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撮影報告 撮影部:一坪悠介

「多くはいらない。少なく小さなものを膨らませて、生きる」

 2013年3月末、田代さんに連れられて冬の雪が残る洞爺を訪ねました。

ラムヤートの今野さんご一家を撮影させて頂くためでした。

 今野満寿喜さんご一家とお会いして、その日から日常風景を撮影させて頂きました。

ラムヤートはまだオープン前でその準備をゆっくりと始めたところのようでした。

僕たちの狙いはその準備していく風景と日常、オープン直前の家族の思い、そして開店。

僕は4月から別の撮影が始まるので開店までは残れませんでしたが、それがとても心残りでした。

    満寿喜さんの空間作り、美環さんとゆうらくんの日常、ごんちゃん(友田くん)のパン作り、

店の佇まい、壁の色、丸くなった猫たち、訪れる友人たちと囲む食卓、聞こえてくる洞爺湖の波の音。

皆がこの地を愛し、この生活を愛で、それぞれの思いで今、ここで生きているのだと感じました。

自分と自分の家族と、その周りにいる人たち皆が幸せになる道を行くこと。

最終的な「幸せ」は利便性を追求した先にはないのだとこの集落に住む人々は知っているようです。

いや、そう思う新しい世代の人々がこの洞爺の地に集まってきているのでしょう。

  なるべく安く、なるべく便利に生活をしたいと思うのは人の業。

その欲求を満たすために作られた手段が薄利多売、大量生産大量消費の経済です。

数の論理、多数決の強み、自由民主主義を盾にした強者の論理です。

美しい技を持つ職人や地域に根付いて生きてきた店は企業努力が足らなかったのだと一笑に付されてしまいます。

そういう人たちを顧みない、「自分さえ良ければ」という生産、

販売、消費者の業が合わさり今の日本経済を形作ってきたのだと思います。

その恩恵を享受する一方、そうして生まれた歪みや偏り、

「不幸せ」といってもよいですが、そうしたものは巡り巡って己に跳ね返ってきます。

経済学者でなくとも少し考えれば分かることです。

今の日本の姿を見ればそれは明らかです。

3.11の震災、それに続く原発事故で言葉を失いました。

そして電力会社の対応に愕然とし、その後の国の政策に激しい憤りを感じました。

しかし、一番許せなかったのはそれを今まで諦観してきた自分自身でした。

少し調べて考えればわかったことではないかと、何かやれることがあったのではないかと。

前述した「自分さえよければ」という考えに知らず知らず僕も染まっていたのだと知り、

社会に依存して己の命運を他者に預けていたのだと感じて、自分が今どこにいるのか分からなくなったことがありました。

「世界がかわってから」とこの映画の仮題にもあるように、3.11を境に僕たちを囲む世界はかわりました。

あるいは、都市で暮らす人々がかわってしまった世界にようやく気付いたと言えるかもしれません。

いずれにしても、日本人のだれもが一度は漠然と考えたことでしょう。

今を、これからをどう生きるのかと。

身近な生活を足元から少しずつ見直して行くことがまず第一歩のように思います。

己の命運を己の手に取り戻し、そうした人と人との関わりの中で生きていく健全な社会が生まれると思うのです。

ラムヤートでの撮影の中、開店前にお客さんが来たことがありました。

パンと木彫りの像を買って行かれました。

とても印象に残る出来事でした。

満寿喜さんが応対されていましたが、一度として商品を自分からは勧めなかったのです。

聞かれたら答える、話し方も自然体で見ていると本当に売る気があるのかなと思うほどです。

ただ、納得がいきました。

満寿喜さんが自分から商品を勧めなかったのは、置いてあるもの全てがお勧めで、自分が本当に良いと思ったものしか置いていないからです。

逆にいえば、それに共感するお客さんたちがラムヤートを訪れるのでしょう。

