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撮影報告 その46 大賀あや子さん・大熊町の人たち 会津若松 

会津若松栄町協会
2011年10月6日。
今日もインタビューの場所に教会を使わせていただく。
大賀あや子さん。
1986年、彼女が中学生の時に起きたチェルノブイリ原発事故のの時からずっと反原発運動をしている。
その後、福島県大熊町に移り住み、ハイロアクションの活動を精力的にしていた。(ハイロアクション福島原発40年実行委員会は、2011年3月26日~2012年3月26日までの1年間を「ハイロ(廃炉)アクション年」にしようという呼びかけに集まった福島県内各地の有志により、2010年11月23日に結成された。)
そんな矢先に被災し、現在は会津若松で避難生活をしている。
インタビューの前に彼女が、この撮影に関してひっかかっていることがあると私に言った。
そんなこともあってか、このインタビューに輝美さんに同席してもらうことを彼女はお願いしていた。
輝美さんは少し離れたところに静かに座わり私たちを見守っていた。
彼女の話を聞いた。
会津若松まで来ているのに、なぜもっと被害がひどい福島や郡山に行かないのか、大変な思いをしている人の話を聞かないで、被災地から遠く離れたところの人の話をきいてどうなるのか、マスコミが伝えてくれないことがたくさんあるのに。
映画がいつできるかわからないのに、今の話をしてどうなるのか、概ねこのような内容のことを私にぶつけた。
実は前日の10月5日の朝、撮影先の栄町協会に出かけようと準備していた時、大賀さんから電話があった。
この日、福島市・渡利地区における土壌汚染調査結果の記者会見と緊急報告会が福島であるので、
ぜひそこに行って取材して全国に伝えて欲しいという趣旨だった。
私はこの日はすでに木暮さんさから紹介してもらった片岡輝美さん、折笠哲也さん、そして木暮真由美さんのインタビュー撮影をする予定が入っていた。
そのことを伝えると、会津若松はそれほど大変なところではないし、いつでもその人たちには会えるから、それをキャンセルしてでも福島に行って欲しいと言われた。
彼女がその件に関しての資料をメールを送るのでぜひ考えて欲しいということで電話は切った。
そしてその資料に目を通した上で、私は彼女に今回の撮影の意趣旨を説明し、そこに行くことを申し訳ないが断った。
栄町協会の大人のしゃべり場に大賀さんも参加すると言っていたので、その時直接話せると思っていたが、
彼女は来なかったので5日は会えなかった。
という経緯があった。
向かい合って座る大賀さんに、私は今回の撮影の趣旨を再度説明した。
全国の「空想の森」に関わってくれた人、縁ができた人たちに現時点で3,11のことをどう受け止め、何を感じ、考え、どう未来を見出そうとしているのかを聞いて記録することから始めようとしていることを。
そして、ではこの時代をどう生きていくのかということを映画で描いていきたいこと。映画を完成させるには時間がかかること。
1時間以上も彼女と話をしたが、その点は平行線のままだった。
彼女が腑に落ちないままンタビューをするのもどうかと思ったのと、ただでさえ大変な状況なのに、私の取材でこれ以上ストレスをかけたくなかったのでやめましょうかと聞いた。
すると彼女は腑に落ちないことを話したし、こういう状態でもいいならお話しますと言ってインタビューを受けてくれた。
インタビューの前の大賀さんとの話で、原発事故で被災された人の気持ちに直に触れられた。
本当に大変な状況の中に生きていることがわかった。
そして私がやるべきことも明確になってきた。
大賀さん、ありがとうございました。
大賀あや子さん。
大賀さんのインタビューの後、輝美さんに栄町協会の中を撮影させてもらった。
ステンドグラスから美しい光が差し込んでいた。
なんか神聖な気持ちになる。
ずいぶん古そうなオルガンが二つ並んでいた。
その一つは野口英世が洗礼を受けた時に使われたものだそうだ。
別室では9条の会の会議が行われていた。
輝美さんが私を会のメンバーに紹介してくれた。
部屋の壁には、この教会が1911年に建った頃の写真など、古い写真がいくつか貼られていた。
この栄町協会は様々な出来事と共に、人が集う場であり続け、その思いが詰まっている教会なのだなと感じた。
一つの願いに向かって、それぞれの人がそれぞれの思いで動いている。
そんなことを感じながら、私もできることをやっていこうと思った。
18:30。会津若松入りした初日にお会いした積田さんが迎えに来てくれて、積田さんの車で東山温泉のおやど東山に向かう。
大熊町の人を受け入れている宿で、今も何人かの人たちがまだ仮説に入れずにここで過ごしている。
積田さんは本職はデザイン事務所を経営しているが、震災後ここで支援活動を始めた。
そして宿の人や避難している大熊町の方々と仲良くなった。
今回はすでに仮設住宅に移動した人にもおやど東山に来てもらった。
そして今回の撮影の趣旨をみなさんに説明した。
大西義昭・啓子夫妻(ダムの管理の仕事)、長谷川勘一・三重子夫妻(農業、奥さんは大熊役場職員)、横川公治さん(農業・町の臨時職員)、荒木俊夫さん(農業を引退)、そして宿の支配人の小柴力男さん、おかみの佐藤恵子さんも同席してみなさんのお話をお聞きした。
宿の方と避難してきたみなさんが強い絆で結ばれていた。
大熊町の皆さんも初めは何を話したらいいか戸惑いながらも、時間がたつにつれて、震災の当日のこと、避難所に落ち着くまでのこと、これからの不安などそれぞれ色んな話をしてくれた。気心の知れた仲間といっしょだったこともあり、和やかに話をお聞きできた。
宿の人たちも大熊町の人たちが来たばかりの時のこと、その時の気持ちなどを話してくれた。
「毎日田んぼの仕事をやっていたのに、今は何もする仕事がことがない。
それが一番つらい。
俺のこの手触ってみて。
女の人のように柔らかくなってるべ。
今はお茶の湯飲みも熱くて持てなくなってしまった。」と横川公治さんが言った。
「私たち帰るところがない。先のことがまったくわからないの。」と大西啓子さんは言った。
なんとも言えない気持ちになった。
3時間以上もお話を伺い、もう23時をまわりすっかり遅くなってしまった。
積田さんのインタビューをこの後にするつもりだったが、次回にすることにした。
集中力も切れかかり、頭も体も疲れ切ってしまい、みなさんの写真を撮るのをすっかり忘れてしまった。
長い一日が終わった。

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