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撮影報告 その68 山田農場

親方の家にて。

2011年12月2日。

7:30起床。天気がいい。

きっと一坪君は撮影しているだろうなと思いながら薪ストーブに火をつける。

ペコも早くつけてくれと言わんばかりにストーブの目の目に座り、私の作業をじっと見ている。

朝食をとる。

玄米、切り干し大根、スープなど。なんかほっとする。

 

ペコちゃん。

小笠原厚子さんと連絡が取れ、先日の大間での学習会やあさこはうすの風景撮りの報告をする。

9時半頃出発。大沼に向かう。

あゆみちゃんと晴作が母屋にいてひとしきり話をする。

ハルは少し前にひいた風邪がまだ抜け切れていないようだった。

10時過ぎ、圭介さんと一坪君がチーズ工房から出てきた。

チーズをつくりながら、圭介さんが色んなことを話したようでインタビューのようになりましたと一坪君が言った。

圭介さんも酸欠になりそうだったと言っていた。

野村さんのインタビューを受ける山田夫妻。

そうこうしてるうちに、野村さんがやってきた。

家に入るなり、山田夫婦と大間原発の連載記事の話題をひとしきり。

そしてインタビューが始まった。

チーズのことなど質問をしていた。

その中で、圭介さんあゆみさんの農業・酪農に対する考え方がよくわかった。

インタビューが終わり、お昼ご飯をごちそうになりながら雑談をしていたら圭介さんが、泣いていた晴作をつれて二階に上がった。

しばらくたってあゆみちゃんも様子を見に上がっていった。

そして二階から降りて来たあゆみちゃんが「圭介が頭痛いって言っている」と言った。

すると野村さんが「インタビュー中もずっとあくびをしていたし、一酸化炭素中毒かもしれないからすぐに病院に行った方がいい。」と言った。

一坪君も自分も頭は痛くないけどすごく眠いですと言った。

チーズ工房の中での撮影の様子を聞いた。

部屋を暖めるために炭火を使っていたこと、ミルクを温めるのにも火を使っていた。

狭い工房の中で、いつも一人でやっているが、撮影で一坪君も入っていたのと、しゃべりすぎていつもより酸素をたくさん使ったのだろうか。

大沼クリニックに電話をして、野村さんが状況を伝え、受け入れてくれるかを確認した。

そして私は圭介さんと一坪くんを車にのせて、病院へ向かった。

すぐに診察してもらえた。

圭介さんは点滴が必要と診断された。

やはり軽い一酸化炭素中毒になっていた。

一坪君は圭介さんより軽い症状で、すぐに頭をすっきりさせたいなら点滴をしたらいいと医者に言われたそうだが、しなくていいならしないと、断ったそうだ。

圭介さんも一坪くんもたいしたことなくてホッとした。

そしてあゆみちゃんに電話をかけて、報告。

夕方、あゆみさんが子どもたちを保育園に迎えに行くついでに圭介さんも迎えにいくことになった。

圭介さんが点滴の針を刺される時、とても怖がっていて泣きそうな顔をしていたのには笑ってしまった。

あとであゆみちゃんにそのことを言ったら、「知らなかった。結婚5年目にして初めて知ったわ。」と笑っていた。

そして私と一坪君は、山田農場に戻った。

途中、野村さんの車とすれ違った。

彼女は圭介さんの状態がわかるまであゆみさんといっしょにいたのだろう。

4:00。機材・荷物を車につめて、私たちは親方の家に向かった。

親方は仕事から帰ってきていて私たちを迎えてくれた。

ひとしきり今日の顛末を話した。

[…]

撮影報告 その67 大間から函館へ

宿の部屋から。 2011年12月1日。 雪。雪の結晶がきれいに見えた。 気温が低い。 大間郵便局。 朝ごはんの後、宿の近くの神社にお参りをした。 そして、雪降る中、大間町公民館、役場、郵便局の外観の撮影。 一坪君は当たり前のことだが、狙いをしっかりもって色んなパターンで撮影している。 私は今まで一人でやってきたので、人といっしょにやる良さを味わった。 大間町役場。 あさこはうすへ。雪はやみ、時折太陽が射したりしてきた。 山本さんから借りた脚立の上から、 一坪君。 丘から見えるクレーン。すぐ脇に原子炉建屋がある。 小高い丘まで歩き、有刺鉄線、送電線、クレーン、あさこはうすなどを撮影。 あさこはうすの敷地は有刺鉄線で囲われている。 あさこはうす。