儲けようとは一切思っていない、自分と自分の家族とその周りにいる人が幸せに暮らせるようになれればそれで良いと本当に思っているようです。

だからお客さんに媚びる事も、何かに頼る必要もなく、己の命運を己で決められる自由を持っています。

そして、それが可能になる環境を家族とその周りの方々と共に作ってきたのだと思います。

美しい生き方です。

理想を語っているようで実は徹底して合理的な発想が根底にあります。

全ての人々がこういう生き方を選べるわけではありませんが、

それぞれの集落の中でできる事がきっとあると思います。

僕もそれを模索している最中です。

自分と自分の家族だけではなく、その周りにいる人々もほんの少しだけ幸せになれる暮らし方をすること。

多くの方がそれを意識するだけで、世の中は劇的にかわると思います。

原発など必要としない社会が生まれると思います。

そう思わせてくれた洞爺の日々でした。

以前、洞爺のラムヤートを経営している今野さんご一家に僕を引き合わせたかったと田代さんから言われました。

そのことを大変うれしく思いますし、実現できたことに感謝したいと思います。

また、この作品に携わって頂いた多くの方々にこの場を借りて多大なる感謝を述べたいと思います。

僕自身、あまり多くの時間をこの作品と共にできなかったのが残念ですが、

編集に少しずつ関わって最後まで見届けたいと思います。

また、一週間泊まり込みで撮影させて頂いたことをラムヤートの皆さんに御礼申し上げます。

特に、開店前の忙しい中、屋根裏部屋の住人のごんちゃん(友田くん)には居候させて頂いたお礼を申し上げます。

とても楽しい日々でした。

最後に、この撮影報告の表題とさせて頂いた、

「多くはいらない。少なく小さなものを膨らませて、生きる」は、ラムヤートの壁に書かれている一文です。

パンを作っているゆえに思う信念なのか、あるいはその信念あってのパン作りを始めたのか、

満寿喜さんに聞いていないので誰の言葉なのかもわかりませんが、

この一文を何も知らずに初めて読んだとき胸が熱くなり、込み上げるものがありました。

それは真新しい感動ではなく、

「そうだよな」という思いからくるものでした。

きっと、多くの人もこの一文と同じことを心の隅に灯しているではないでしょうか。

2013年6月29日 梅雨の晴れ間に

 

「いま」を、そして「これから」をどう生きるのか・・・。

田代監督と一緒に映画作りをするのは今回が2本目になります。

1本目の「空想の森」が完成し、上映が始まってもう2、3年は過ぎたと思いますが、

撮影していたのはさらに2年ほど前だったと思います。

まだ、僕はそのとき24歳でした。

ポレポレ東中野で「空想の森」を見たとき、このあと田代さんは何を撮るのだろうと思いました。

録音をやっていた岸本さんも同じことを考えていたようです。

ドキュメント映画は、「なぜ、今この映画なのか」ということが

劇映画よりも製作するうえで大きなモチベーションになります。

自分が訴えたいこと、描きたいことが明確になければ、なかなか作れるものではありません。

正直なことを言えば、田代さんは「空想の森」を作り終えて、

良い意味で監督としての資質を全て使い果たしてしまったのではないか、とも思っていました。

なぜなら、「空想の森」を見終わったときに、田代さんの映画はそのとき完結していたからです。

最近よくある中途半端な「空想の森2」みたいな映画は見たくないし、

田代さんはそういう映画は作らないだろうと思っていたからです。

次回作を作るとしても、相当な充電期間が必要になるだろうと思いました。

あれから5年が過ぎ、僕は29歳になりました。

そして、吹雪く大間崎で迎えてくれた田代さんはあの時と同じように、

つまずいてしまいそうになるほど前のめりな監督でした。

また一緒に映画を撮れることに大きな喜びを感じました。

 

