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撮影報告 その21 原発カフェ・山田晴作くん初対面・ジョー・オダネル写真展

第1回原発カフェ。函館・小春日和にて。
2011年7月23日。
大間訴訟の会の原告でもある函館の野村保子さんが中心になって、お茶を飲みながら原発のことや何でも気軽に話せる場をつくろうと
「原発カフェ」を立ち上げた。
私もそのメンバーになった。
私はこの4月から撮影を始め、各地の人たちの原発に対する思いや考えを聞いてきた。
顔を合わせて話すことの大切さを改めて感じていた矢先だった。
このような場も、流れを変えていく一つの力になると感じている。
記念すべき第1回目の原発カフェは、ピースウォークの時間と重なってしまったが、5人が集まった。
何を食べればいいの?
子供に食べさせるものが不安。
原子炉の中の燃料はどこにあるの?
途中から、映画や本の話しも・・・話しは大きく広がった。
次回は、9月。大間原発の第3回目の裁判が終わった後に、また集まることになった。
2011年7月24日。
野村さんに、大間原発が見えるポイントを案内してもらった。
大森浜、住吉漁協、立待岬。
少し雲がかかってはいたが、津軽海峡を挟んでうっすらと大間原発は見えた。
浜では何人かのサーファーが波の具合を眺めていた。
今日の波は今一つらしかった。
キャメラのファインダーの中の大間原発を見ながら思った。
この人たちはすぐ向こうに見える原発のことをどう思っているのだろう。

弁天町のタケダストアに行きたいという私のリクエストに答えて、野村さんが連れて行ってくれた。
大間原発訴訟の会の代表の竹田とし子さんご夫婦のお店。
お肉屋さん、魚屋さんが入っている。

その魚屋さんは、前に森町のハルエさんのお宅で会った魚政さんだ。
今日は日曜日。
残念ながら魚政さんはお休みだった。
お肉屋さんで、ローストビーフと牛肉のたたきが並んでいるのを見つけた野村さんは、
「これはいつもあるものじゃないのよ。ここのはすごくおいしいから。」とコーフン気味に言った。
肉屋のご主人も、「うちのたれは手作りでうまいんだ」というもんだから、
私は今日泊まらせてもらう親方の家のお土産に、たたきをひとパック買った。
店には野菜、食品がたくさん並んでいた。
こんな店が自分の家の近所にあったらいいなあと思う店だった。
竹田さんはレジに立っていた。
タケダストアーの奥さんだ。その様子を少し撮影させてもらった。
竹田さんがゆでたとうきびを一本づつくれた。今年初めてのとうきびはとてもおいしかった。
そして、竹田さんと野村さんと、元町のギャラリー村岡へ。
ギャラリーの前の小さな道は猫待通りと呼ばれている。
この通りでマーケットが開かれていた。
パザールバザールの國立さん夫妻も出店していた。
レンズ豆のスープを買った。
何匹か、猫も歩いている。
ギャラリーの前では音楽をやっていた。
なんだかいい雰囲気だった。
ギャラリーの中で、佐藤国男さんや村岡さんたちとみんなでおしゃべり。
そして私は親方の家に向かった。
2011年7月25日。
山田農場へ。
牛やヤギたちは牧草地で草をはんでいた。
アヒルのガー子も畜舎の周りで地面をつついていた。
空には雲がゆっくり流れている。
穏やかで幸せな気分になる。
家の前で圭介さんが一輪車を引きながら「中にちっちゃい子いるよ」と嬉しそうに言った。
あゆみさんは7月12日に無事男の子を出産した。出産当日もあゆみさんは搾乳をし、圭介さんがチーズをつくってからみんなで病院に向かい間もなく出産という、とてもスムーズなお産だったそうだ。
牛のべー子も翌日の13日に無事オス牛を出産したそうだ。
かち合わなくて本当によかったとあゆみさんは言った。
あゆみさんは出産後、ますますつるっとしたいい顔をしていてとても元気だった。
赤ちゃんの名前は「晴作」。明るくていい名前だと思った。
ハルサクは穏やかで落ち着いた雰囲気だった。
頭の毛が黒々とはえていておでこが広い。
抱かせてもらった。
小さくて柔らかくてあったかかった。
この子の未来が明るいものであるようにと願わずにはいられない。
建設中のチーズの熟成庫はセメントが流し込まれていた。
もうしばらく完成まで時間がかかるそうだ。
滋賀のこと・原発カフェのことなどを話しながらお昼ご飯を一緒に食べた。
話の流れの中で圭介さんがこんなことを言った。
「お金がなくてもこんなに幸せに満足に暮らしているってことを表していくことが俺らの役割なのかな。」と。
そして滋賀大学でつくった「北海道・山田農場より、大間原発のこと」のDVDを二人に見せた。
とにかく無事に生まれてよかった。
マチセンにて。函館。
2011年7月28日。
マチセンにて、野村さんと待ち合わせ。
ジョー・オダネルの写真展の準備を少し手伝う。
写真をパネルにかけながら、グッとくる。
印象に残った一枚。

写真を撮影した米従軍カメラマン、ジョー・オダネルのコメント:
「佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。・・・10歳くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。

おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中にしょっています。
・・・しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。
重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。
しかも足は裸足です。
少年は焼き場のふちまでくると硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。
・・・少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。
白いマスクをした男たちがおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。
この時私は、背中の幼子がすでに死んでいることに初めて気づいたのです。
男たちは幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。
まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。
それからまばゆいほどの炎がさっと舞い上がりました。
真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。
その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気がついたのは。
少年があまりにきつく噛みしめているため、唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。
夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。
背筋が凍るような光景でした。」
(朝日新聞社写真展コメントより抜粋)

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