その後新得共働学舎の経理として働き出しました。

西村有里さんは芽室町出身です。学校を卒業後、帯広で就職。何年か後、アフリカへ旅に出ました。帰国後帯広で就職。バンド活動もはじめました。国際交流センター帯広に勤務している時、アフリカの太鼓のコンサートを何度か主催するなど活発に音楽に関する活動をしていました。

私がこの人たちと知り合ってから経てきた時間分、それぞれの状況は変わっていっています。一方で、食べること、飲むことが好きで、音楽が好きで、自分たちの暮らしている北海道の新得あたりで、それぞれ大切なものに出会ってきたこと、こうありたいと思う自分に向かって生きている姿はあまり変わっていないように思います。

この人たちの仕事や暮らし、そしてこの映画の舞台になる新得の風土を撮影していきたいと思います。今、この世界の各地に様々な人が暮らし、色んな状況の中で生きている中で、私たちは日本の北海道の新得あたりに暮らしています。私は今まで、ああよかったなあー!世の中捨てたもんじゃないよ。と思う瞬間を何度か味わいました。全てのものが愛おしく感じられる幸せな瞬間でもあります。それは何もないところから、自分たちでつくりあげたものを、他の人たちと共有できた時にわきおこってくる感情です。

私はこの映画を撮影するにあたって、ドラマティックな物語や突飛な話はないかもしれないけれど、自分たちの中から、おもしろさや希望を見つけていきたいと思うのです。そして、それをたくさんの人たちと共有したいと思うのです。撮影をしながら、またどんどん登場人物の人たちと、そしてここの風土に出会っていきたいと思います。

この8月後半に撮影をしたいと考えています。また皆さんのご協力をお願いすることになりますのでよろしくお願いいたします。撮影中は新得町新内の小川さんの家を借りそこを拠点にしますので遊びに来て下さい。

登場人物たちの近況】

新得共働学舎で農業をやっている山田聡美さんは、8月末あたりにお母さんになります。最近お腹がぐっと大きくなってきて、妊婦らしくなってきました。ぎりぎりまで畑仕事をやるとのことで、毎日畑に出ているそうです。

安田有里さんは帯広畜産大学で事務の仕事をしています。今年の冬、音楽をいっしょにやっていた西村嘉洋さんと結婚しました。西村有里さんになりました。言うまでもありませんが、二人は幸せいっぱいです。

定岡美和さんは新得共働学舎で経理の仕事をしています。この4月からチーズ工房の隣に、ミンタルという交流センターが建ちました。共働学舎の製品を販売したり、チーズやパン、ケーキなどの製造体験がでる施設だそうです。定岡さんの仕事場もこの建物に移り、しばらく忙しくあわただしい日々を送っていたようです。

 これまで撮ったフィルムを持って、私は皆さんのところへ行きたいと思います。これまですでに協力をしてくれた人のところはもちろん、これから会う人など、色々な人とまた出会ってつながっていきながら映画をつくっていきたいです。この映画をきっかけに色んな人とつながっていって、そして平和な世界につながっていくようになればと思っています。

空想の森便り 第3号 2003年3月

映画「空想の森」便り 第3号
2003年3月
監督:田代陽子

みなさん、こんにちは。2003年になり、いよいよ映画『空想の森』は本格的な撮影のスタートを切りました。

先月の2月17日〜28日のロケの様子を報告したいと思います。

今回は、主な登場人物の一人、安田有里さんを中心に撮影をしました。彼女は十勝の帯広市の隣、芽室町に住んでいます。6年間、北海道国際センター帯広で働いていました。そこは世界各地からやってくる研修生の宿泊施設で、彼女はフロント業務が主な仕事でした。安田さんは、様々な国の研修員たちを笑顔で迎え、時にはその国の文化を十勝の人たちと体験できる催しを企画したり、いっしょに参加したりこの仕事を楽しんでいました。彼らが快適に過ごせるよう、そして北海道に十勝に来てよかったと思えるよう心をくだき、いつも研修員の立場に立ち、誇りをもって働いている姿を、私は友だちながら素敵に思っていました。

安田さんのおかげで私も自分の暮らす十勝で、様々な国の人たちとかしこまらない楽しい交流をさせてもらったことは、今もいい思い出です。ニカラグアの研修員の方に、コーヒー豆の焙煎のやり方を教わり、自分達で焙煎したたコーヒーをみんなで飲んだり、インドのサリーを着せてもらったり、研修員の人たちと山登りに行ったりとずいぶんと楽しませてもらいました。

また、安田さんはアフリカの太鼓「ジンベドラム」のライブ「タイコの時間」を中心になって企画し、勤め先の国際センターでも、何回か開催しました。十勝界隈では、ジンベドラムもだいぶ知られてきて、毎回楽しみに来てくれるお客さんも少なくありません。センターには、アフリカの国からの研修員も多く、それはもう、踊って歌って楽しいライブになるのでした。

昨年、彼女はその仕事を辞めました。そしてすぐに帯広で行われた現代アート展、「デメーテル」で総合案内や関連イベントの企画、開催などの仕事をして働いていました。

それも終わり、現在は次にどうしていこうかと色々考えているところにいます。仕事、空想の森映画祭をはじめ、今までいつも何かしらイベントを抱えて忙しく走っていた安田さんが立ち止まり、これからのことを考えたり、自分の暮らしを楽しみながら、少しだけゆったりと過ごしているそんな時期に撮影をさせてもらいました。

 

●田代陽子の撮影日記●

2003年2月17日(月)朝、少し雪、晴れ

帯広で当面の食料の買い出しをして、新得町新内の宿舎(故小川豊之進さんの家)へ。私たちは「じいちゃんち」と呼んでいる。ドキュメンタリー映画『森と水のゆめ』(藤本幸久監督、田代陽子は助監督)の主人公が故小川豊之進さんだった。私たちはじいちゃんと呼んでいた。じいちゃんが亡くなり、誰も住む人がいなくなった家を、撮影の時にスタッフの宿舎として貸してもらっている。

今年はこれまで2回、大雪が降り、今は誰も住んでいないじいちゃんちは、雪に埋もれている。私の手ではとても除雪はできないので、前もってじいちゃんの次男で新得町に住んでいる進さんに除雪をお願いしたら、快く引き受けてくれる。進さんは除雪機をもっているのだ。じいちゃんの長女、まさ子さんのつれあいの西村さんも、私たちが撮影に入る前に除雪をしてくれた。そのおかげで道路から玄関までと、玄関から薪小屋までがスムーズに通れるようになっていた。感謝。

まずは薪小屋と母屋をなん往復かして母屋に薪を運び込む。ここは薪ストーブがメインの暖房なのだ。がんびを多めに入れ、とにかくガンガン火をたく。「がんび」とは白樺の幹の皮で、ほんの少しですぐに火がつく。焚き付けには最高なのだ。しかし、冷えきった家はちょっとやそっとでは暖まらない。

次は水だ。北海道では冬の間、水道管の破裂を防ぐため、全ての蛇口を全開にして水の元栓を閉めておくのだ。これを「水落とし」という。しばらく留守にする時や、断熱材のあまりない昔の家などは、毎晩この作業をしなくてはいけない。この逆の作業をして、水落としを解除。よかった、水が出てきた。茶色く濁った水なのでしばらく出しっ放しにしていた。しかし廃水管の水が溜まってしまう部分が凍っていたのだろう。廃水が流れていかず、シンクに溜まってしまう。これは家を暖めて氷が解けるのを待つしかない。そうこうしているうちに撮影の小寺君が来た。ボイラ−と洗濯機を使えるように作業をする。ボイラーは使えるようになったが、管から水が漏れてくる。困った時にはいんであん。小寺君が電話して、いんであんが今晩ボイラーを見に来てくれることになる。

西村さんも様子を見に来てくれた。今晩は煮炊きができないだろうからと、自宅に晩ご飯を食べにおいでと誘ってくれる。本当にありがたい。私が携帯電話を持っていないので、何かあった時に連絡がとれるようにとハンディー無線を置いていってくれる。

夕方頃、家が暖まってきて、ようやく廃水の氷が解け、水が流れていく。小寺君と二人で喜ぶ。間もなく録音の岸本君、撮影助手の大塚君が到着。彼らは舞鶴からフェリーで小樽に着き、藤本さんが車で迎えに行き、札幌で機材を借り、そして新得に着いた。まだ雪深い中の長距離運転、本当にご苦労様。     

スタッフたちが機材を家の中にどんどん運び込む。毎回そうなのだけど、私はこれらの機材が運び込まれるのを見ると、気持ちがぎゅっと引き締まる。今回もいい撮影をするぞ!と。一段落してお茶を飲みながら、今回のロケ全体のスケジュールなど、簡単にミーティングをする。

6時過ぎ、ここから車で15分ほどのところにある西村さんの家へ。お腹一杯食べさせてもらい、お風呂も入らせてもらう。明日の朝食も持たせてくれた。岸本君、大塚君が長旅で疲れているので、早めにおいとまする。

 9時頃、いんであんが来てボイラーを見てくれる。あっという間に直してくれた。ただ、まだ少し水が漏れているのは、ゴムのパッキンが劣化しているため、取り替えた方がいいだろうということに。それは時間のある時いんであんに直してもらうことにした。10時半頃まで薪ストーブを囲んでいんであんとおしゃべり。いよいよ撮影が始まるのだ。11時にはみんな寝る。

 

2003年2月18日(火)晴れ

明け方4時半頃、ひどく寒くて目が覚める。こんな寒さは何年ぶりかに体験する。水落としするのを忘れていたのを思い出し、決死の覚悟でふとんを出る。すっかり火の消えた薪ストーブに薪をくべ、火をおこす。

今回は真冬の撮影をしたかったのもあって、この時期にロケを組んだのだが、2月に入ってなんだか春のような陽気になってきた。このまま春になってしまうのかなあと思いきや、やはりそうはいかない。今朝は久しぶりにしばれた。マイナス20度以上だった。

昨晩マサ子さんからいただいてきたおにぎりなどで朝食をすませ、撮影、録音の機材をそれぞれチェックし、撮影の準備にかかる。昼は豚汁。

午後は明日からの撮影のミーティング。今回は短い期間だけど、安田有里とつき合い、今の彼女をゆったりと撮影をしようと。

夕食はカレーライスを作る。私は空の炊飯器の方のスイッチを入れてしまい、晩ご飯を食べられずに帯広へ向かうはめになった。

私、安田、定岡、聡美、そして私たちのタイコの先生のまさしと5人で、2月21日に帯広のひかり保育所で行うジンベタイコのライブの練習のためだ。このライブは今回撮影をする。