大間、函館での二週間の撮影すべてはここでは書ききれませんが、

田代さんの車で訪れた土地の全てで素晴らしい出会いがあり、新たな発見がありました。

ドキュメント映画の撮影の面白いところがまさにそれです。

撮影をしなければ間違いなく知り合うことのなかった人々の人生に触れ、

己の生き方や思考を見つめなおす機会を与えてくれます。

僕にとっての今回の映画の始まりは、やはり3月11日の震災と原発事故だと思います。

あの日、僕は別の映画の撮影で北九州に滞在していたため、ニュースで事の重大さを知りました。

帰京予定が2ヶ月後だったため、東京に残してきた妻のことがとても心配でした。

あの日を境に、漠然と色々なことを考えるようになりました。

妻のこと、家族のこと、友人のこと、地震のこと、原発のこと、この国の在り方、政治、教育、幸せ、生きる、守る、そして次の世代のこと等々・・・。

まとまりがなく、そして答えらしきものも見出せませんでした。

あの震災を目の当たりにして何も感じなかった人はいないと思いますが、

具体的な行動にうつせない自分にいら立ちながら、仕事に追われて日々を送っていました。

なぜ焦っているのか、何に焦っているのかわかりませんでした。

ただただ、考えていました。

そんな折、同じように考えていた田代さんから今回の映画のお話を頂きました。

「空想の森」のその後を追いかけて、登場人物の方々にインタビューをしている矢先に震災を経験し、

悩んだ末に今回の映画を製作することを決意したそうです。

田代さんは、3月11日の震災と原発事故を経験した私たちが「いま」を、そして「これから」をどう生きていくのか、

己の在り方、それぞれの幸せの尺度をもった人々やその家族、

友人たち、彼らの生活を追いながら模索していきたいと言いました。

僕は是非やらせてほしいと即答しました。

なぜなら、それは僕が震災以降、何か掴めないままやみくもに考え続けていたことの正体であり、そしてそれはきっと今のこの国に暮らす人々が皆等しく漠然と感じていることだと気付いたからです。

誰のためでもなく、自分自身が今後どう生きていくのかを模索するために、この映画に参加したいと思いました。

 

2週間の撮影で僕がこの映画で関わったのは、主に大間原子力発電所の建造に反対している方々のインタビューと、

その方々の仕事を含めた生活の取材でした。

その過程で原子力発電所にまつわる国や企業や自治体の実態を知り、

その社会構造と法制度のずさんさに激しい怒りを覚えました。

必然的に田代さんや地元の方々と話す内容も原発に関する批判が多くなり、

僕自身もいまでは原子力発電に反対する立場をとるようになりました。

もし、この国の原発事情の本質を知れば多くの方が無条件で原子力発電に反対するのではないかと思います。

しかし、多くの事実は秘匿され、マスメディアも政府や電力会社の情報を独自に検証することなく放送してしまうため、

事実として認識するのは難しいことと思います。

では、我々はどうすればこの状況を変えられるのか、いったい何から始めればいいのか。

僕は、まずは妻からだと思いました。

自分と同じ道を歩んでくれる妻にはこの事実を知ってもらい、そしてどう生きたいのかを共有したいと思いました。

2週間の撮影の間、この問題についても多くの方とお話をさせていただきました。

そして、きっとこの映画もその一助になるのではないかと思います。

ただ、田代さんも僕も今回の映画を原発反対運動の映画には絶対にしたくないと思っています。

あくまで、「いま」を、そして「これから」をどう生きるのか、

それを描くとき、避けては通れない問題のひとつとして原発反対にかかわる人々の生活を追うのです。

「これから」の生き方を考え、模索していくのが今回の映画だと僕は思っています。

この田代さんとの共通認識を大事にしながら、今後もこの映画の撮影に参加し続けたいと思います。

 

余談ですが、実は、まだこの映画には題名がありません(2011年12月現在)。

撮影の最終日、函館空港へ向かう車の中で田代さんと自分が思う題名を思うままに口に出していきました。

いくつか候補はあがりましたが、しっくりくるものはありませんでした。

題名で苦心することは映画においてよくあることですが、

裏を返せばそれは作品の全貌がまだ見えていないために起こることなのです。

撮影を重ね、撮影させて頂いた方々に共通する何か、一本の揺るぎない根幹が、

あるいはパズルの一片一片が全て繋がったときに見えてくるのかもしれません。

そして、撮影させて頂いた漁師の山本さんの息子さんである卓也さん(この方も漁師ですが)が3月11日の惨事を受けて、「これから」を生きる命を歌にしたいとインタビュー中にお話をされていました。

卓也さんには昨年生まれたばかりのお子さんがいます。

何年先になるかわかりませんよ、と笑ってお子さんを抱きかかえる卓也さんを見て、

卓也さんの歌にこの映画の全てが凝縮するような気が僕はしています。

 

撮影報告 その182 ラムヤート6年目のスタート vol.7

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2013年4月2日。

7:00前 目が覚める。

雨音が聞こえる。

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雨音を撮ろうと思い、隣のマスキくんのパソコン部屋へ。

みんなを起こさないように静かに。

 

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みんなで朝食。

しみじみといい朝食だった。

 