畑はうっすらと雪がかぶっていた。

あさこはうすにて。こんな雲も見えた。 12時半を過ぎた頃、少し急いで山本さんのお宅へ向かった。 まず昨日撮れなかった山本さんの家の外観、玄関に20年以上も張り続けている「原発はいらない。漁業を守ろう」のステッカーの撮影。 雪が激しく降ってきた。 それが終わって板の間で、台所にいた金魚の撮影。 そしてお茶を飲みながら山本さん夫婦とおしゃべり。 この天気で今日は漁は休み。 孫の女の子も来ていた。 ポッキーはストーブの前で横になっていた。 昨日、山本さんに「空想の森」のパンフレットを渡していた。 パンフレット全部よみましたよ。 とてもいいですね。 意外なこともありました。 と山本さんがいったのでびっくりした。 話の中から、撮影日記も読んでくれていたことが分かった。 なんだかとても嬉しかった。 試写用DVDも渡した。 映画を気に入ったら、大間で上映会をやろうということになった。 そしてフェリーの時間があるのでもっと話をしていたかったがおいとました。 結構ギリギリの時間になっていた。 宿に戻り、大急ぎで荷物を車に積み込んだ。 宿のお母さんは昼食べていないと知ると、おにぎりやりんごを持たせてくれた。 挨拶もそこそこにフェリー乗り場へ急いだ。 函館につき、七飯の親方の家に寄り、一坪君を紹介した。 そして、すぐに山田農場へ。 6時前に到着。 ちょうど搾乳をするところだった。 冬はヤギは絞っていない。 牛のベーコとメイだけ絞っている。 この前種付けが終わったばかりだそうだ。 あゆみちゃんが搾り、圭介さんはエサやりなど。 山田農場にて。 仕事をしながら、私は二人にざっと大間の山本さんのことを話した。 山本さんにぜひ会ってもらいたいと思った。 […]

撮影報告 その66 大間の漁師・山本さんインタビュー

山本家。左から朱美さん、昭吾さん、卓也さん、そして4月11日に生まれたフータくん。

西吹付山展望台より。本州最北端の大間崎の弁天島と、うっすらと函館山が見える。

2011年11月30日。

朝5時半起床。

外へ出るとぐっと気温が下がっていた。

西吹付山展望台へ。

 

西吹付山展望台にて。この日、ぐっと気温が低かった。

 

まだ辺りは暗く、イカ漁の漁火が見えた。

函館山はかろうじて見えた。展望台の上は風が強く寒かった。

一坪君は何パターンかのパンを撮る。

雲が多く太陽の光が出るのを待った。

出そうもなかったので7時半頃宿に戻った。

朝食を食べ終わる頃、山本さんから電話が来た。

漁にはでないので10時ころからインタビューができるとのこと。

これで明日函館に戻れることが決まったので、フェリーの予約、函館で拠点にする親方の家への連絡、撮影させてもらう山田農場に連絡など、今後の撮影のための連絡を各方面にする。

そうこうするうちに、山本さんのお宅に伺う時間になり、準備をして向かう。

山本さん、妻の朱美さん、そして長男の卓也さんも待っていてくれた。

卓也さんがインタビューを受けてくれることに私は密かに感激した。

先日イカ漁の船の中で話をしてもっと話をしたいと思っていたのでとても嬉しかった。

まず私たちは先日撮らせてもらったイカ漁をテレビにつなげてお見せした。

いっしょに見ながら解説を聞くと、ここはこういうことだったのかと改めて理解することが多々あった。

一坪君は撮影中からしっかり観察していてその時にかなりのことを理解していた。

頭のいい人だ。

山本家のポッキー。

そしてお茶を飲みながら、お昼を食べながら、漁のこと、原発のこと、これからのことなど、色んな話をうかがった。

私は聞きたいことが山盛りあった。

でも一度に聞くと、話す山本さんたちが疲れてしまうのではないかと思っていたので、今回は最低限聞いて、後は次回にと思っていたが、話の流れから、聞きたいことはほとんど聞いた。

 

 

そして、色んな話に飛び、私は話を聞きながら、感動したりコーフンしたりしていた。

山本さんの話はもちろんだが、息子の卓也さんが語る言葉は、いちいちそうだよねと共感することばかりだった。

男前という言葉が卓也さん、そして山本さんにぴったりだと私は思う。

これからも、山本さん、卓也さんともっと話をしたい、撮影をさせてもらいたいと強く思った。

そしていっしょに大間原発を止めたいと思う。

卓也さんと息子のフータくん。

そして、全国の人たちに伝えたいことをそれぞれ話してもらった。

その話がまた素晴らしくよかった。

卓也さんは、この時4月に生まれたばかりの息子を連れてきた。

山本さんから脚立を借りた。

[…]

撮影報告 その65 大間にて

 

2011年11月29日。

雨。気温は高い。

9:30。

遅い朝食をとる。

昨日山本さんから頂いたイカを宿のお母さんが刺身にしてくれて出してくれた。

私たちが朝食を食べている時に、地元のDさんが用事でやってきた。世間話から、話題は原発の話になった。

Dさんは次第に熱を帯びて大間原発のことを話し出した。

こんなことを話していた。

大間の人で、大間原発がどのように危険かをわかっている人は少ない。

先日大間の金沢町長が、早く大間原発の工事を再開して欲しいと発言したことを情けなく思った。

福島の現状を見ると涙が出てくる。

大間原発が100パーセント安全なら避難道路など必要ないはず。

1パーセントでも危険があって事故が起きた時にまた想定外というのか。

大間の7割の人は原発に反対の気持ちを持っているが原発関係で仕事をもらっていたり、町長をはじめとする推進派の人と親戚だったり、反対すると村八分的扱いになるので、反対の意志を表明できない人がほとんどという。