最近私たち4人は、まさしにお願いして、月1回ジンベを教えてもらっている。自主練習もやり始めた。私たちはジンベを始めて5年くらいになる。その間、クラスで教えてもらったり、人前でたたいたりする機会があったりして、ジンベのおもしろさ、奥深さがようやく少しだけわかってきたところだ。ジンベをいっしょにたたいてる人と、そして、お客さんと気持ちがいっしょになった時のなんとも言えない感覚を、ほんのちょっとだけ味わった。ジンベはコミュニケーションの道具だ。人とのコミュニケーション、それは一人ではできない。それをするには自分自身を解放することが必要だ。そうでないといっしょにたたいている人とも、聴いている人ともコミュニケーションはとれない。私にはまだまだそれができない。しかし私は遅ればせながら、そういうことがだんだんと体でわかってきた。

去年の夏に残念ながら私は行けなかったが、富良野の保育所で小さい子たちの前で演奏したのがとてもよかったので、またやりたいねという話になったのだ。それで帯広のひかり保育所に話をしてみたら、ぜひやって下さいということになった。ここは共働学舎のやさい屋でも引き売りに行くところだ。

19時〜22時、帯広のサラダ館の部屋を借りて、全員そろっての最後の練習。当初は4曲くらいやろうと話していたのだが、20分という短い時間でやるのだから「ジャンボ」と「カキランベ」の2曲に絞ることにした。いかにその曲のノリを出すか、「グン」(低音)と「ゴド」(中音)と「パ」(高音)の音をいかにクリアーに出すか、これが私たちの大きな大きな課題なのだ。安田さん、定岡さん、聡美さんもかなりのっていて、中身の濃い、いい練習であった。

練習後、私はお腹がすき過ぎて居酒屋「元」に寄る。ママに明日の朝食の弁当もつくってもらい帯広の自宅に戻る。明日は母の誕生日だ。撮影で電話ができないのでカードを書く。

 

2003年2月19日(水)快晴

 雲一つない快晴。気持ちのいい朝だった。いよいよ撮影だ。まずは安田さんの昼食の様子を撮らせてもらう。私は11時40分、安田宅に到着。撮影隊は12時に来る予定だ。二人でお茶を飲みながら世間話。今日は安田さんにとって、自分一人だけを時間をかけて撮られる初めての撮影だ。ここまできたら、私は安田さんがなるべく緊張しないよう心掛けるだけだ。

彼女は1年程前から芽室町の実家近くのこじんまりした木造平家の一軒家で、一人暮らしを始めた。安田さんが時間ができてからは、この家にみんなで集まることが多くなってきた。私も何回も泊めてもらっている。彼女は人をもてなすことが好きな人で、私が泊まりにいくと手作りの食事をつくってくれる。そして一緒にお酒を飲みながら、色々なことを話したりゆっくり過ごすのは、私にとってとても大事な時間でもある。朝食はたいがい玄米、味噌汁、野菜の和え物、漬け物などの和食で、これも私は嬉しい。キッチンのたたずまい、リフォームした昔の木の棚、こたつの部屋においた座り心地の良い茶色いソファーなど、最近どんどん安田有里らしい部屋になってきている。

私はこの撮影を決めるまでの間、何度となく彼女と色んな話をしてきた。この映画をどんな映画にしたいのか、どういう風につくっていきたいのか、安田さんのどんなところを撮っていきたいのかなども、その折々話してきた。

撮られる人にも心の準備が必要だ。「さあ、撮ってもいいよ!」という気持ちになれなければ、私は撮影はできない。その時期が今回になったわけだ。撮影に入る前、私は彼女の家に泊まりに行き、スケジュールなど細かいことを話した。その時、安田さんが私にこう言った。「陽子ちゃん、今回の撮影の間、いつでもスタッフといっしょに泊まりに来てね。私も岸本君や大塚君とあまり話したことないし、撮影されるなら色々話して、どんな人か知りたいし。もちろんご飯付きだよ。」と。安田さんが撮られてOKという気持ちになったということ、そして撮影を最優先に考えてくれていることに、私はとてもとても嬉しかった。きっといい撮影ができると、私は一人思うのだった。

12時。撮影隊到着。次々と機材を運び込む。あらかた撮影の準備が整い、安田さんもいしょに、みんなでお茶をいただき一呼吸。

13時少し前、安田さんが昼ご飯をつくりはじめる。撮影開始。この日のメニューは玄米、味噌汁、長いもの梅肉あえ、押し大豆と野沢菜の炒めもの、イモの煮つけ。いつも作っているものなのでなかなか手早い。時間がたつにつれ、キャメラにも慣れてきたのか、私に話しかけてきたり。大きな窓から射し込む冬の柔らかい光の中、安田さんがごはんをつくり、いつものように窓辺のテーブルで食べる。いい感じだ。

撮影終了後、私たちもお昼を食べさせてもらう。撮影隊のために多めにつくってくれ、若者のためにもう一品、豚肉の炒めものもつくってくれた。押し大豆は初めて食べた。十勝ならではの食材だ。長いもの梅肉あえは私の大好物。お腹一杯食べさせてもらう。

散歩の撮影のロケハンへ。安田宅から芽室公園を抜け、住宅街を通って帰ってくる30分くらいのコースだ。今日は天気がよいので、日高山脈がきれいに見える。安田さんが小学校の頃、毎日帰りに寄っていたという駄菓子屋さんの前を通るので、中に入ってみた。すると、なつかしい駄菓子がびっしりと店いっぱいに並んでいた。当たり付きのフィリップガム、コーラ味のラムネ、うまい棒などなど。岸本君と大塚君はたくさん買い込む。岸本君が録音の道具やガムテープなどを腰にぶらさげ、現場のいでたちでいると、駄菓子屋のおばちゃんが、「お兄さん、そのガムテープをぶら下げているのは今流行っているファッションかい?」と言ったのにはみんなで笑った。

安田さんの家に戻ると、コーヒーを入れてくれる。16時半過ぎ、私たちはひかり保育所へロケハンのため帯広へ向かう。ここから20分ほど車で行く。ちょうど夕方で、ぽつぽつと仕事を終えたお母さんたちが子供を迎えに来る時間だった。子供たちは思い思い、好きなところで遊んでいる。生まれて半年の赤ちゃんから、6才の子まで20人ほどの子たちがここに預けられている。地下があったり、2階、2階と中間の高さなどにスペースがあり、階段などなく、はしごや角材でつくった足掛けを使って、登ったり降りたりしている。全体にカラフルで、高い天井には透明なもので明かりとりがありとても開放的な空間だ。大人の私でも楽しい建物だ。保育所の保母さんたちもライブを楽しみにしてくれて、色んな人に声をかけてくれている。この子供たちが初めて聴くジンベにどんな顔するのか、私も今からとても楽しみになる。

そして新得のじいちゃんちへ帰る途中の新得のフクハラで、私と大塚君は今晩なににしようかと言いながら、明日の昼の分までの買い出しをする。撮影助手の大塚君は料理がうまい。だからなのか自然にご飯づくりの中心人物になっている。今晩は鳥肉の鍋になった。

とても冷える夜だった。じいちゃんちに着くなり、岸本君はライトを持って薪小屋へ薪を取りに行く。大塚君は鍋の準備にとりかかる。彼らもここでの合宿生活も板についてきたなあと私は思う。一つ屋根の下での共同生活は色々とやらなくてはいけないことがある。薪運び、ゴミすて、掃除、洗濯、食事づくり、食器洗い、水落としなどなど。仕事以前の大事なことが、みんな自然に分担してできるようになってきたのだなあと。

晩ご飯の準備ができた頃、藤本さんがやって来た。いっしょに鍋を囲む。その後、藤本さんも交えて、今回の撮影の打ち合わせ。私たちは今日の撮影の反省会もする。「いい感じで撮影できた。」と撮影の小寺君。撮影初日、いい気分で一日を終えることができた。

 

2003年2月20日(木)曇り、たまに薄日、時々小雪

8時起床。パンとコーヒー牛乳で軽く朝食。9時半、2月27日の映画「空想の森」十勝応援団立ち上げ式の時見せるラッシュの編集のため、森の映画社へ。ステインビックでの編集作業を岸本君に手伝ってもらうことにした。

撮影を重ねるうちに私は、スタッフ間のコミュニケーションが映画にとって大事なことだと感じてきている。スタッフ一人ひとり違う人間で、感じ方、考え方も当然違う。でも、いい映画をつくりたいというその一点はいっしょだ。現場でもそれ以外のところでも、自分の思ったり感じたりしたことを、他のスタッフにも伝えたい、伝えようとする意識を持つこと、これを私は今回の課題とした。そうしていくうちに、現場で何も言わなくともスタッフ同士がお互いの思っていることを感じとり、スムーズな撮影ができるようになっていくと私は思うからだ。一人でなくチームでつくっている醍醐味を味わいたい。映画はつくる側の人間、カメラの前に立ってくれる人、そして見てくれる人のものなんだ。

岸本君はこの映画のスタッフになってきたなと私は思う。撮影の度に監督の私の考え、この映画で録音としての自分のやりたいことなど彼なりに考えてきて、それを次の撮影で試している。私は彼を見ていて「おお、今回はそうくるかー」といい刺激になり、「私もやったるわい!」と思うのだった。

お昼ご飯は、じいちゃんの家に食べに戻る。大塚君が昨晩の鍋の残りでうどんをつくってくれる。13時半、森の映画社で編集作業の続き。「田代さん、音もつけてみましょうよ。」と岸本君。今回のラッシュはカットも切って、音も、つけられるところは何ケ所か手動でつけることにした。

18時、区切りのいいところで終え、みんなで安田さんの家へ向かう。今日は泊まらせてもらい、翌日は安田さんの朝の散歩の撮影をするのだ。途中、西村さんの家に寄り、マサ子さんからの食べ物の差し入れを受け取る。安田さんの家に到着。早速夕食をおいしくいただく。十勝名物の豚丼、大根サラダ、味噌汁。夕食後、片付けをしていると安田さんが「昨日は楽しかったよ。思ったより固まらなかった。」と一言。

お風呂は近所の温泉にみんなで入りに行く。寒いけれど、星がとてもきれいな夜だった。きっと明日は天気だろう。安田宅に戻り、スタッフは早めに就寝。

「陽子ちゃん、ワイン飲まない?」と安田さん。最近の安田さんを見ていると、いいことあったんだろうなあと思っていたがやっぱりあったのだ。そして飲みながら近況など色々話す。安田さんは、つい最近学生時代の友人に札幌で久々に会ったそうだ。彼女の長所の、自分の目で見て自分で考えて行動していく姿勢が今も全く変わっていなくて、とても嬉しくなったそうだ。これからも彼女にずっとそのままでいて欲しいと思ったという。その帰りの汽車の中で自然に顔がニコニコしてしまったそうだ。私も安田さんに対して、そっくりそのままそう思うのであった。春に向かって安田有里も確実に前へ歩いている、そんな感じがした2月の夜だった。

