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山形国際ドキュメンタリー映画祭2017  10月13日 番外編その1 

早朝、アナの見送り。

アナ、また会いましょう。

私もチェックアウト。

ダンボール二つを自宅へ送り、スーツケース一つを千代の車にのせてもらった。

今日はこれから千代とミホちゃんといっしょに鶴岡を経由して、千葉の千代の家へ帰る強行軍。

道中、紅葉が始まっていた。

途中の道の駅。

地物がたくさん売っていた。

「にんにく安いですねー」と言って買ったら、

「うわー、価値のわかる人がいてよかったー」と、ことのほか店の人が喜んでくれた。

鶴岡の森茂八商店。

2011年秋、私は群馬や福島での撮影をしていた。

その足でヤマガタ映画祭に参加した。

撮影中で車でヤマガタに行ったので、その時行きたかった鶴岡のレストラン・アルケッチャーノまで足を伸ばしたのだった。

その時、通りがかった森茂八商店。

車を運転しながらも、籠がたくさん見えたので、Uターンしてこの店に入った。

籠やら箒やらたわしやら、私が大好きな生活の道具が所狭しと並べられていた。

お茶を飲むスペースがあったりして3時間以上は店にいたと思う。

あと10年もしたら作り手が死に絶えて後を継ぐ人がいなくなるという話を店の方から聞いたりした。

それでも、うちの店では工芸品でなく、生活の道具として売りたいんだとおっしゃっていた。だから値段がバカみたいに高くない。

そんなこんなで話をしていて、私が今ドキュメンタリー映画の撮影をしていて、ヤマガタ映画祭に来て、アルケッチャーノで食べたくて鶴岡まできたことを話した。

すると、何年も前にお釣りを間違えて取りに来ないままのお金があるという。もう取りに来ないだろうし、それを製作資金としてお渡しすると言って1万円を私にくれたのだった。

そんなことがあって、お手紙ではお知らせはしていたのですが、あの時の映画が完成してヤマガタ映画祭で上映されたことを直接報告したかったのだ。

千代もミホちゃんもやっぱり、大好きなお店でした。

私はまた小さな籠など、持って帰れるものを買った。

作り手はどんどんいなくなって、これが最後というものもあった。

後継がいればいいというものでもないという話をお聞きしました。

籠に使う植物をいつどのように採取したらいいのか、これを知っていなくては籠は作れない。

ただ植物を切って持ってくればいいというものではないのだ。

庄内刺子。

「ヨーコちゃん、もう行かないと」

と千代。

アルケッチャーノの予約の時間が迫って来た。

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