まったりしていたら、 用事がってやってきた近所の友人とゴンちゃんが勝手口で話をしていた。

なんともいい感じなのだ。

ああ、撮りたいなあ、キャメラ持ってこようかな。

などと思ってしまう。

マスキくんとミワさんの何気ない会話も、ああ、撮りたいなあと思ってしまう。

 

そして、いよいよ別れの時。

握手してみんなと別れた。

 

帰る道中、今回の撮影を思い返していた。

それぞれの持つ世界が幾重にもシンクロした。

なんだか頭の中が感動でしびれていた。

 

これを誰かに話したくて、そのまま新得の宮下さんの家に寄った。

「今朝、陽子ちゃんに電話かけたところだったんよ。」

と文代さん。

宮下さんも、

「陽子どうしているかなあって、朝思ってたんや。」

おおー、以心伝心。

 

そして私はしゃべった。

途中から文代さんは晩ごはんの支度で台所へ。

居間に来る度に、

「今何話してたの?」

と聞く。

「ご飯支度していると、いつも話が聞こえなくて今までどんだけ聞き逃していることか。後で宮下さんに聞いても、一言で終わるし、ホント、やんなっちゃうわ。」

台所が居間の隣の隣なので、話が聞こえないのだ。

台所の隣の部屋で食べたらいいのだが、トイレが近くにあるのでそれが文代さんは嫌なのだ。

だから、私は文代さんが聞きたいだろう話は、文代さんが来てからすることにしている。

宮下さんだけに話したことは、結局もう一回話さなくてはいけなくなるから。

逆に、文代さんに話せは事細かに宮下さんに話してくれる。

 

ラムヤートでは、台所のすぐ後ろにテーブルがあるから、ミワさんは作りながら食べながらみんなと話ができる。

そういえば、最後の晩御飯でイモとセロリの天ぷらを揚げながらミワさんが言ってたっけ。

「料理を全部つくってからテーブルにつくんじゃなくて、できたものから食べてもらうようにしたら、熱いものは熱いうちに食べてもらえていいよね。」

と。

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文代さん特製のタコライスをご馳走になり、久しぶりに文代さんと宮下さんとゆっくり話した。

 

しばらく余韻が続きそうだ。

撮影報告 その181 ラムヤート6年目のスタート vol.6

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2013年4月1日。

いい天気。

 

いつものように朝食をいただく。

 

店仕様の服に着替えるマスキくん。

「ミワさーん、シャツ出してもおかしくないかな?」

と工場の中にいたミワさんにチェックしてもらう。

 

スタッフのあゆみちゃんもやってきて工場に入る。

ゴンちゃんとモノの置き場や動線の確認。

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トレーにのったゴンちゃんのパンが小さな窓から出てきた。

ミワさんかそれを受け取る。

「ゴンちゃんのパンが初めて棚に並ぶー!」

とミワさん。

記念すべき一つ目のパンを大事そうに棚に置く。

 

あゆみちゃん、マスキくん、ゴンちゃんもやってきて、パンが並んだところをしばし見つめていた。

パンの前で記念撮影。

 

朝の朝礼。

一人ひとり、想いを話す。

去年一年、パンがない中、おにぎり屋とランチプレートでなんとかしのいできた。

ゴンちゃんはひたすらパンと向き合う日々。

そして店に出せるレベルまでになった。

コツコツつくってきた窯もなんとかできた。

 

あゆみちゃんもマスキくんもかなりウルウルきていたよう。

私もみんなの顔を見ていてジンときながら撮影を続けた。

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一番初めのお客さんがいつくるか、みんなでワクワクしながら待っていた。

車が駐車場に止まった。

出てきた人が店に向かって歩いてくる。

「来るよ、来るよ!お客さん!」

とみんなスタンバイ。

 

月曜平日にも関わらず、この日は20組以上のお客さんがやってきた。

コハムさん、ユノちゃんのおかあさん、近所の人たちもやってきた。

フーさんも嬉しそうにちょこちょこやってきた。

みんな心待ちにしていたのだなあ。

 

パンを買っていくお客さんを見るゴンちゃんの顔。

久しぶりの店の営業。

みんな楽しんでいた。

そしてどんどんエンジンがかかっているようだった。

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ランチは工場でみんなでいただく。

パンとチーズ。

 