明日はいよいよ安田さんの朝の散歩と、ひかり保育所のジンベライブの撮影だ。

 

2003年2月21日(金)快晴

5時50分起床。安田さんもいっしょに起きてくれて、コーヒーをいれてくれる。雲一つない快晴。6時過ぎ、日高山脈と芽室町の町並みが見渡せる白樺通りの橋へ向かう。風景の撮影。朝日独特の光を放ちながら、太陽が私たちの背中から昇ってくる。マイナス17度。寒さの張りつめた空気の中、日高山脈がビシっとそびえている。ピンクに染まり、刻々とその色を変えていく。いつみても日高山脈はいいものだ。撮影が終わり、安田宅へ戻り、そのまま朝の散歩の撮影。

安田さんは一軒家に越してきて、時間ができてからは近所を天気のいい日は散歩をするようになった。彼女の住む芽室町のこの辺りは年輩の方々が多く、安田さんのところの娘さんとして、近所の人たちは彼女を気にかけてくれる。安田さんの実家は、この町で昔からガソリンスタンドをやっているのだ。家の脇の小さな畑を世話する時間もないほど忙しかった去年の夏、近所のおじさんが面倒みてくれたり、大雪が降ってスコップで雪かきをしていると、機械でやってくれたりと、色々と親切に世話をしてくれるそうだ。周りの人たちがとてもいい人たちで、彼女はここをとても気に入っているのだ。

朝日を浴びながら散歩する安田さんを撮影。芽室公園。昨日の晩に降ったのだろう新雪が一面にピカピカと光っている。後ろを振り返ると、録音の岸本君が道路の脇の雪の深いところにはまってコケている。ばつが悪そうに笑っている。その姿を見てみんな思わず笑う。彼はロケ中に一回はみんなを笑わせてくれる。

「駄菓子屋に入ってみる」と安田さんは店の中へ。20年ぶりだそうだ。しばらくしてイカを買って出てきた。串に刺さったイカが小学生の頃自分も弟も大好きだったので、お母さんが箱で買っていたそうだ。そのイカを食べながら9時半頃家へ戻る。

安田宅で機材の整理を終え、横になってひと休みさせてもらう。そしてライブの撮影の前に最終ミーティング。

13時半頃、撮影隊はひかり保育所へ向かって出発。着いてすぐ土手から保育所の全景を撮影。そして建物の中へ。13時から15時はお昼寝の時間。子供たちは色んなところに寝ている。ライブは15時からだ。私たちはタイコの音で子供たちを起こそうと考えていた。

子供たちを起こさないように静かに撮影の準備をする。でも一人二人と子供たちが起きてきて珍しそうにキャメラや私のジンベを見ている。14時半、安田さん、まさしもタイコを抱えてやって来る。少し遅れて定岡さん、聡美さんも到着。その頃には子供たちのほとんどが起きてきて、キャッキャッと遊び始めている。父兄も何人か見に来ている。上士幌町から友人の有ちゃんも差し入れを持って見に来てくれた。朝日新聞の記者の木村さんの顔も見える。

演奏者5人がそろったので、音のチェックでたたき始めた。今まで賑やかだった子供たちが、鳩が豆鉄砲をくらったような顔をして固まっていた。初めて聴くジンベの音はとてつもない大きさで小さな体に響いたのであろう。

一方私たちの方は、タイコの音が意外にもずいぶん建物に吸収され、音が小さく聞こえて他の人の音が聞こえづらいことがわかり、こりゃ、大変だという感じであった。しばらく音を出した後、本番に突入。聡美さんのジンベとまさしのジュンジュンが鳴り出す。マラカスなどの鳴りものを持った安田、定岡、私が「ジャンボ」を歌い出す。「こんにちは!ケニアはいいところだよ。何も問題ないよ」という意味の歌だ。なんだ、なんだという感じで子供たちは見ている。

子供たち全員がそろい、しばらくして歌を終える。安田さんが歌の意味やジンベについて子供たちに話を始める。安田さんの問いかけに、男の子がかわいらしく答えている。彼女はとても楽しそうで気持ちがのっている。私たち4人でやる時は「サワサワ」というグループ名でやっている。スワヒリ語で「気持ちがよい、問題なし」という意味。サワサワという言葉の響きが気に入っている。メンバーひとりひとり自己紹介をする。

2曲目、「カキランベ」の演奏。今年も豊作でありますようにという祈りの曲だ。今度は全員でジンベをたたく。始めはゆっくりとしたテンポでだんだん早いリズムになっていくように構成した。子供たちはだんだん音に慣れてきたのか、始めの表情とはずいぶん違ってきて楽しんでいる様子。早くなり過ぎて聡美さんは必死の形相。私も大汗をかきながらタイコをたたく。ライブ後、岸本君に「ひとりひとり個性がでるものですねえ。」と言われる。

最後のキメをコケてしまったが、ライブ終了後、すぐに子供たちがタイコの周りに集まって来る。触ったり、たたいたり、ひとしきり遊ぶ。安田さん、定岡さんも子供たちにタイコの叩き方を教えたりお話したり、やわらかい表情。

保育所の先生方もとっても喜んでくれて、また夏祭りでやってくださいと言ってもらったり、他の保育所の先生にも、ぜひうちでもやって欲しいと言われる。私たちの力不足がよーくわかった演奏だったが、やってよかったと思った。子供たちも先生たちも楽しんでくれたし、私たちも楽しかった。これからも練習を重ねて、またぜひライブをやりたいと思った。

夕方、新得へ帰る。夕食をつくり、食べた後、反省会。タイコライブの撮影が初めての岸本君、録音のやり方を考え過ぎてうまくいかなかったところがあり。明日は午前中、共働学舎の冬の様子を撮影することにした。

長い一日だった。今回の撮影の一つ目の山場を越えた。早めにみんな就寝。

 

2003年2月22日(土)晴

6時半起床。軽く朝食を食べる。今日は冬の様子を撮影しようと共働学舎へ。朝日の中の食堂を外から撮影。牛舎、雪の埋もれている畑やハウス、牧草地など撮影しながら歩いて回る。

9時半頃終了する。共働学舎代表の宮嶋望さんの妻の京子さん、その長女で現在東京で暮らし、今ちょうど帰ってきている杏奈さんに食堂の前でばったり会い、少し立ち話。久しぶりに会った杏奈さんは元気そう。京子さんも嬉しそうだ。食堂に入り、コーヒーをご馳走になる。帰りに駅前のフクハラで食料を買う。お昼、大塚君が焼そばをつくる。

少し休んで2時半頃、私と岸本君は編集作業をやりに、森の映画社へ。私はサラダ油を買うのと、撮影済みフィルムを東京の現像所へ発送するため、再び町のセイコーマートへ。帰りにヨークシャーファームでスノーシューを2つ借りてくる。

藤本さんが映画『闇を掘る』の上映会でスプライサー(フィルムを切ったりくっつけたりする道具)をいっしょに持っていているため、編集ができないことに気がつく。25日には帰ってくるので、それまではフィルムを見るだけしかできない。

今日の夕食は大塚君がハンバーグとシチューをつくると言っていたので、聡美さんの夫、憲一さんを夕飯に誘った。いつも山田家でご飯をご馳走になっているので、たまには撮影隊が食事に招待したいと思ったからだ。今、聡美さんは山形へ農業の勉強会に行っていていないのだ。

7時半頃、私たちは宿舎のじいちゃんちに戻る。大塚君は夕食の支度をあらかた終えている。間もなく憲一さんもやって来た。私たちは人からいただいたワイン1本しかなく、それは当然5人であっという間に飲み干す。憲一さんを呼んでおいて、私はすっかりお酒のことを忘れていた。ロケ中はお金がないのもあるが、ほとんどアルコールを飲んでいなかった。あれば飲むだろうけど、なければないでどうしても飲みたいと思わなかったので、アルコールのことがすっかり頭から抜けていたのだ。

撮影隊を不憫に思った憲一さんが、「家にビールがたくさんあるから持ってくるよ。」と言ってビールを取りに行ってくれる。戻ってくると、ビールと木の箱に入った上等なタラコと凍ったタコ、豚肉を持って来てくれる。一同歓声をあげる。やはりビールはうまかった。ハンバーグとシチューもなかなかのものだった。憲一さんのタラコは炊きたてのご飯にのせ、溶かしながら食べた。絶品。こんなおいしいタラコは生まれて初めてだ。みんなでおいしく夕食をいただく。憲一さんを招待したつもりが結局食べ物や飲み物を色々と持って来てもらい、なんだか悪かった。また今度、ちゃんと憲一さんを招待しよう。

今回のロケは期間が短く忙しいスケジュールなので、ここらで少し休まなくちゃということで、翌日は午前中だけ休みにした。この晩、3時過ぎまで憲一さんと話しこんだ。

 

2003年2月23日(日)晴

私は10時半頃起床。みんなはもっと早くから起きていたみたい。大塚君がスクランブルエッグ、キャベツの千切り、パンで朝食の用意。

今日は「空想の森オールスターバンド」の初顔合わせ兼練習?を安田宅でするのだ。といってもメンバーはたくさんいて、みんな都合のいい時間にバラバラと集まって来て、ご飯食べたりお酒飲んだりしながら、興がのったらやりましょうかというゆるい感じの集まりだ。

そんな感じなので、撮影隊もこれに付き合いながら撮影をした。

最近安田さんが「オー!デクノボウ」という音楽グループのメンバーになった。野田聡子さんがリーダー。彼女は帯広で夫とレストランをやっていて、羊の毛を使ってモノづくりをしたり、そのワークショップをしたりもしている人だ。その彼女が最近音楽に目覚め「オー!デクノボウ」を結成して安田さんを誘ったのだ。安田さんはジンベ、西村君はギター、おっちゃんはハーモニカ、聡子さんは笛というほんわかしたユニークな取り合わせのメンバーで、色んな音楽を楽しんでいる。そして、聡美さん、憲一さん、西村君、圭介さんの「新得バンド」、安田、定岡、聡美、私の「サワサワ」も時を同じくして、偶然このところの活動が活発になってきたところだった。「じゃあ、今年の空想の森映画祭でそれぞれのバンドでもやりたいけど、みんなでオールスターバンドとしてもやろうよ!」ということになったのだ。

私たち撮影隊は14時、安田宅に到着。すでに憲一さん、西村君が来ていた。定岡さん、てっちゃん、三田村君、おっちゃん、瀬川さんもぞくぞくとやって来る。これだけ人が来ると人口密度がすごい。ビールなど飲み、食べ物をつまみながらワイワイとにぎわう。

