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旅する映画 その33 京都シネマ 最終日

2009年7月24日。
8:00。起床。

居間に降りていくと、もう攻さんは机の前に座り伝票整理をしたり、受注の電話を受けたりしていた。

その背中を見ながら、こうして毎朝早くから家族のために働く、これぞ大黒柱だなあと思った。

R0010607上原攻さん

そして私は朝ごはんをいただいた。

ご飯としじみの味噌汁、私の好物のちりめん山椒、ナスと大根の漬物などをおいしくいただいた。
9:00。攻さんにお礼を言って上原家を後にする。

七子さんがバス停まで見送ってくれた。

「色々お話できてよかったわ。京都に来る事があったらまた泊まりにきてください。今度は朝散歩しましょう。」

とはんなりと言った。

そして私は最終日の劇場に向かった。

20人以上のお客さんが来てくれていた。

上映途中、ロビーに出た。

横地支配人にお礼と挨拶をしたかったが不在とのこと。

でも社長ならいるとのことで、しばらくすると神谷雅子さんがロビーにやってきた。

この時初めてお会いした。

ご挨拶をして、京都シネマで上映させてもらって本当によかったとお礼を言った。

上映後に自主上映をやりたい人が何人かいた話をすると、とても喜んでくれた。そのうち横地支配人もやってきたのでまたお礼を言い、三人で少しお話をした。

間もなく神谷さんは仕事にもどっていったので、私は横地支配人にこの1週間の上映中、気がついたことをいくつか伝えた。

横地さんは最後に「次の作品をつくったらまた持ってきて下さい。」と私に言った。

とても嬉しかった。

そして私はシアター2にもどり映画を観た。最後の上映後、ロビーでたくさんの人に声をかけられた。

亀岡の農民連に勤める女性が興奮した面持ちで、「ぜひ亀岡で上映会をやりたいです。」と言った。

その場でDVDと資料を渡した。

若い女性が3人、目を輝かせて「とても面白かったです。」と言った。

柳馬場通りのヤチヨさんに教えられて観にきましたという人が3人もいた。

眞理子さんもまた来てくれた。

最終日、とても気分よく締めくくることができた。

「回収率がすごくいいですよ。」と回収した1週間分のアンケートをスタッフから受け取った。

分厚いアンケートの束だった。

また宝物が増えた。

後でじっくり読もう。

帰って文代さんや宮下さんにも見せよう。

R0010608R0010609四条。祭りでにぎわっていた

四条の店で眞理子さんと昼食をとった。

今日から3日間お世話になる藤本真知子さんから留守電が入っていた。

格安チケット屋で切符を買った方がいいよと。

それで眞理子さんに付き合ってもらい、JR舞子駅までのチケットを購入した。

やはりかなり安かった。

そして時間があるからとそのまま舞子駅までついてきてくれた。

本当にお世話になった。

舞子駅に降り立つと、目の前は海だった。

少し眺めて大きく息を吸い込んだ。

それから藤本真知子さんに電話をかけた。

言われた場所に行くとすぐに車が私の近くにきた。

たぶん藤本真知子さんだろうと思った。

ショートヘアで目鼻立ちのはっきりした女性だった。

挨拶をして私は助手席に乗り込んだ。

「これから明石大橋が見える眺めのいいレストランに夕食を食べに行きましょう。」と真知子さんは言った。
群馬で自主上映会をやってくれた竹渕進さんが、神戸での上映を知り、泊まらせてもらえる友人がいるからと、私に藤本真知子さんを紹介してくれた。

それで一度彼女に電話をかけたのだが、留守電だったので名前だけ残した。

そうしたら真知子さんが私の電話番号を調べてかけてきてくれ、泊まる場所があるからぜひ泊まって下さいとうことで、ご好意に甘えることにしたのだった。
そんないきさつだったで、私は真知子さんのことを竹渕さんの友人ということ以外何も知らなかった。
真知子さんは店に向かう車中とレストランで竹渕さんとのつながり、自分のことを一気に話をした。

