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旅する映画 その5 高崎映画祭へ ~序文~

空想の森が完成して、一年が過ぎた。
この間、がむしゃらに突っ走ってきた、という感じだ。
それが、今を確かに自分で生きてるって、感じることでもあった。

自宅の食卓テーブルが、手紙や本、書類などの山になって久しい。
嬉しいことに、旅の多い暮らしになった。
映画と共に旅をしながら、私は、自分のやってゆきたい方向が少しづつ見えてきた。
何をしていくべきか、おぼろげながら、その輪郭が見えてきた。

映画は完成した。
しかしまだ、それにまつわる私がやるべきことは終わっていない。
映画は本当に面白いのもだ。

次から次へと先が見えてくる。
一本の映画に、終わりがあるのだろうか。
ないのかもしれない。
終わりは、自分で決める日が来るのだろ。

 

旅の途中。
電車やバスの窓を流れていく風景。
ぼんやり眺めていると、心を動かされることが時々ある。

繁華街の商店街。
コンビ二や携帯電話の店など、新しい店が立ち並ぶ。
そんな新しい店に挟まれた格好で、
いかにも古そうな面構えの小さな間口のうなぎ屋があった。
早朝。
私はバスの中。信号待ちのわずかな時間のことだった。
腰の曲がったおばあさんが、その小さな店の入り口の木の格子戸を、
しゃきしゃきと雑巾がけをしていた。
朝の光が、それを照らしていた。
きっと毎日、ずっと昔から、こんな風に掃除をしているのであろう。
ここのうなぎはどんな味なのだろうか。
きっとおいしいに違いない。

田舎道を、バスで移動中のこと。
辺りは稲作地帯だった。
あぜ道。
コンテナに腰をかけて、田んぼを眺めているおじいさんが一人。
春のうららかな陽射しにつつまれていた。
何を思って眺めているのだろうか。
もうすぐ始まる田植えのことを考えているのだろうか。
それとも、俺の田んぼは美しいなあと思って眺めているのだろうか。

 

上映の旅で出会う人たちと交わす会話、地元の旨い酒と食べ物。
偶然見かけた人の営みの断片、そこに降り注ぐ陽の光、幾種類もの萌え出る緑が、
全てを出し切って空っぽになっている私の身体に染み入ってくる。
現在、私の目の前にある今を感じたい、味わいたい。

何だかそう、私は思うのです。

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