2018年3月21日。
信級の早春。
雪が降ってきました。
寒いはずです。
関口さんの炭焼き小屋。
信級小学校。
かたつむり食堂では、お彼岸のおやきをつくっていました。
今日は寺島純子さんもいらっしゃり、再会。
寺島さんは人をあったかい気持ちにさせてくれる人だなあ。
美味しかったです。
石坂さんがこの冬に雪山で腰をひねり、信州新町の病院に数ヶ月入院していた。
今日、退院の日ということ。
石坂さん、病院からかたつむり食堂に直行してきます。
ちゃんと歩けています。
よかった!
純子さんがストーブの横に石坂さんの席を作りました。
久しぶりのかたつむりのご飯です。
ずっと病院食で、胃が少し小さくなった石坂さんのために
おかずを少しづつ、小鉢に盛り付け。
石坂さん、よかったですね♪
私は定食をいただきました。
外はまた雪化粧。
石坂さんの退院記念です。
2018年3月20日。
いわきを後にして、その足で長野の信級へ向かいました。
昨年9月の信級上映会で初めて訪れた信級。
また行きたいなあ、とずっと思っていました。
長野駅まで植野くんが迎えにきてくれ、早速、かたつむり食堂へ。
お店の前で次々と知人友人に出会います。
植野くんの師匠・炭焼き職人の関口近夫さんとも再会。
嬉しかったです。
なかなかお店に入れません。
かたつむり食堂の屋根の立派な柱!
かたつむり食堂の2階に部屋ができていました。
飲んで帰れなくなった人はここにお泊まりできます。
空のアトリエのカレンダーが貼ってありました。
去年の9月に私がきた時から今までの信級のニュースをきよみさんから聞きました。
きよみさんは、去年の9月、きよみさんはかたつむり食堂に働き始めて間もない頃でした。それが、最近結婚して信級の住人になったのです。
旦那様はきよみさんにラーメンの作り方を教えにきてくれた人だそうです。
なんておめでたいのでしょう。
もう一つは、かたつむり食堂から歩いて5分のところに住む越山さんの家が火事で焼けて、越山さんが亡くなってしまいました。
越山さんは91歳でした。
かたつむり食堂ができてから毎日楽しみに通っていたそうです。帰りにきよみさんが手を繋いで家まで送って行ってあげていたそうです。
とても悲しいけど、最後は幸せな日々を送っていたことがよかったなあと、植野くんは言っていました。
植野家は相変わらず賑やかでした。
双子のイサナくん、カナタくん、末っ子のミナトくん。
小学校の授業でけん玉があるそうで、特にイサナくんがけん玉にハマっていました。
もし亀を膝を使ってリズミカルに何度も繰り返します。
カナタくんは、漢字が大好きで、難しい漢字の読み方をよく知っています。
この夜、きよみさんがかたつむり食堂を開けてくれました。
ありがとうございました。
山菜の天ぷら。
ぬか漬け。
これが、旦那さんから習った信級ラーメンです。
本格的なラーメンで美味しいです!
ほんと、かたつむり食堂最高です。
美味しいです。
2018年3月19日。
この日は一日船生さんがいわきを案内してくれました。
船生さんは、昨年7月、いわきからわざわざ栃木の益子の上映会に見にきてくれて、
見た直後、いわきでもやりたい!と言ってくれた人です。
そのおかげで、去年の福島ツアーが実現しました。
そして、今回の古滝屋さんでの上映会に繋いでくれた人です。
今までなかなかゆっくり話せる時間もありませんでした。
今回は上映会の後、1日ゆっくり船生さんと過ごせる時間も私は楽しみにしていました。
船生さんの話は本当に面白いです。波乱万丈、ドラマティックすぎます。
時々ポツリと震災の後の話になったりするのですが、それは本当に胸にきます。
どれほどの思いをしてきたのでしょうか。
めちゃくちゃ働き者で、一生懸命で、率直で、明るくて、美味しいお菓子をつくる船生さん。
出会えて本当に良かったです。
最初に連れて行ってくれたところは、久之浜の秋義神社。
海のすぐ近くにあります。
ここは津波が来て、その後火災が起きて63人の方が犠牲になったところです。
この辺りは住宅地で家がびっしり建っていましたが、ほとんど津波でさらわれてしまいました。
しかし不思議なことに、この神社の本殿はそのまま建っているのです。
この小さな神社が津波と火災から免れて今もここに建っています。
この神社の神様にご挨拶し、犠牲になった方々のご冥福をお祈りしました。
そして、私がぜひ行きたいと思っていた回廊美術館へ連れて行ってくれました。
なんと素敵なところでしょう!
