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撮影報告 その45 大人のしゃべり場・片岡輝美さん・折笠哲也さん・小暮真由美さん 会津若松 

2011年10月5日。
若松栄町教会。1911年に建てられた。野口英世もこの教会で洗礼を受けたそうだ。
片岡輝美さん。
片岡輝美さんのご両親がこの教会の牧師さんだった。
生まれも育ちも会津若松。子育てはもう終わったが、4人の子供のお母さん。
一目お会いした時から私は輝美さんが大好きになった。
今は輝美さんの夫・謁也さんがこの教会の牧師さん。
謁也さんともお会いして少しお話をした。
素敵な人だった。
とてもいい声の持ち主だ。
輝美さんは現在、会津放射能情報センター、放射能から子どものいのちを守る会・会津、9条の会などなど、
子供を守りたいという強い気持ちから精力的に活動している。

若松栄町協会へ向かう。
ここで小暮さんが紹介してくれた片岡輝美さん・折笠哲也さんのインタビューをする。
その前に、この教会でこの日たまたま大人のしゃべり場という会が開かれることになった。
子供を持つ若いお母さんが集まって思っていることを話したり、情報交換をするというので、それを撮影させてもらうことになった。
みんなが集まってくる前に、輝美さんに今回の撮影の経緯と趣旨を説明する。
教会の裏の建物の一階はこの3月まで教会でベビーホーム(託児)をしていたそうだ。
現在は大熊町から避難してきた子供たちの託児室になっていた。
小さな子供たちが10人ほどいてにぎやかだった。
その2階で大人のしゃべり場が開かれた。
ここは会津放射能情報センターの事務局でもある。
教会も素敵な建物なのだが、この建物も木造でなかなか気持ちがいい。
お茶やお菓子を食べながらのみんな思い思いのことを話す。
福島、郡山など放射線量の高い地域から自主的に会津若松に避難してきたお母さんも何人かいた。
初めての人もいるので、自己紹介をしながら自分の状況を語った。
ここに集まってきたお母さんたちは、原発や放射能に対してよく勉強している人ばかりだった。
渡邊愛さん。
妊娠8か月。福島から会津若松に自主避難してきている。
自分の町を出る時も大変な思いをし、避難してきてからも後ろめたい気持ちや、ここも大丈夫だろうかという思い、
それは受け入れてくれている会津若松の人に対して悪いのではないかと思う気持ち、
抱えているどうにもできない気持ちをお母さんたちは静かに語った。
撮影をしながらファインダーが見えなくなった。
私は初めて撮影しながら泣いた。
輝美さんがちり紙をそっと持ってきてくれた。
函館や高崎でもこのような会に参加したが、切迫感が違う。
どれほど子どもが心配なことか。
しかし、こうやって顔を合わせて話をすることがいかに大事なことかはどこの地域・どんな状況でも同じだと感じた。
齊藤久美子さん。
南相馬市から避難している女の子を喜多方市の自宅で受け入れている。
時間がたつにつれ、皆さんリラックスして話をしはじめた。
とても集中した撮影だった。
教会の近くのタイ料理屋さんに輝美さんとお昼を食べに行く。
ここであらかたの話をお聞きした。本当に大変な思いをしたのだなと。
その後、教会に戻り、改めてインタビュー撮影をさせてもらう。
被災者の人を受け入れている会津若松の人も被災者なのだということがよくわかった。
折笠哲也さん。会津若松で飲食店を経営している。
折笠さんが教会に来てくれて、インタビューをさせてもらった。
彼も小さい頃、この教会のベビーホーム(託児)に来ていたそうだ。輝美さんとも色々な活動を一緒にしている。
最近、 輝美さんの息子さんに来た健康管理調査の用紙。

 

スェーデン王国、ガンマデータ・インストゥルメント社製の食品の放射線量をはかる機械。
これを購入したそうだ。11月に届くそうだ。
小暮真由美さん。
夜、小暮さんのインタビュー撮影。
7月に滋賀県のアースデーで出会った小暮さん。
この3か月のことをお聞きした。
今回は会津若松でお彼女に色々な人を紹介してもらった。
夜、洞爺湖のマスキ君から電話があった。
私はテンションが高くなっていて今回の撮影のことを色々彼に話した。
10月9日の苫小牧の上映会の後、余力があったら彼のところに撮影に行くことにした。

長い長い一日だった。

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