私たちサワサワは昨日のライブのことで話に花が咲く。聡美さんは昨日のライブが終わってから列車に飛び乗り、山形へ農業の勉強会に行ったのでいない。

そのうちドラム、キーボードなど、わらわらと部屋に運び込まれ、瀬川さんがキーボード、西村君がギター、憲一さんがサックスを吹き出す。安田、定岡、私もジンベで参加。途中でビールを飲みに離れたり、誰かとおしゃべりしたりしながら出たり入ったり、違う楽器をやってみたりしながらも、音が途切れることはない。いい感じなので撮影も始める。

私はこんな感じで音楽をやるのが初めてだったので、とてもおもしろかった。音楽に縁がなく何の楽器もできなった私が、今こうして楽器を鳴らしたりして友だちといっしょにやっていることが、なんだか不思議な感じもするし、とても嬉しくもある。

私は、ドラムのシンバルをスティックでたたいてリズムをとることを西村君に教えてもらう。西村君はギターがとても上手で何でも弾ける。このバンドのバンドマスターは彼だ。私はおもしろくて調子にのってやっていると「なかなかうまいね」と西村君に褒められ、さらに調子が出てくる。安田、定岡もとっても楽しそう。

18時もまわりお腹もすいてきて、安田さんが晩ご飯の支度をはじめる。玄米まぜご飯、チャーハン、ちくわぶなどなど。一度楽器を片付け、テーブルを二つくっつけて総勢13人で晩ご飯を食べる。大勢で食べるのは楽しい。食べてるところも少し撮影する。

明日いよいよ安田有里の話しの撮影なので、撮影隊はご飯を食べ終わって先においとまする。私たちが帰る時、入れ違いで聡子さんがやって来る。これからも音楽は続くのだ。

 

2003年2月24日(月)晴

私は10時過ぎ起床。今日もいい天気だ。朝風呂に入り、朝食。パン、コーヒー、目玉焼き、白菜のおひたし。いよいよ安田有里の話しの撮影だ。

12時に安田宅へ出発、途中西村さん宅に寄る。14時到着。彼女は「しゃべることは苦手だから」と前から私に言っていた。インタビューではなく、いつも私と話してるように話せばいいからと私。二人でいつも話している感じで撮りたいと私は思うのだ。今回は、安田さんに撮影に慣れてもらう意味もあって、この撮影の前に普段のことやジンベのライブの撮影を組んだ。その中で話をしたりご飯をいっしょに食べたりして、スタッフとも慣れてもらえればいいなあと思っていた。今回は、何でタイコが好きなのかなど聞いてみた。

こたつに座って、レコードやアフリカに行った時の写真を見せてもらいながら話しをする。始めは緊張してたようだけど、だんだんいつもと同じ感じになってきて、今の安田さんの感じがとても出ていたように思った。

 

〜安田有里さんの話し〜

 小学生の頃、クラスにアイヌの子がいた。普段はみんな仲良くいっしょに遊んでいるのに、時として急に、アイヌだからとその子をいじめたりすることがあったそうだ。安田さんはなんでその子をいじめるのか、全くわからなかったし、とても嫌なことだったそうだ。でも、そのいじめを止めさせることはしなかったし、いじめられている子のそばについてあげることもできなかった。とても嫌な思いだけが、重く心に残った。

大学生くらいになると、音楽がとても好きになった。R&B、ソウル、ジャズなどの黒人の音楽が特に好きだった。しかし、その一方で、黒人差別はその頃も歴然とあったし、ロスで黒人の暴動があったりした。どうして黒人は差別されたり、下に見られているのかが彼女は理解できなかった。素晴らしい音楽をつくり、演奏し、歌う人たちが、なぜ差別されているのか、自分の実感としてわからなかった。だから、その黒人が元々暮らしていたアフリカ、もしくは、激しい差別を受けているアメリカの南部へ行って、実際黒人の人たちがどのように暮らしているのかを、自分の目で見てきたいと思うようになった。映画でも、スパイク・リー「Do the Right Thing」や「ルーツ」などを見ていた。

そんな短大2年生の頃、レコード屋さんで、ある一枚のアルバムに手が吸い寄せられた。おおげさでなく、本当に吸い寄せられたそうだ。そのレコードはミリアム・マケバのライブアルバムだった。そのジャケットは、いい顔をしたどっしりとした黒人の女性が歌っているものだった。なかなか魅力的なジャケットだ。後で知ったのだが、この人はアフリカのママと呼ばれているくらい有名で素晴らしい歌手だった。南アフリカ出身の彼女は、アパルトヘイトに反対した。故郷と歌を愛する彼女は、その影響力が大きいために亡命させられたのだった。その曲の中に、今は私たちもよく知っている、「マライカ」があった。

その頃はそのような歌を全く知らなかった安田さんだが、ジャケットを見てすっかり気に入り、買って帰った。全ての歌が好きになり、何回も繰り返し聴いた。その中で歌のバックに聞こえるタイコの音がとても好きになった。そしてタイコを習いたいと思うようになった。

アフリカではタイコで会話をしているとか、村と村の間での通信手段としてタイコを使っているとか、人々はストレートに自分の感情を出す、ということなど、本を読んだりして想像をふくらませ、ますます実際の人々の暮らしを自分の目で見たいと思うようになった。

英語の先生をして働いていた22才の時、アフリカの人々はどんな暮らしをしているのか自分の目で見たい、タイコを習いたいということで、アフリカのことを調べたり、行ったことのある人から話を聞いたりして準備をすすめ、会社を辞め、親を説得してアフリカのガーナへ旅立った。

ガーナでホームステイしながら、半年ほど暮らした。タイコや踊りを教えてくれる人を探して習ったりもした。結婚式やお葬式の時など、楽しい時も悲しい時もタイコはあった。人々の日常の暮らしの中にタイコや踊りが息づいているのだった。

自分の暮らしの中に音楽があふれているってなんて豊かで素晴らしいんだろうと。そんなガーナで過ごしているうちに、日本での自分の暮らしを振り返って考えるようになった。そして、私はアフリカでタイコを習って、日本に帰って一体どうするんだろうという気持ちも一方で抱えながら帰国したのだった。

アフリカから帰国した安田さんは、音楽が自分の暮らしの中にあるのはいいなあと強く思ったそうだ。その国の歴史や文化によって、その音楽は様々だけど、それが暮らしに根付いていることはなんて豊かなことなんだろうと。それが平和につながっていくと思うと。自分の暮らすこの十勝でも、ここならではの楽器や音楽があって、暮らしの中に音楽があるようなところになればいいなあと思うようになった。そして自分が生きている間に、路地や色んな場所で楽器を持つ人がいたり、子供たちが音楽で遊んでいる風景が見られたらいいなあと、安田さんは言う。

そして安田さんは「ドグラマグラ」という女子だけのバンドを結成してコンガをたたいたり、ボーカルをやったり活動を始めた。ステージの度に衣装や歌う曲や演出など、新しいことにチャレンジするバンドだった。

空想の森映画祭でジンベタイコを教えている人と出会い、安田さんだけでなく、何人かで帯広で習うことになった。私たちと同世代の山北紀彦さんも、「たいこたたき」としてやっていくようになり、年に一度くらいのペースでジンベライブを安田さんが中心になって企画開催し、私たちも前座でたたいたりするようになる。そして今では、ジンベだけでなく、色んな楽器でいっしょに音楽を気軽に楽しむ仲間もできてきている。振り返ると、今安田さんの暮らしの中に音楽が大きな存在としてある。しかも一人じゃない。いっしょに分かち合う仲間がいる。こんなふうになりたいと思っていたことに、ずいぶんと近づいている。

最近スチールドラムが好きになったと安田さん。トリニダード・トバゴというカリブ海の小さな島が、その楽器の生まれたところだ。ドラム缶からできた楽器だ。ドラム缶の底の部分の表面にすりばち状の凹凸をつけ20くらいの音階をつくり、木琴の棒のようなものででたたいて音を出す楽器だ。金属音なのにやさしい感じをうける音だ。

トリニダード・トバゴはもともとアラワク族、カリブ族の先住民が住んでいた。15世紀、コロンブスがこの島に来て以来、1962年に国家として独立するまでにスペイン、イギリスの支配下に置かれ、その間にフランスからの移民、アフリカからの黒人奴隷、フランス系住民と黒人との混血(フレンチクレオール)、インドからの移民と様々な人種がこの島に混在するようになった。そんな中で、カーニバルの風習をフランス系住民がもたらした。

黒人たちはカーニバルでサトウキビ畑に火を放ち、その炎を支配者に対する反抗の精神の象徴とし、批判、不満などを歌に託すようになった。そのため、白人の支配者はカーニバルを禁止し、それまで使っていた太鼓も取り上げられた。すると、竹を色んな長さに切り、地面に打ちつけ、リズムをとるタンブーバンブーという楽器を発明した。やがてこれも禁止されたために、発明されたのがスチールドラムだった。石油産出国なので、たくさんドラム缶があるのだ。

この小さな島で毎年2月、大きなカーニバルがある。このカーニバルで演奏できるのは1チームだけ。地区予選を勝ち抜いたチームが、カーニバルの晴れ舞台で演奏できるのだ。地域で地域でチームがあり、カーニバルでの演奏をかけて、老若男女が一丸となって12月頃からみんなで一生懸命練習を始めるのだそうだ。現在、スチールドラムはこのトリニダード・トバゴの人々の生活に深く浸透している。総勢100人にもなるチームもあるそうだ。様々な歴史を越えてきて、今人々がスチールドラムをたたく姿はどんなものか、安田さんはそれを見に行きたいと言う。私もぜひいっしょに見てみたいと思う。ということで、今年の12月はトリニダード・トバゴロケへ行きたいと考えている。

 

2003年2月25日(火)晴

8時起床。10時から新得町公民館で、今回の前半に撮影したラッシュを全員そろって見る。見ながら、色々と話す。帰り道、フクハラで残り3日分の食料を買う。お昼は宮下さんのソバをゆでる。午後は、森の映画社で2月27日の為のラッシュ編集。全員参加。

晩はマサ子さんが、私の大好物のまぜご飯、サラダなど大量に差し入れてくれる。そして藤本さんも来て、みんなで晩ご飯。西村さんは焼酎を持って来た。上士幌の有ちゃんからもらった小豆島の国産レモンでお湯割りにして飲む。美味しくて幸せな気持ちになる。西村さんも絶好調で、北朝鮮やイラク問題の話など、大いに語る。23時頃西村夫婦を見送りに外へ出る。ふわふわしたいい雪が降っていた。明日、新内の風景を撮影することにした。