2013年にオープンしたこの美術館。
今後99年かけて9万9千本の桜を植えていくそうです。
ここで春にイベントがあるそうです。
船生さんは毎年出店しているそうです。
向こうの山もこの美術館だそうです。
ハイキングですね。
いわきの浜に流れ着いていた木造船。
この船は世界中の美術館を旅した船です。
お昼寝したりして、一日中楽しめそうです。
いわきに来たら、またここに来たいです。
そしてランチは平コノイエへ。
美味しくいただきました。
満足感半端ありません。
ほんと、いいお店です。
うちの近くにあってほしいお店です。
いわきに来たら、また食べに来ますね。
アクアマリンは閉館間際で見学できず。
海沿いを歩きました。
海上保安庁の巡視船が停泊していました。
そしてここもぜひ行きたかった古川クラ酒店。
昨年の上映会に見にきてくれた丹さんのお店です。
店内に入っただけでテンションが上がります。
配達から帰って来た丹さん。
今晩船生さんと飲むワインを選んでもらいました。
丹さんはブドウの生産者の話から始まります。
ブドウをつくる人、そのブドウでワインを醸す人、そしてそのワインを飲む人に繋げる丹さん。
丹さんの話を聞いていると、ワインめちゃ飲みたくなります。
天職ですね。
4月にワインと料理の店をオープンするそうです。
今度いわきに来たら行きたいです。
丹さんに選んでいただいたこのワイン、ほんと、美味しかったです。
船生さんの仕事場に帰って、夕食。
ワインを二本空け、夜中まで尽きない話。
仕事場の2階に「風のたより」のポスターを貼ってくれていた。
嬉しい。
船生さんのクッキー。
ほんと美味しいんです。
購入しました!
船生さん、お世話になりました。
楽しい時間をありがとうございました。
また、いわきに行ったら一緒に飲みましょうね。
2018年3月18日。
朝起きて、みんなで古滝屋自慢の温泉に入りました。
大浴場は違った趣向を楽しめるように何種類もありました。
そして朝御飯をいただき、みんなと別れ、私はスタディーツアーに参加します。
今回は楢葉町、浪江町、富岡町の沿岸部を1日かけて見て回るスケジュールを組んでくれました。大学生のグループも参加して総勢25人ほどのメンバーで出発しました。
里見さん、坂本さんがマイクを持って案内をしながらのツアーが始まりました。
里見さんは、初めにこんなことを私たちに語りかけました。
テレビや新聞の情報だけでなく、現場に立って、実際に自分の目で見て、感じて、
そのことを自分の家族、友人、仲間に話をしてほしい。そしてこれからも、このスタディーツアーを続けていきたい。と。
私は深く共感しました。
そして、行った先々で写真など自由に撮って構いません。
ツアーを始めた頃、参加者の方々が遠慮して写真をとらなかったので、初めに言うことにしていますと里見さんは言いました。
放射能、放射性物質の違いなどの基本的な説明をしてくれました。
今日の行程で線量の変化をみんなで見てみましょうということで、
里見さんから線量計を渡されました。
これはいわき市内です。
四倉から高速にのりました。
ここは楢葉の手前あたり。放射性廃棄物の入った黒いフレコンバックが空いている土地に積み置かれています。
このような風景は高速から何度も見ることになります。
楢葉のパーキング。
線量計が設置されています。
ところどころ高速道路の脇にも線量計があり、今の線量が表示されていました。
サッカー選手の足型がありました。
私たちのバスの運転してくれた浜通り交通の高木運転手。
実は昨日が誕生日で仕事だったので、本当は今日休みたかったのですが、
スタディーツアーの仕事と聞いて、今日の運転を買って出たそうです。
普通の観光の仕事よりも、このスタディーツアー運転の方がやりたいのだそうです。
運転中も、また現場に降りてからも、積極的に話をしてくれました。
どのくらい放射線を浴びたか累計するバッジをつけています。
浪江駅。
2017年4月から鉄道が再開しました。
ただ、浪江ー富岡間はまだ開通していません。