また、熊谷あさ子さんのことは、彼女は悪くないのに、大間の人はあさ子さんと口をきかなくなり村八分だった。

でもDさん自身もあさ子さんに声をかけられなかった。

もし、あさ子さんとしゃべっているところを誰かに見られたら何をいわれるかわからなかったからだという。

私はDさんに素性を明かし、インタビューをお願いしたがそれはできないと断られた。こうやって、ただしゃべるだけならいいけど、撮影を誰かにみられたら何を言われるかわからないからと。

私にも生活があるからということだった。

大間の現実を垣間見た思いだった。

福島の原発事故の後も、大間原発の建設が行われている町の人たちは前と同じく反対なのに反対と言えない。

一坪君と二人で朝から何とも言えない気持ちになった。

このような中で30年近くも反対を表明し、活動し続けてきている奥本さんや今回撮影をさせてもらった漁師の山本さんはどれほど大変な思いをしてきたことか。

気を取り直して、部屋で一坪君のインタビューをさせてもらう。

改めて彼に3.11のこと、今回大間に来てどんなことを感じたか、話をきいた。

夕方、温泉に行く。

ゆっくり入って上がったら、ロビーで奥本さんにばったり会う。

昨日の漁の撮影のこと、今日の午前中の出来事など、ひとしきり話をして別れる。

奥本さんは多忙で今回インタビューする時間はなさそうなので次の機会にすることにした。

それから温泉の食堂で夕食をとる。

宿に帰ると、お母さんが大間マグロの刺身を差し入れしてくれた。

ビールを飲みながらつまんだ。

今後の撮影の予定を組み立てなおした。

一坪君が12月4日までいられることになったので、函館に一緒に渡り、彼はそこから東京に帰ることになった。

12月4日の提訴前集会まで一緒に撮影できることになった。

山田農場も撮影できるといいなと思った。

山本さんは明日、インタビューができそうな感じだった。

息子の卓也さんにも話をきけないかお願いしてみた。

函館の山田農場にもその旨連絡。

漁の話などもざっと話した。

明日の天気予報をチェックすると、朝は天気がいいので6時に西吹付山展望台に撮影に行くことにした。

撮影報告 その64 ヒルイカ漁

 

2011年11月28日。

4時半ころ自然に目が覚める。

外はまだ暗いが星がよく見えた。

そしてそれほど寒くない。

でも一応完全防寒の準備をしてまだ暗い中、5時半に宿を出発。

下手浜漁港に着き、山本さんを待ち構える。

6時きっかりに山本さん、息子の卓也さんがやってきた。

私たちは撮影を開始。

そして船に乗り込む。

山本さん、卓也さんはトイレのこと、寒さのことなど、私たちのことを気遣ってくれて恐縮した。

私も一坪君もこういう厳しい撮影には慣れているので気遣ってもらわなくても大丈夫なのだ。

山本さんたちに気を遣わせてしまい申し訳ない気持ちになる。

山本さんの息子さんの卓也さん。中学を卒業してから漁師をやっている。

明け方の海は何とも言えず神々しい。

その中で仕事をする山本さん、卓也さんは文句なくカッコいい。

しかし船の通路は狭く、着ぶくれした私が通るのはギリギリだった。

着込み過ぎて午前中は暑くて汗をかいた。

しかし午後は寒くなってきたのでちょうどよかった。

一坪キャメラマン。

一坪君は、私の撮って欲しいところをきちんと撮ってくれていたので安心してまかせられた。

漁場につくまで、卓也さんとたくさん話ができて嬉しかった。

原発のことを彼はとても考えていた。

魚は大丈夫なのか、生まれたばかりの自分の子供を守れるのか。

山本さんから、会津若松の片岡照美さんのユーチューブを見せられ、食事が喉を通らなかったそうだ。

自分も何かしたいと思ったそうだ。

自分は音楽が好きだから、音楽で何かできたらと思ったそうだ。

私はその話を聞いていてなんだか嬉しい気持ちでいっぱいになった。

私もいっしょにやっていきたいと思った。

卓也さんのインタビューもできたらいいなあとこの時思った。

出航して2時間くらいたったとき、気持ち悪くなってきた。

船が止まってユラユラしている時に気持ちが悪くなることがわかった。

まさしくこれが船酔いだった。

バケツに吐き海に捨てた。

今日は暖かく、風もほとんどないなぎの日。それでも酔うのだ。

朝ごはんを食べてないので胃液しか出なかった。

ひとしきり吐いたすっきりした。

私の異変に気付いた山本さんがブリッジから出てきて大丈夫かと私に尋ねた。

少し吐いたけどすっきりしたから大丈夫と答えた。

そして飴をくれた。

きつかったら港に戻るから言ってねと山本さんは私に言った。