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撮影報告 その2 -怒涛の日々―

2011年4月22日(金)~5月28日(土)のこと

処女作・ドキュメンタリー映画「空想の森」の完成から丸3年がたとうとした2011年3月11日、世界は変わった。

今、人は何を感じ、考え、どう未来に希望を見出そうとしているのか。

それを記録することから始めようと「空想の森」に関わってくれた全国の人たちを訪ねる旅を始めた。

ここから未来を見出していきたいと私は考えている。

函館ではインタビューの他、主に大間原発訴訟に関する撮影をしてきた。

怒涛のような日々だった。福島第一原発の事故の状況が刻々と変わっていく中

、この事故後、初めて行われる大間原発の裁判を巡る状況も日々動いていた。

そんな中に私は身を置いていた。

 

◇なぜ、大間原発の問題を撮影することになったのか◇

道南の大沼の山田農場の圭介・あゆみ夫妻は「空想の森」の出演者だった。

撮影の終盤頃、彼らは共働学舎から独立し道南へ移住していった。それから5年。

彼らはめぐり会った道南の土地で、美しく気分のいい農場をつくっていた。

3月下旬、今回私が新しく撮影を始めるにあたってインタビューをお願いした時、あゆみさんから大間原発訴訟の話を聞いた。

彼らはこの震災の前から原告になっていた。

動物と共に自然を最大限生かしながら農場を営み、チーズをつくり、3人目の子供がもうすぐ生まれようとしている山田夫妻にとって、

大間原発は死活問題であるのは当然のことだった。

そして5月19日の第2回口頭弁論では、あゆみさんが意見陳述をするという。

この話を聞き、私はこの問題を撮らせてもらおうと思った。

この時点ではあゆみさんの目を通してこの問題を映画の中で扱ったらどうだろうかと考えていた。

 

◇大間原発問題は自分自身の問題でもある◇

私は今まで原発を嫌だと思い反対だった。

しかし署名くらいはしたが、何もしてこなかった。

このことは原発を容認していたことと同じことだったのではないか。

と、今回のことで痛切に思い知った。

こんな大きな犠牲を払わなければ気づけなかった自分に腹が立った。

これからは自分ができることをしていきたいと強く思った。

犠牲になった方々や今も被災されている人たちに自分なりに報いるためにも。

新しい原発はもういらない。

今ある原発も止めていきたい。

私が暮らす北海道から、日本から、世界から原発をなくしたいと心から思う。

人の命を犠牲にし、その子孫の命そのものに悪影響を及ぼす電力はいらない。

私も原告になろうと思った。

まだ撮り始めたばかり。

映画がどういうものになっていくのか、まだはっきりとわからないが、

この大間原発問題は映画の中で一つの大事な要素になるに違いない。

 

◇大間原発訴訟を撮影していくことになった◇

あゆみさんから大間原発訴訟の会の事務局の大場さんを紹介してもらい連絡を取った。

映画の趣旨を説明し、これからこの裁判にまつわることを撮影させて欲しい旨を伝えた。

大場さんは「空想の森」も「闇を掘る」も見てくれた方だった。

そして快く承諾してくれた。

ただ、原告の人たちや弁護団の人たちなど多くの人が関わっているので、

その人たちに私を紹介してみんながオッケイだったらってことだけど、たぶん大丈夫だから。

と大場さんは言った。

ここから私はフル回転で撮影の準備をすすめた。そして4月22日、函館に車を走らせた。

 

◇腹が決まった◇

まず山田農場に向かった。撮影に前に山田夫妻に確認したいことがあった。

これから撮影することは映画として全国の不特定多数の人に見てもらうことになるわけだけど、

山田農場の暮らしや、大間原発の裁判にまつわることを撮影していっていいでしょうかと。

「かまわないよ。まあ好きなように撮ってみてや。」と圭介さんは言った。

自分たちは大間に原発をつくらせたくない。だから原告になった。

それで離れるお客さんがいたとしてもそれは仕方がないことだと。

愚問だったかもしれないが、私は直接話してまず確認しておきたかった。

これで私も腹が据わった。

 

 

◇講演会・「大間原発大丈夫?」◇

2011年4月23日(土)