 

2月26日(水)晴

6時半起床。新内ホールの横を流れるサホロ川で撮影。晩に降った雪が、木々の枝にふんわりとつもっている。今日は少し風がふいている。空を見上げると、その雪が朝日を浴びながらハラハラと降って来る。なんか心に残る。新内ホール、宮下さんの家の近辺で風景撮影。

それから、私と岸本君は、昼ご飯抜きで森の映画社で編集作業。明日までに仕上げなくてはいけない。小寺君と大塚君はじいちゃんの家の掃除やゴミ出しなどをする。

夜、安田有里さんがエビスを持ってじいちゃんちに遊びに来る。撮影中に友だちが宿舎に来てくれるのは、本当に嬉しいことなのだ。いっしょに晩ご飯を食べる。

 

2003年2月27日(木)晴

午前中から森の映画社にてずっと編集。タイムリミットの16時に終わる。ラッシュフィルムは30分ちょっとにまとまった。なかなかいいのではないか。今回はこれでいく。

18時に帯広のとかちプラザへ到着。50人ほどが入れる会議室を借りた。スタッフで映写、受付の準備。十勝毎日新聞社の人、北海道新聞の人、朝日新聞の木村さん、安田さんのお母さん、平野さんご夫妻(私たちの友だちの両親)、じゃんけんしんしんのマスターなどなど、ぞくぞくと集まってくる。肝心の出演者たちが来ない。

19時を少しまわってから映画「空想の森」十勝応援団の結成の集いを始める。40人くらいの人が集まってくれた。ようやく、安田、定岡もやって来た。プロデューサーの藤本さんの挨拶につづき、監督の私の挨拶。そしてラッシュ上映をはじめる。音がついていないので、私が話しながら見てもらう。みんな結構おもしろそうに見ていたような感じを受ける。感触はいい。終わってから、主な出演者の安田さん、定岡さんに前に来てもらい、一言挨拶をしてもらう。安田さんがこの時、心のこもったいい話をしてくれた。今回の撮影で感じたこと、私たちの映画づくりに共感したこと、そしてこの映画をみる全ての人に、出会えてよかったと思えるような映画にして欲しいなど。定岡さんもいいこと言ってくれた。ここ何年か私たちがいっしょに映画祭や色々なことをいっしょにやってきた蓄積があるから、この映画づくりができるのではないかと。二人の言うことは本当にその通り。そしてこの映画づくりを認めてくれて、そして本当にいい話をしてくれて、私は嬉しくて泣きそうになった。ラッシュ上映が終わる頃、山形から帰って来たばかりの聡美さんも憲一さんといっしょに遅れてやってきた。彼女にも最後に一言しゃべってもらった。これまた聡美さんらしい言葉私は嬉しかった。今までやってきてよかったなあと。みんなの前にすくっと立っている出演者の一人ひとりを、私は誇らしく思った。そして撮影スタッフを紹介。ようやくスタッフが固まり、自分たちの見たい映画をつくるために、それぞれの仕事をし、たくさんの課題はあるけれど、一人でなくチームで映画をつくることをやりはじめたスタッフたちだ。呼びかけ人の方々の挨拶、藤本さんの映画「空想の森」十勝応援団の結成の話を終え、閉会。

つくっていくエネルギーがちゃんとした方向へ転がり始めたような、そんな感じがした。私はきっといいものが生まれてくるはずだと思った。田代陽子、やってやろうじゃないの!

8時半過ぎ、居酒屋元にて打ち上げ。ママがたくさんおいしい料理を用意してくれた。木村さんが前にした約束通り、「十四代」といううまい日本酒を持って来てくれた。みんなお腹一杯食べて飲んだ。私は撮影も終わり、応援団の結成式もいい会になって嬉しくてしょうがなかった。撮影が終わった安田さんは明日から2週間ほど旅に出発だ。最後までしこたま飲んでいた聡美さんと憲一さんと定岡さんは私のアパートに泊まる。私もようやく春らしい気分になってきた。次回は4月中旬から2週間撮影をする予定です。

                        

空想の森便り 第2号 2002年11月

映画「空想の森」便り 第2号
2002年11月
監督:田代陽子

 

 10月3日〜13日の約10日間、空想の森映画祭以来、4ヶ月ぶりの撮影をしました。この間、撮影をするための様々な準備をしてきました。撮影していない時はどんな準備をするのか少し書いてみます。

 

【何を撮影するのかを決める】

 前回のラッシュ(撮影した映像)を見て今まで撮ってきたもの、登場人物たちの今の状況などを考え合わせ、次に何を撮っていくのかを決めます。

 これは主に監督の私の仕事であります。前回の空想の森便り1号で書いたように、私は主な登場人物のうちの二人が働いている新得共働学舎でいっしょに働きながら、次にどういうところを撮影していこうか考えていました。

 そして今回は、じっくり一人の人に寄り添った撮影をしようと決めました。今までの撮影で、あの人もこれもと盛り沢山の撮影をしてよかったところもありますが、じっくり落ち着いてものをみられなかったという反省もあったからです。それで今回は、共働学舎の野菜の責任者になって2シーズン目、結婚して半年になる山田聡美さんの仕事と暮らしを撮らせてもらおうと決めました。

 

【製作資金をつくる】

 映画『空想の森』はスポンサーがいない自主製作映画です。すなわち製作資金は自分たちでつくらなければなりません。映画『空想の森』をつくっているんです、「こんな映画をるくろうとしています。」と、多くの人たちにまず知ってもらうことが大事なことです。そして、こういう映画をつくりたいので製作協力金をお願いしますという旨の手紙を色々な人に出したり、映画『闇を掘る』の上映会の時に『空想の森』のラッシュを上映し、その映像を見てもらい、協力をお願いして資金を集めたりしています。今現在、30人もの人たちから製作協力金をいただきました。まだできていない映画にお金をだしていただき、これからもがんばろうと身が引き締まります。

 

【撮影機材をそろえてチェック】

 映画の機材はキャメラ、三脚、ライト、ダット、マイク、ミキサーなど、色々あります。どれも、たいがい大きくて重たいです。私たちはほとんどの機材を会社や個人の方からお借りしています。

 これらの機材をお借りしてきて、まずは正常に動くかどうか確認します。撮影、撮影助手、録音など、それぞれのスタッフが自分の使う機材をチェックします。ちなみに私はメカニックのことは苦手なので、基本的なことしかわかりません。

 

キャメラ

 フランス製のエクレ−ルという16ミリのキャメラを借りています。前回の撮影で故障したところを修理に出していました。もどってきたらまず、きちんとキャメラが動くかどうかカメラテストをします。1秒間に24コマきちんと動くか、ズームレンズの引きボケはないかなど、実際にフィルムで撮影して現像に出し、上がってきた画を見てチェックします。現像所は東京にあるので、撮影したものが見られるのに時間がかかります。

 

 画と音は別々に撮ります。ゼンハイザーという高性能のマイクで音を拾い、ダットのテープに録音します。離れたところからも録音ができるように、ブームという竿のようなものにマイクをくっつけたりもします。後でこのダットから、シネテープに音を起し、画と音を合わせていきます。

 

照明

 室内や夜の撮影では、ライトを使います。機動性のよいバッテリーライトなどをよく使います。ビカビカに光が当たって見え過ぎるのも気持ちの悪いものだし、かといってよく見えないのも具合が悪いし、自然な感じの光にするのは難しいものです。

 今回の撮影でもライティングに結構時間がかかりました。どのようにライティングするか、これからも試行錯誤でよりよい光りをつくっていきたいです。光と影は映画の最大の魅力ですから。

 

●田代陽子の撮影日記● 

2002年10月3日〜13日 秋の撮影

 聡美さんは結婚して半年になります。仕事の方は、共働学舎野菜部の責任者になって2シーズン目。土づくりから始まって、どういう野菜をどれくらいつくるかを決め、マルチを張り、苗をつくり、畑に植え、雑草を取りったり。と、やることは山ほどあります。大風にやられたり、太陽が出ない日が続いたり、自然にはかないません。野菜ができてくる夏には、帯広への野菜の引き売りも始まります。ワゴン車に野菜を満載して50キロほど離れた帯広市へ野菜を売りに行くのです。

 春から息つく暇もないほど、何だかやることがいっぱいです。その一方で、聡美さんはとても充実している風に私には見えます。きっと結婚して二人になったからかなあと私は思っています。

 聡美さんは結婚してから、よく私や友人たちを夕食に呼んでくれます。この撮影の前に2、3回、山田家で夕食をご馳走になりました。聡美さんがつくったおいしい野菜を、たいがいは帰宅時間の早い夫の憲一さんが料理してくれます。彼が選んだ音楽を聴きながら、うまい酒を飲み、色んな話をしながら食べる夕食。お呼ばれした私も幸せいっぱいになるのでした。

 今回の撮影は、聡美のだんなさんの憲一さんにも協力してもらわないといけません。私はそれまで彼ときちんと話をしたことがありませんでした。今回は二人の夕食や憲一さんの仕事も撮影させてもらいたいと思っていたので、いきなりそんな撮影で嫌に思ったりしないかなど、少し心配していました。彼に時間をつくってもらい、この映画のこと、今回撮影したいことなど色々話しをしました。私は初めて彼とじっくり話してみて、結構面白い人だなあと思いました。幸い、憲一さんはとっても協力的で、聡美さんといっしょにカメラの前に立ってくれることになりました。

 

2002年10月3日(木)

 11:00PM。大阪からスタッフ二人が宿舎である小川のじいちゃんの家に到着。船で敦賀から苫小牧に到着し、プロデューサーの藤本さんが車で迎えに行ってくれた。録音の岸本祐典、撮影助手の大塚伸之。二人とも大阪のビジュアルアーツの卒業生。撮影小寺卓矢、製作藤本幸久、5人全員そろったスタッフで少し話してから就寝。

 

2002年10月4日(金)

 8:30起床。朝食後、スタッフは宿舎の掃除。私は学舎へ野菜をもらいに行く。私は聡美さんにお願いし、撮影の期間、野菜をわけてもらうことにしてもらった。おかげで今回は、旬のおいしい野菜をメインのおかずに、毎日ヘルシーな食事をいただくことができた。朝が早い撮影が多く、三食を自分たちでつくるのは大変だったが、美味しい食事をみんなで食べられたことが何よりだった。

 特にカブ。今年のカブは近年まれにみる美味しさでした。ビロードのような舌触りに独特の上品な甘味。私はほとんど中毒のように、聡美さんからカブをもらっては塩揉みを食卓に出していた。