私はただ驚き不思議な気分になった。こんな話だった。

真知子さんと竹渕さんは同じ大学の同期生だった。

といっても当然すごい人数がいて、しかも学部も違ったので在学中は彼女は彼を知らなかった。

卒業後、彼女は看護士になった。結婚をして子供も二人授かった。

そしてまだその当時めずらしかった医療型デイサービスを立ち上げた。

その矢先、スキルス性の乳がんになり、余命2年を宣告された。

彼女の母もそして姉も同じ病で亡くしていた。

仕事でも多くの患者を看取ってきた。

家庭もうまくいっていなかった。

彼女は全てに絶望していた。

そして死の準備を始めていた。

そんな頃、大学の同人誌に自分の心境をつづったものが掲載された。

それをたまたま読んだ竹渕さんは妻の智子さんと共に高崎から神戸の真知子さんを訪ねてきたのだ。

それが、今から8年ほど前のことだ。彼は「生きてください。」と彼女に言った。

そして「僕が岐路に立って迷っている時、夢にあなたが出てきて道を示してくれた。」と。

全てに絶望していた彼女はぼろぼろと涙があふれてきた。「生きていいんだ。」と。

竹渕さんと会ってから彼女は180度変わった。

「生きよう。」と。そして全ての西洋医学の治療をやめた。

アユルベーダ、マクロビオティック、トランスパーソナル、テルミー、生きがい療法、温熱療法などなど、西洋東洋を問わずありとあらゆる文献を読み、試した。

そして今、彼女は生きている。

現在も西洋医学の治療はしていない。

ただ、検査だけは受けている。

つい最近今年の免疫力検査の結果が出た。

それが今までで高い値だったそうだ。

だからといってまだ完全に安心はできない。

この先再発するかもしれないという不安はいつも抱えている。

それでも、従業員を30名以上抱え、自らも現場に立ち、医療型デイサービスを経営している。

傍目からみると、バイタリティにあふれた元気な女性にしかみえない。
「竹渕さんは私の命の恩人なの。いつかお返ししたいと思っているけどなかなかできなかったの。だから今回竹渕さんに頼まれたから引き受けたの。」と彼女は言った。

そうだったのかと私はようやく合点がいった。
真知子さんと色々話していると、背負っているものがなんて重たく大きいのだろうかと思わされる。

初めから、あるいは途中から逃れられない荷物をこの人は背負って生きている。

どれほどの苦難を乗り越えてきたのか、私には計り知れないことだった。

真知子さんを前に、私はこのことにただただ圧倒されるのだった。

日が落ちると明石大橋のイルミネーションが美しく浮かび上がってきた。

バイキングの料理はありとあらゆるものがあり、好みのものを少しずついただいた。
真知子さんにご馳走になり、再び車に乗り込んだ。

R0010610藤本真知子さん。パールデイサービスセンターにて

彼女が経営する「パールデイサービスセンター」。

ここが私のこれから2日間の宿になる。

「土日は休みなので誰も使わないから、これからも神戸に来た時はいつでも使ってちょうだい。平日も夜は誰もいなくなるから。嫌でなければだけど。」と私に言ってドアの鍵を渡した。

「あなたが遅くなる時は舞子駅まで迎えに行くわ。深夜になる時は、ここまで自分で帰ってきてね。」と彼女は言った。

舞子駅から車で6、7分の大きな通りに面したビルの1階にあった。

中に入るとベットが4床、浴室、トイレ、台所、事務室、スタッフ休憩室などがある。

「どこに寝たい?ベットでも、休憩室でもいいのよ。」と真知子さん。どっちにしようか少し迷ったが、ベットは広い空間でかえって落ち着かないので、休憩室に布団を運んで寝ることにした。

目覚まし時計、枕元の明かりも置いてくれた。

事務室からインターネットの線をのばしてもらい、持ってきた自分のパソコンを設置。

これでばっちりだ。

こんな広い空間を一人で使うのは贅沢な感じがした。
入口のすぐ横に鮮やかな切り絵が額に入れられて飾られていた。

「いいでしょう、これ。利用者さんたちがつくったの。新聞の折り込みチラシをちぎって地道につくったのよ。すごくいいから額に入れたの。」と真知子さんは嬉しそうに言った。

「へえー。すごくいいですね。色んなことやっているのですね。」と私。
「そうなの。うちは、利用者さんもスタッフも楽しいと思うことをやっているの。梅干づくりをしたり、摘んできたよもぎで団子をつくったり。みんなとても生き生きとして喜んでくれるの。」と真知子さん。

そして「明日8時に迎えに来ます。家で朝食を食べてからアートビレッジまで車で送りますから。

明日はだんなと二人で映画を観ますね。ではおやすみなさい。」と言って帰って行った。
長い一日が終わった。

明日は神戸アートビレッジセンターの初日だ。

色んなことがありすぎて、なかなか寝付けなかった。

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