大間原発訴訟の会主催の渡辺満久さん(東洋大学社会学部教授・理学博士)の講演会。

大場さんに事前に会の皆さん・弁護団の人たちに伝えてもらい、撮影をさせてもらうことになっていた。

私はすごく緊張していた。

訴訟の会の人たち・弁護団の人たちと初めて会う日。

どんな人たちなのか内心おっかなびっくりで撮影に臨んだ。

この日初めて大間原発訴訟の会代表の竹田とし子さんにお会いした。

挨拶をし、今回の撮影の趣旨を説明した。

竹田さんは「空想の森」も見てくれていた。

穏やかで知的で芯が強そうな女性だった。

私はいっぺんで好きになった。

今回の撮影も快く承諾してくれた。

そして竹田さんからも話を聞きたいと思い、インタビューもお願いした。

会場の函館市民会館の大会議室に入り、機材のセッティングをした。お客さんが続々と入ってきた。

函館では「空想の森」を3回ほど上映している。

その時に知り合った人たちが何人か来ていた。

山田夫妻、映画鑑賞教会の佐々木さん、そして野村保子さんもやってきた。

野村さんが訴訟の会の中心的なメンバーだったことをこの時初めて知った。

そして野村さんにもインタビューをお願いした。

◇原子力資料情報室◇

私は3.11から1か月以上、毎日、原子力資料情報室の情報をチェックしていた。

というより目が離せなかった。ユーストリーム中継で元東芝の原子炉設計者の後藤政志さん、

原子力資料情報室の澤井正子さん、上澤千尋さんの解説を毎日見ていた。

そのおかげで原子力発電というものがどんなものなのか、少しずつわかってきた。

その澤井さんと上澤さんも来ていた。

会った時に思わず、毎日見ていました!と言ってしまった。

彼らは渡辺先生の講演の前に福島第一原発事故の概要をパワーポイントで解説した。

原子力資料情報室の人たちは今までも日本中の現地に行ってこうやって活動していたのだと初めて知った。

澤井さんにも、私の撮影の趣旨を説明した。そして澤井さんが私に言った。

今日の映像を原子力資料情報室で撮っていないので、アーカイブにアップするのにコピーをくれませんか。

私はまだ編集機がないのですぐには作業ができず送れませんが、もちろんコピーを送りますと答えた。

 

◇渡辺満久先生の講演◇

大間原発予定地の沖には調査により活断層が走っていることが明らかになった。

もし地震がおこると直下型の地震になり、原子炉に与えるダメージは相当のものという見解だった。

 

◇弁護団会議◇

夜、弁護士会館で弁護団会議。渡辺先生を講師に弁護団の勉強会。

私も会議に参加。

5月19日に第2回口頭弁論がせまっている中、弁護団も原告の人たちも熱が入っていた。

東京の弁護団を取りまとめているのが河合弘之弁護士。

威勢が良くて快活な人だった。

函館の弁護団を取りまとめているのが森越清彦弁護士。

わからんことはわかるまで聞く率直な人だった。あと若手の弁護士の人たち、原告の人たち、

次の裁判で意見陳述する大間在住の奥本征雄さん、それから大間町の元町議の佐藤亮一さんも来ていた。

大場さんが私をみんなに紹介してくれた。

私はこの撮影をすることになった理由、なぜ撮りたいのかを話し、大間の現場も見に行くつもりだということも話した。

会が終わると奥本さんに話しかけられた。

「大間に来るなら僕が案内します。」と。

そして奥本さんの都合のいい5月2日~4日に現地を案内してもらうことになった。

 

◇魅力的な人たちだった◇

会議が終わり、夕食兼お疲れさん会を居酒屋でやった。

車で来ていた私は「いいなあ。私も飲みたいなあ。」と思わずつぶやいた。

すると野村さんが「じゃあ、ウチに泊まったらいいわ。代行で帰ろう。」

と言ってくれたのでそうすることにした。

この日泊めてもらう予定だった山田農場のあゆみさんに電話をして、心置きなくみんなで飲んだ。

竹田さん、野村さん、澤井さん、河合先生など、お酒を飲みながら話をしてみると、みんなとても魅力的で話が尽きなかった。

函館の若手の弁護士・中野宏典さんは「空想の森」に興味を持ってくれたので試写用DVDを送ることになった。

こんなところで映画の営業ができるなんて思ってもみなかった。

 

◇大間原発訴訟の会の記録班になる◇

私は弁護団会議とこの居酒屋でいっしょに過ごす中、この裁判にまつわることを記録したいと思った。

訴訟の会の人たち、弁護団の人たち、この人たちの顔を撮っておきたいとなぜか思ってしまった。

私の映画とは別に記録として残したらどうかと。

この裁判はもしかすると歴史的な裁判になるかもしれない。

というより、そうしなければいけないと私は思っている。

このことは後日、大間原発訴訟の会の大場さん、竹田さん、野村さんに話をした。

「じゃあ、田代さんは会の記録班ってことだね。」ということになった。

弁護団の人たちも訴訟の会の人たちも、みんな手弁当でこの裁判の活動をしている。

「大間に原発をつくってはいけない。原発はいらない」この一点がみんなの共通項だ。

今現在も福島第一原発の放射性物質が漏れ続け、収束には程遠い最悪の状況ではあるが、

この人たちの熱がひしひしと私に伝わってきて、私もやれることはやっていこうと改めて思った夜だった。

つづく

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