 聡美さんに時間をとってもらい、撮影の打ち合わせをする。夕方、スタッフみんなでオソウシ温泉へ行く。露天が入れず残念だったが、相変わらずお湯は抜群。行きがけ、TOMにおっちゃん(斉藤修さんといって今年の映画祭で窯をつくった人でTOMで働いている)の車があったので寄った。「またみんなで窯を使って美味しいもの食べようよー」と私が言うと、おっちゃんも「やろうやろう!」ということで10月13日(日)に新内小学校の校庭で釜パーティーをやることに決まった。

 夜、映画祭のメンバーに窯パーティーの誘いの電話をする。今回のロケの打ち上げにもなるし、ちょうどいい。ワクワクしてきた。

 

2002年10月5日(土)

 8:30起床。11:00。森の映画社にて、ラッシュを映写機にかけてスタッフみんなで見る。これは今まで約6時間撮影したものの中から30分ほどに私が編集したものだ。プロデューサーの藤本さん、ラッシュを見ながら思ったことを話す。

 夕方、山田聡美さん関係の今まで撮ったフィルムを撮影スタッフで見る。夜、宿舎である小川のじいちゃん家で夕食をスタッフ全員で食べる。

 

2002年10月6日(日)

 午後、撮影部はカメラテスト、機材チェック。録音部も機材チェック。私は山田家へ行く。憲一さんと今回の憲一さんの仕事の撮影の打ち合わせ。夕食後、今回の撮影項目の話し合いをする。

2002年10月7日(月)

〜憲一さんの仕事の下見〜

 5:15AM、あたりは真っ暗。山田家へ向かう。私たちの宿舎から車で10分ほどだ。憲一さんの車について行き、北広牧場へ。彼の仕事の撮影のためのロケハン。搾乳をしている社長さんにご挨拶し、朝の仕事を見させてもらう。北広牧場は北海道の中でも大きな牧場だ。びっくりしたのが、臭いも少なく、掃除の行き届いたきれいな牛舎。そして牛たちが人懐っこい。

 300頭の牛を3回に分けて牛舎から搾乳室へ追い、搾乳の間、牛舎の掃除をする。これが憲一さんの牧場での主な仕事だ。これを朝晩、一日2回、一人でやるのである。前に話だけは聞いていたけど、実際見ると牛はすごい迫力だった。牛舎は4棟ある。一群〜四群に分けられて、それぞれの棟に牛は入っている。一群はあまり乳量の多くない牛たちが入れられている。二、三群は乳量の多い牛。四群はお腹の大きい妊娠中の牛で搾乳はしない。現在搾乳をしている牛は325頭だ。

 まず一群の牛たちからだ。パズルのようなゲートを開けると、だいたいの牛たちは搾乳室へ歩き出していく。憲一さんはスコップを持ち、糞を通路に出していく。

 「行くぞー!」などと声をかけながら、牛の尻を軽くたたいたり、時に蹴飛ばしたりスキンシップをしながら、遅い牛を追っていく。しばらくすると、今度は足で糞を蹴り出しいった。なんで足でやるのか聞いてみると「スコップでやると手が疲れてもたないから。」とのこと。私はてっきり、彼はサッカーをやっているからキック力をつけるために足でやっているのかと思った。全長約150メートルもある大きい牛舎だもの、確かにこの大量の糞を手だけでかき出すことはできないだろうなあ。

 通路に糞を出すと、今度は大きなショベルカーに乗り込む。器用にシャベルを使い、中央の通路に糞を出していく。その通路の糞を出し終えると、それを牛舎の中央の搾乳室の対面にある糞ため場へ運ぶ。それを今度は壁を上手く使い、大量の糞を大型ダンプの荷台に入れて、たい肥場へ持っていくのだ。ダンプでたい肥場に持っていくのも彼の仕事。大きなダンプやシャベルカーを使いこなし、男の仕事だぜ!という感じだ。

 乳量の少ない一群の牛の糞の量と、よく出る二群、三群の量はずいぶん違う。よく乳を出す牛は食べる量も多く、当然出る量も多い。

 そして牛たちが搾乳から牛舎へもどって来る前に、トラクターでおがくずを牛の歩くところに敷いていく。これはクッションになることと、牛が滑らないようにするためだ。おがくずを薄くまんべんなく敷いていくのだが、そのショベルカー使いは見事なのものだ。

 そしてこの頃には搾乳がおわった牛が、牛の待機場にどんどん溜まってきている。搾乳は一回に32頭づつ行われる。スムーズに牛を牛舎へもどし、次の群を切れ目なく搾乳室へ連れていくことに最新の注意を払い仕事を進めていく。

 一群の牛舎へ戻れるようゲートを開く。きれいに敷かれたおがくずの上を歩き、牛たちは自分の場所へ戻って行く。まっさらなおがくずの地面が、あっという間に牛の足跡だらけになる。それから憲一さんは、今度は小さなシャベルカーに乗り込み、牛が食べやすいように餌を寄せてあげる。

 もう一つ大事な仕事がある。発情している牛の番号をメモすることだ。これだけ頭数がいると、毎日必ず発情している牛がいる。牛は21日周期で発情する。発情時間は24時間。その時に人口授精し妊娠させる。それを一回見のがすと21日遅れてしまう。だから憲一さんはいつもポケットに小さなメモ帳とペンを入れている。発情を見つけるとすぐに牛の耳識番号をメモし、後で繁殖係の人に伝えるのだ。

 ものすごい声で鳴いている牛(けっこう恐い声だった)や他の牛の尻にのっかる牛が発情の印しなんだと私に教えてくれた。だた気をつけなくてはいけないのが、発情していないのに他の牛にのっかたりする牛がいることだ。発情したのにつられて同じような行動をとる牛もいるそうだが、確信犯のえせ発情牛もいるのだ。「そういうことやる牛はだいたいいつも決まってるけどね。」と憲一さん。

 全ての動きに無駄がなくきびきびと働きながらも、陽が上がって辺りが明るくなると、時より顔を上げ、山の紅葉に目をやっている憲一さんが印象的だった。

 この行程を二群、三群と行い、最後に待機場の掃除したら朝の仕事終了。だいたい8時半くらいになっている。真っ暗な中仕事を始め、最後の群の牛を追う頃ようやく陽が出てくる。

 この牛舎は東側に山があり、この時期紅葉がとてもきれいだ。憲一さんは、周りの景色を眺めながら仕事をするのがとても好きだと言う。

 一日の間でも、早朝の暗い中からだんだん明るくなってきて周りの景色が見えてきて変化がある。一年の間でも春夏秋冬と、季節ごとに景色の変化を楽しみながら仕事をしているのだろうなあ。

 朝、毎日彼は誰よりも早く牛舎へ来る。搾乳の係の人が来たら、すぐに始められるようにしたいからだ。「自分の仕事は一人で大変だけど、自分のペースでできるから気に入っている。5分早く仕事が進むと、それは大きな余裕になるんだ。」と憲一さんは言った。

 北広牧場のロケハンを終え、共働学舎へ野菜をもらいに行く。ちょうど朝食の時間。撮影隊もいっしょに朝食を食べさせてもらう。代表の宮嶋望さん、奥さんの京子さんもいらっしゃったので、スタッフでご挨拶をした。

 食べ終わってから、撮影予定の大根、キャベツ、白菜の畑に聡美さんが行くと言うので、いっしょに行ってロケハンをしてくる。いよいよ明日から撮影だ。

 夜、明日の昼のお弁当のおにぎりをつくる。

 

2002年10月8日(火)

〜聡美さんの仕事、やさい屋の撮影

 野菜の収穫、帯広への野菜の引き売りの撮影する。

 6:45出発し、昨日ロケハンした畑へ向かう。少し雲はあるが天気は上々。聡美さんたちは8時頃この畑にくる予定だ。その前にカメラポジションを色々と考える。キャベツ、大根、白菜、朝の光をあびて、ピカピカと実にみずみずしく美味しそうだ。野菜を何カットかフィックスで撮影。遅れるだろうと思っていたが、ほぼ予定通りの時間に聡美さんが野菜ワゴンでやってきた。

 ブロッコリー、キャベツを収穫し、聖護院大根を土から引き抜いていく。手伝いの女の子が収穫したものをワゴンへ運んで行く。

 白菜を鎌でカットし、外葉をとり、根元の芯の部分をきれいに切る。カットする音が、秋の朝に響く。切る度にしぶきが飛ぶ。本当にみずみずしい。太陽を背に受け、聡美は満足そうな顔。虫に食われているところは、鎌の先っちょでほじくり出す。

 この畑は、夏に私が間引きしたところだ。つい2ヶ月前はこの白菜たちは葉っぱがまだ3、4枚しかなかったのに。成長の早さに驚く。

 大根を選びながら、どんどん抜いていく。抜いた大根の先っちょのひげをちょきんとはさみで切る。切り口に黒い筋があるのは、売り物にならないのでよけるのだ。大根の白い肌についた黒々とした土が印象的だ。

 8時半。野菜の選別、包装する場所に、手伝ってくれる人たちが集まってくる。それまでに聡美さんは、戻ってその人たちに指示しなくてはいけない。

 この畑での収穫を終え、私たち撮影隊も撮影を終え、学舎へ戻る。食堂でコーヒーをご馳走になり少し休憩。

 選別場へ。まきちゃんはトマトの選別。朝露にぬれたトマトを一個一個ふき、L、M、S、自家用、取り置き用に。今日もたくさんのトマトが採れている。小さいのを一つ味見した。今日もおいしい。

 小川君はとうきびの根元切りをしてコンテナに詰めていく。仁木さんと佳子さんはねぎ、カブ、セロリなどグラム数を計ったり、新聞紙にくるんだりしている。

 今日はいつもより行くところが増えて、10時20分には出発しないといけないと言っていた。10時も過ぎると、聡美さんもなんとか早く出られるようにと焦っている。いつもにも増してあたふたとしながらも10時半すぎには出発した。

 この日のやさい屋メンバーは聡美さん、佳子さんと手伝いの女の子の3人。

 撮影隊も車2台で追いかける。私たちはまず、帯広市内のズコーシャという会社の駐車場へ。ここで店を広げての引き売りの様子を見させてもらう。空は雲が多くなってきた。肌寒く、あやしい天気になってくる。

 ズコーシャでは結構お客さんでにぎわう。聡美さんがやさい屋便りを手渡しながら「来週が最後のやさい屋です。」と伝えると「あっと言う間だったわねえ。また来年よろしくね。なんだか師走みたい。」とみんな同じようなことを言っていた。