この間は代行バスが走っています。
浪江町は2017年3月に避難指示が一部の地域を除いて解除されました。
帰ってきた人は、全体の2%くらいだそうです。
海の方へ向かうと、このような風景が広がりました。
震災前はびっちり住宅地だったところだそうです。
ここにたくさん家が立ち並び、当然店もあって、多くの人たちの暮らしがあって、日々生きていたんだろうなあ。
請戸小学校。
100人ほどの生徒が通っていたそうです。
海から500メートルのところに建つ。
津波がきましたが、2キロ先の大平山へ避難して全員無事でした。
校庭から福島第一原子力発電所も見えました。
校舎の裏に回りました。
前に見えるこんもりした山が、請戸小学校の子供たちが逃げた山です。
町は原発の作業員の方や太陽光パネルの取り付けの工事の方などが多く住んでいます。
なので、コンビニやスーパーなど、少ないですがお店が開いています。
事業主が空き家になった家の持ち主さんと交渉して、家を借り上げ、工事の期間中、作業員の方を4、5人の住居にしているスタイルが多いそうです。
役場にマルシェがありました。
この日は日曜日。
あいている店は、さらに少なくなります。
私たちの昼食はここでとる予定でしたが、休日でお店も閉まっていたり、早く店じまいしていたりしてここで食べられませんでした。
少し走って、日曜日でも空いているスーパーで、お弁当を買ってみんなで食べました。
まだまだ立ち入りを制限されているところがあり、その入り口にはバリケードが立ち、警備の方が立っています。
福島第一原子力発電所。
富岡駅で日向ぼっこしているお二人に声をかけられました。
太陽光パネルの設置の仕事で、広島から富岡町にきている方でした。
半年ほどの契約で、まだ期限まで何ヶ月も残っていますが、
もう広島へ帰りたいっとぼやいていました。
住居は、会社が借り上げた一軒家に5人ほどで住んでいるそうです。
店もなく、飲み屋もない。
飲みに行くとしたら、いわきまで電車に乗って行くしかないのがけど、
終電が8時頃という。
仕事が休みの日曜日は行くところもなく、こうして駅で日向ぼっこしているそう。
富岡駅は海のすぐ近く。
津波で駅舎はもっていかれ、新しい駅舎になっています。
このパトカーに乗って住民に避難を呼びかけた二人のおまわりさんが津波に飲み込まれ、亡くなりました。
一人の方のご遺体はまだ見つかっていません。
最後まで職務を全うされた双葉警察署の増子警視と佐藤警部にみんなで感謝を捧げました。
富岡町の桜の名所。
2.2キロに渡って桜のトンネルができる富岡町・夜の森地区。
そのうち1.9キロはまだ期間困難地域に指定されています。
バリケードの向こうが帰還困難地域。
当時まだ小さかった娘さんのことを考え、奥さんと娘さんと2年半ほど別々に暮らしたことなど、坂本さんが、震災の時のことを話してくれました。
みんなそれぞれ震災、そして原発事故の時に考え、決断してきたのだけど、やはり福島は物理的に距離が近い分、どれほど切迫した気持ちだったのだろう。
楢葉町の木戸の交民家。
多くの被災家屋が解体されている中、この古民家を再生・活用してこの場所を地域コミュニティーの交流の拠点にしようと取り組んでいます。
運営しているリキッドの代表の緑川英樹さんのお話をお聞きしました。
田んぼや畑もやっていきたいと話していました。
古民家の前の畑に、玉ねぎを植えたそうです。
こうしてスタディツアーを終えました。
建物があるのに人がいない町、
前は住宅が立ち並んでいたところが、津波でさらわれた海辺の地帯。
明らかに違う空気が流れていました。
実際自分がそこに立ち、空気を吸ってみなければ感じられないことがたくさんありました。
そして自分生まれ育ったいわき・福島県が大好きで、活気あるいいところにしたいと願う里見さんや坂本さん、高木運転手の思いに触れて、心動かされました。
被災地の今を自分の目で見たい方は、古滝屋のスタディーツアーにぜひ参加してみてください。
今回、参加させていただき、本当にありがとうございました。