 人が切れて、出したコンテナを荷台に積み込み、移動の準備。次に行く帯広友の会を撮影しようと事前に決めていた。ここで、撮影の小寺くんがカメラを持って、ワゴンの助手席に乗り込む。荷台に、なんとかスペースをつくってもらい、録音の岸本君がマイクを持って乗る。佳子さんと女の子は私の車に乗ってもらう。「新得町より、やさい屋がやって参りました。」というアナウンスから撮ろうということで、スムーズに撮影をするには、と考えた苦肉の策。別々の車で行くと、撮影の準備ができるまで、待っていてもらわなくてはいけない。ただでさえ時間が押して急がなくてはいけないやさい屋に、撮影のために迷惑をかけたくなかった。

 友の会には、約束の時間から10分ほど遅れて到着。聡美さんはそのまま建物の周りをぐるっとまわりながらアナウンスをはじめる。

 建物正面に店を広げる。お客さんは待っていてくれた。持ってきた野菜をひろげていると、たくさんの人が集まってくる。大根、キャベツ、聖護院大根など、今朝採ったばかりの野菜が次々とお客さんの手に渡る。聡美さんはお客さんと話をしながら、コンテナの野菜をよせていったり、空いたコンテナを車に戻したりしている。

 雲が厚くなってきて、ぽつぽつ雨も降ってきた。にぎやかにやさい屋が終わり、私たちはいったん聡美さんたちと別れて、次の撮影予定のみのさんのおばあちゃん宅を下見に行く。その家の前は車通りが激しい。天気は大丈夫だろうか。そしてお腹がすいたので、向いのじゃんけんしんしんでラーメンを食べた。

 やさい屋はみのさん宅に5時に来る予定だ。時間まで少しあるので、私の自宅で休憩。

 4時頃、私たちは撮影現場へ。途中から雨が降り出す。だんだん日が暮れてくる。雨の勢いが弱くなってくる。 撮影の頃には何とか止みそうだ。北の空にとてもきれいな夕焼け雲。みんなで眺めていた。刻々と色が変わってくる。

 やさい屋のやって来る時間が近づいてきたので、みのさんの家の前で用意をしていたら、おばあちゃんが出てきてしまった。これまで何度かやさい屋で私に会っているので、私のことは憶えていてくれた。聡美さんの仕事を撮影する旨を伝え、いつも通り買いに来て下さいと話す。ここで撮らせてもらいたいと言うと快くOK。

 すっかり日が暮れた5時きっかり、やさい屋はやって来た。すごい、時間通りだ。近所をぐるっとアナウンスしてから、みのさん宅前に車を止め、やさいやも撮影隊もさあいつでOK。撮影隊もおばあちゃんが出て来るのを待ち構えた。しかし、なかなかみのさんは出てこない。聡美さんが再度、チャイムをならし、みのさんを呼びに行き、おばあちゃんはやっと出てきた。聡美さんの撮影をするから自分は出て行っちゃいけないと勘違いしていたのだった。

 照明をたいたり、大きなキャメラ、録音のマイクなどあって、いつもと勝手が違うせいか、おばあちゃんは買い物をしたら早々にさようならと家へ戻って行ってしまう。私は玄関まで追いかけ、おばあちゃんに「聡美さんのつくるやさいについて感想など、少し話して欲しいのだけど。」と頼んだ。私でいいのかしらと言いつつOKしてくれる。

 おばあちゃんと聡美の会話がなんともいい感じでおもしろいと私は思っていた。この時はやはりカメラを前に、普段してるような話は出なかったけど、いい感じで話しているところが撮れた。

 これを撮り終えて、フィルムがまだ余っていた。そこで聡美さんにここでコーヒーブレイクをしながら、今日のやさいや3人の記念撮影をしてもいいか聞くと、これまで休憩無しでやってきたのでちょうどいいということになる。

 こうして私たちのこの日の撮影は終了。が、やさい屋はまだまだ続く。私たちは白樺温泉で風呂に入り、居酒屋元のママに電話。夕御飯のこちらの予算言って交渉成立。夕御飯を用意してもらい、たらふく食べて新得へ戻る。

 

2002年10月9日(水)

〜聡美さんのパンづくりの撮影〜

 5:00AM、学舎の食肉加工場2階のパンやケーキが焼ける大きなオーブンのある部屋へ。ライトを仕込むのに手間取る。外はまだ暗いが、今日は曇りらしい。

 いつも聡美さんはここで、自分の天然酵母でパンをつくっている。聡美さんのパンはおいしい。すごいおいしい時と普通においしい時とその時によって色々あるが私は大好きだ。

 6:00AM、聡美さんがやってくる。昨日やさい屋で遅くまで働き、今日は早朝からパンづくりと少々ハードで眠たそうな顔。

 今日はパン4本つくる予定だ。小麦粉を計りボールに入れて水を加え、そして冷蔵庫に保管していた酵母のタネを入れ、こねていく。粉が一つの固まりになっていく。ある程度こねたら、台の上に出して20分程やさしくこねる。

 私の想像とずいぶん違っていた。酵母のタネってものはドロドロしてすごいニオイがあるもので、それを糠床のように大量につくってあり、たまにかきまわしてみたりして、一回一回そこから少しずつタネをとってパンをつくるのかと想像していた。 聡美さんのやり方は、要はヨーグルトを自分でつくるのと同じだった。全部食べてしまわないで、次につくるためのタネを残しておくのだ。

 お湯を湧かしコップに入れたものと、今こねたものを発砲スチロールにいっしょに入れて蓋を閉じる。原始的な方法だ。そして約5時間ほどねかせる。酵母が小麦粉を餌にして増えるのだ。これが一回目の発酵。

 一番初めのタネは共働学舎自家製のヨーグルトに、はちみつ、お湯を加え、三晩ほどビニールハウスの電熱線の入っている苗床にねかせてつくったそうだ。

 お昼過ぎ、学舎でつくった小麦の実をグラインダーで挽く。小麦と言えば白い粉と思うが、初めてまじまじと実を見ると、茶色で固い。これを加えると、風味のよいパンになるそうだ。

 時間になり、蓋をあけてみる。入れた時より増えている。聡美は「あれー」って顔をしている。「寝ぼけて水の分量多すぎたかもー」と聡美さん。確かにベトベトした感じだ。どんなパンができるのだろうか、楽しみだ。

 次のタネを容器に入れ冷蔵庫にしまう。残ったものに先ほどの挽いた小麦とまた小麦粉と塩を加え、また20分ほど丁寧にこねる。そして同じ方法で2回目の発酵をさせて3時間ほどねかす。

 時間になり開けて見てみる。やはり水の分量の間違いでゆるい感じだが、確実に大きくなっていた。これを4つに分け、手慣れた感じで外側の皮をつっぱらせるようにまるめていく。濡れふきんをかけ15分程生地を休ませる。 

 成型作業。いよいよパンの形をつくる。まるを長くのばしていく。形ができたら同じようにして3回目の発酵をさせる。これを「ホイロ」という。

 1時間後、見てみると少し膨らんだが、でろっとしていた。

 「うーん」と言いながら、聡美さんはそれぞれの生地に3本ななめにクープという切れ目を入れる。中のガスを抜くためと、パンの表面積を増やしパリパリ感を引き立てるためだそうだ。中はしっとり、外はパリパリになりますように。

 生地を天板に移し、210度で30分焼き上げる。仕事の合間にパンをつくっていたので、焼き上がったのは夜7 時過ぎだった。格好は良いとは言えないが、焼きたてのパチパチする音も聞こえた。「失敗した」と聡美さんは言っていたけど、なかなかおいしいパンだった。私たちは1本もらったが、あっという間に食べてしまった。

 聡美さんは次の日もパンをつくったのであった。忙しい中、パンづくりのスイッチが入ってしまったようだ。大成功のパンももらったのだが、姿も味も絶品だった。

 映像には失敗作が映っているけど、大成功の時もあると見ている人に知らせないといけないなあ。失敗もあれば上手くいく時もあるさということで、聡美さんらしくて私はよかったんじゃないかと思っている。

 

2002年10月10日(木)

〜憲一さんの仕事の下見〜

 4:30AM起床。外は霧。牛舎の中での作業は、光が少ないので撮影が難しい。現場で判断することにした。5:15AM時間通り憲一さんは牧場へやってきた。 

 この時点で雲が厚く、今日の撮影はやめた方がいいと判断。明日に延期とした。せっかく来たのだからもう一回、彼の仕事を中に入って見学させてもらうことに。明日撮影するところを確認しながらワンクールを見学。

 そのうち空の雲が切れてきて、朝の日ざしが差してきた。牧場全体が見えるところを探して、刈り取られた後のデントコーン畑を歩く。歩きながら、朝日がビカーと出てきて雲がどんどん流れていき、山の紅葉がくっきりとしてきた。とても美しい光景だった。

 撮影の小寺くんが「今撮ろう!」と言った。「そうしよう。撮ろう!」と答え、急いで撮影の準備をし、広い画をワンカット撮った。「明日はきっと朝からいい天気になるね。」と私は言った。

 

〜二人の夕食の撮影〜

 宿舎で少し休憩。午後、私は山田家の鍵をもらいに学舎へ。18:00PMまだ二人とも帰ってきていない山田家へ。中へ入ってライトの位置を決め、撮影準備。

 夕方の搾乳が終わって、憲一さんが7時過ぎに帰宅。「明るいね。」と第一声。40ワットの白熱灯だったのを、撮影のため明るくライティングしたためだ。

 憲一さんはまずお風呂に入ってさっぱりしてから、音楽をかけ夕食の支度にかかる。この日はカブの蒸したもの、ねぎとしゃけの炒めもの、昨日つくった大根の煮物。野菜はもちろん聡美さんのつくったものだ。

 憲一さんは手際良くちゃっちゃかと料理をしていく。前にイタリアンレストランで働いていたという彼の料理道具はすごい。包丁は小さいのから大きいのまで一揃名前入りで冷蔵庫の上にずらっと置いてある。ボールやザルは美しく使い勝手のいいものが、りんごの木箱の棚の中に。鍋はプロが使うようなシンプルでがっちりしたものが、細い木を格子状にして天井に着けたのものにぶらさげられている。それらの道具たちが、けして広いとは言えないキッチンに使いやすそうに置かれている。

 私も料理道具が大好きで、いいなと思うものが多く、しかもへえーと思うディスプレイ。部屋を見ても、写真の飾り方、小さい飾りや普段使う文房具の置き方などなど、随所に憲一さん色が見られる。見ている私も楽しい部屋です。憲一さんはこの暮らしを楽しんでいるんだなあ。

 聡美さんは「なるべく早く帰るから。」といつものように言ったらしいがやはり、この日もなかなか帰って来ず。でも、憲一さんはいつもひたすら待っている。本を読んだり、音楽を聴いたりしながら。それどころか、温かいものを食べさせたいからということで、聡美さんが帰ってきてから炒めたり蒸したりすぐできるように準備している。結婚っていいものだなあ。憲一さん曰く、期待しないで待っているのがコツだそうだ。

 彼も以前何年か学舎にいたことがあった。なかなか時間通りに物事が進まないこと、そこでやっていくことの大変さがわかるので、聡美さんのことを「よくやっているなあ。」と思うこともあるようで、聡美さんの良き理解者で協力者でもあるのが憲一さんなんだと私は思った。

 「ただいまー」と服や顔に土をいっぱいつけて聡美さんが帰ってくる。今日も一日めいっぱい畑で働いてきた姿を、私は素敵に思う。「泥んこ遊びして帰ってきた子供みたい。」と憲一さんも笑う。

 早速憲一さんはカブを蒸し始める。聡美さんはうろうろしている。キッチンに立つ彼に「何をつくっているの?」と聞いたり、食卓に並んでいる食べ物をみて「いいメニューだ。」と一言つぶやく。憲一さんがキッチンから「お風呂に先に入る?」と尋ねると「先に食べる!早く食べよう、食べよう!」と聡美さん。「それは俺のセリフだよ。」と憲一さん。聡美さんは廊下の方へ行き、日本酒の一升瓶を持ってきてテーブルの上へ置く。

 8時半を過ぎてようやく夕食が始まる。憲一さんは待ちくたびれてお腹すいてるだろうなあ。まずは日本酒で二人で乾杯。話題は今食べている野菜のことになる。「ねぎがとってもおいしいね。」「みりんだけで炒めるのもおいしいもんだね。…」そして話題は共働学舎の話になる。「今日帰り際に、やさい屋のことが問題になって、それで遅くなったの。とても大変なわりに、儲けが少ないって。もっと効率良くやったらいいんじゃないかって。…」学舎の話は尽きない。

自分でつくった野菜を食べながら美味しいお酒を飲み、その日一日あったことを話す。うーん、なんて幸せなこ となんだろう。山田家の夕食の撮影をしながら私は思った。

 

2002年10月11日(金)

〜憲一さんの仕事の撮影〜

 5:00AM、快晴。今日は憲一さんより早く牧場へ向かう。撮影準備をして、憲一さんを待ち構える。ずいぶん寒くなってきたことを感じる。まだ暗い中、搾乳室を通り抜け、時間通りに彼はやってきた。いつものように仕事を始める。今日はやけに発情の牛が多い。あちこちでモーモー凄い声で鳴いていて、のっかりあっている牛もいる。

 私たち撮影隊も、憲一さんといっしょに牛たちの中に入る。牛たちは何回か通って来た撮影隊に慣れたのか、近寄って来て興味深そうにしている。私たちもその牛の尻を叩いて追ったりした。大きなキャメラや録音のブームマイクに、牛が神経質になったらどうしようと少し心配していたのだが、これなら大丈夫だ。

 「今日は早く仕事を始めたから余裕があるよ」と憲一さん。「天気が良くてよかったね。紅葉もきれいに見えるよ。」と作業の合間に私に話しかける。

 朝早くから、牛を相手に広い牛舎の中を動き回りながら働く彼の姿はカッコよく、美しい。

 

〜山田家食事会の撮影〜

 山田家はよく友人を食事に招待してくれる。今回は私と、学舎で経理の仕事をしている定岡美和さんがお呼ばれした。

 結婚してからすぐに、聡美さんは夕食に来てくださいと招待してくれて、何回かお邪魔した。いつもおいしく楽しく食べて飲み、いい時間を過ごす。聡美さんは先に寝てしまい、憲一さんと色々話したりもした。この時間が今回の撮影につながったんだなあ。

 この日は4人でにぎやかな食事会。聡美さんのつくったパンに、学舎のチーズやバターをつけて食べると、これまたうまい。豚肉と白菜の鍋。醤油にシークワッサーの原液をたらしていただく。豚肉も学舎の豚だ。素材がおいしいからシンプルな料理が味を引き立てる。

 キャメラがあるというのに、美和ちゃんも聡美さんも憲一さんもいつもの通りだ。ワインを飲みながら調子が上がり、いつものように思うままにあっちこっちに話題が飛ぶ。

 さあ撮影だ!という時にキャメラのスイッチが故障してしまうアクシデント。なんとか修理した時には、あらかた食べ終わりお酒も進み、お腹一杯で眠たくなってきた頃で、満足のいく撮影はできなかった。

 これは残念ではあったけど、今回の撮影を通して私は大きな手ごたえを感じていた。大きなキャメラの前で、人は自然でいられようはずがない。いつものように自然にしているつもりでも、心のどこかに映されているという意識があるはず。それが前提なのだ。私は登場人物の人たちに、このキャメラでこういうところを撮りたいんですが、と事前に話をしに行く。そして撮影にのぞむ。こういうことをしているうちに、きっと登場人物の人たちは、だんだんとキャメラの前で自分を表現していっている、そんな感じを受けたのだ。

 

2002年10月12日(土)

 〜機材整理と今回の撮影の反省会〜

 撮影に関しては、撮る人を絞ったので、落ち着いてできた。録音に関しても臨場感あふれる音、フィルムのまわっていない時でもいい会話を録音できた。と、たのもしい発言。技術的、スタッフのそれそれの役割と連係に関して、これから課題はたくさんあるけど、この映画はきっとおもしろいものになるはず。がんばろう。

2002年10月13日(日)

 〜窯パーティー 打ち上げ〜

 新内小学校で10:00頃から始めるよ!とみんなにお知らせしていた。今年のSHINTOKU空想の森映画祭で、おっちゃんこと斉藤修さんが中心となって、西村堅一さんといっしょに本格的な窯をつくったのだ。河原から大きな石を採ってきて組み上げ、その上にレンガを組み、パンやピザやケーキなど、何でも美味しく焼ける優れものの窯なのだ。しかもその姿も美しい。

 時間に行ったが、まだ誰も来ていない。空は厚い雲に覆われている。寒い。火をたこうと、撮影隊のみんなで木を集めてきて、大きな柏の木の近くに焚き火をおこした。

 昼前後になって、ぽつぽつと小寺夫妻、安田有里、西村夫妻、おっちゃん、定岡美和、聡美さん、学舎のチーズ工房の山田圭介、美紗子ちゃんが集まって来た。みんなそれぞれ食べ物、飲み物を持ってきてのポットラックパーティーだ。

 西村さんは、でっかい焚き火が大好きで、どんどん周りの枯れ木を切り出しては運んできて、あっという間に凄い焚き火をつくり「ガッハッハ」と嬉しそう。

 聡美さんはまたパンをのタネを持ってきた。発酵がまだ終わっておらず、焚き火の近くに置いておいたら、西村さんに蹴り飛ばされて、危うく火の中へ入りそうになったが、無事に窯で焼き、みんなでおいしく食べた。

 西村マサ子さんは、自分でつくったカボチャを持ってきた。それをおっちゃんのダッチオーブンに入れ焚き火に放り込んだ。これがまたホクホク甘くておいしい。

 有里ちゃんはイカを持って来た。おっちゃんと二人でさばいて、釜の中でホイル焼きをつくった。お酒には最高だった。来月出産予定の小寺カメラマンの奥さんの典子さんも、お酒を少し飲みながら、美味しそうに食べていた。

 圭介さんたちは、チーズをたくさん持ってきてくれた。ワインにぴったりだった。

 厚い雲は流れてゆき、午後には太陽が顔を出してきた。気持ちのいい秋の日になった。

 この日久しぶりに会った有里ちゃんが、私に開口一番「壮大なこと思いついたの!」と夢中になってひとしきり話をした。確かに壮大だった。そして有里ちゃんらしかった。仕事をやめた後、これからどういうことをしていこうかとずっと考えていたはずだ。有里ちゃんの話を聞きながら、私は嬉しくて仕方がなかった。この話は次回に。

 ああ新内小学校でのこういうところ撮りたいよなあと私が思っていると、藤本さんが隣にやってきて、「これをラストシーンにしようぜ!」と言った。

 みんな楽器を持ってきていて、トランペット、ギターを弾いたり、ジンベドラムをたたいたり、いっしょにやったりと、なんかホントにゆったりした楽しい時間だった。映画祭以外でもここで、こうして集まり、おいしいものを食べるのもいいもだ。こんな感じで、みんなで夜10時近くまで焚き火と窯の周りで、食べて飲んでしゃべっていたのだった。

 

◆聡美さんと今年最後のやさい屋へ行く・二人で打ち上げ◆

 10月15日、今年最後の火曜日のやさいやの日を、私は聡美さんといっしょに行った。今年、私は4回目のやさい屋だ。ロケの間協力してもらい、たくさんの野菜をいただいたお礼を、労働で返そうと思ったのと、撮影をさせてくれたみのさんのおばあちゃんに、一言お礼を言いたかったからだ。

 昼ごはんのおにぎりも運転しながら食べ、休憩もとらず、この日は気合い入れてほぼ時間通りにまわった。

 私は撮影が終わり、本当にほっとして、この日はなんだかとても飲みたかった。聡美さんもやさい屋を自分で行く日が最後だった。だから今日のやさい屋が終わったら、ワゴンの荷台で二人で飲もうということにしていた。前に私がやさい屋に行った時、学舎に帰ってきてから聡美さんとワゴンの荷台で飲んだことが、なんだか妙に楽しかったので、またやりたいと思っていたのだ。

 途中で寄る幕別町のお客さんの福田商店で、私と聡美さんは美味しいワインなどを買い込んだ。

 みのさんにもお礼を言うことができ、夜9時過ぎ、ようやく全てのお宅への野菜の配達が終わった。ここから学舎まで1時間ほどの帰り道。その前に初めての休憩をとる。コンビニの駐車場で、私は持参した道具でコーヒーを沸かして二人で飲んだ。

 10時半ころ学舎へ到着。荷台を片付けてすべて終わったところで、売れ残ったチーズと買ってきたワインで打ち上げだ。

 「憲ちゃんに田代さんとやさい屋に行くと言ったら、じゃあまた遅くなるねと言われたから大丈夫。」と聡美さん。「よーし、じゃあ飲もう!」ということで、クーラーボックスをテーブルにして、明かりをつけ、やさいワゴンの荷台の中で、私たちはとりとめもなくしゃべり、おいしいねえと言いながら飲んだ。聡美さんが結婚してから、前のように朝まで飲み明かすこともできなくなるのかあと思っていたが、この晩は久しぶりだった。私はとてもいい気分だった。

■次の撮影■

 来年2月に、半月程撮影をしようと思っています。何を撮るかは、今だいたい頭の中にあるのですが、これからじっくり練っていこうと思っています。

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