ラムヤートはここ洞爺で、暮らしと仕事を味わいながら、これからもゆっくりと目指すところへ歩いてゆくんだろうな。

 

3時。

カフェスペースでお茶をしながらスタッフミーティング。

それぞれ気づいたこと、早急にやるべきことなどをみんなでシェア。

今度中学生になる近所のソラくんが遊びにきて、ミーティングの輪に入る。

 

ゴンちゃん:

「材料代など、月末までに○○円支払いがあるんです。その内の○○円は、もう少し先の支払いでも大丈夫です。ボクの貯金が○○円あるので、そのぶんは立て替えられます。」

あゆみちゃん:

「そっかー。どうしても難しいなら、私に言って。」

マスキくん:

「というか、あっー、情けないっ。」

 

4時過ぎ、閉店。

終業のミーティング。

予想以上にお客さんが来てくれたこの日。

スタッフそれぞれが色んな想いでこの一年を過ごし、そして今日、素晴らしいオープンを迎えられた。

私は静かに感動していた。

そしてまたもやウルウルのあゆみちゃん。

 

最後にマスキくんが私にふった。

私はキャメラを止めた。

一気に色んな感情が込み上げてきて不覚にも涙があふれてきた。

私のクランクアップもみんなが祝ってくれた。

 

最後の夕食。

スタッフのゆうこちゃん、後からあゆみちゃんもやってきた。

マスキくんが上等な月浦ワイン、ゴンちゃんが上等な十勝ワイン清見を用意してくれていた。

ラムヤートのスタートと映画のクランクアップをみんなで祝った。

そしてもう一度、ゆみこ祭りをみんなで鑑賞。

しばらくこれで笑えるなあ。

 

 

2011年3月11日。

この日をきっかけに、私は、まだ名もなき映画を撮り始めた。

どうなるかわからない危機感をかかえながらのスタートだった。

2年後の今、その状況はちっとも変わっていないが、クランクアップしようと思えた。

しかも、私は満ち足りていてシアワセを感じている。

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3.11が起こらなければ、ラムヤートとの面々とこんな風には出会ってなかっただろう。

まだ名もなき映画の最後の撮影がラムヤート。

一生忘れないだろう。

 

マスキくん、ミワさん、ゆうら、ゴンちゃん、あゆみちゃん、洞爺の人たち、

本当に、

本当に、

ありがとうございました。

 

そしてこれからもよろしくお願いいたします♪

 

 

撮影報告 その180 ラムヤート6年目のスタート vol.5

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2013年3月31日。

8:30 起床。

 

工場に行ってゴンちゃんの仕事を見させてもらう。

なんか工場に行きたくなる私。

ゴンちゃんはいつでも快く中に入れてくれる。

窯もじっくりと見た。

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一坪君が起きてきて遅い朝食をいただく。

 

お昼は一坪君と歩いて素敵なカフェ・コハムさんへ。

コハムさんのご夫妻も昨日のゆみこ祭りに参加していた。

「昨日は酔っぱらって話し過ぎてすいませんでした。」

とテーブルに水を置きながら夫の悟さん。

「確かにたくさん話をしたけど、とっても楽しかったですよ。」

と私。

ちと飲み過ぎたかなと思う翌日の気持ちは痛いほどよくわかる。

 

ランチをゆっくりいただきながら、一坪くんと色んな話をした。

ゆみこ祭りのこと、連フンのこと、ラムヤートのこと、どんな映画にしたいか、これからの編集、仕上げのことなど。

一坪君の顔を見ながら、来た時よりずいぶんリラックスして柔和な顔になったなあと思う。

 

ラムヤートに帰り、一坪君は帰る支度。

みんなに挨拶をして名残惜しそうに車に乗った。

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左からゴンちゃん、一坪君、マスキくん、ミワさん

ゴンちゃんは店の前で見えなくなるまで手を振っていた。

洞爺駅で一坪君と別れた。

 

私はこれから撮影だ!と気を引き締め、ラムヤートに戻った。

 

マスキくんは地域の寄り合いに出かけていた。

私は早速ゴンちゃんの撮影をした。

 

夕食。

久しぶりに少ない人数。

「マスキくんが、えげつない空間とみんなが心地いい空間とどっちがいい?って聞いてきたんです。昔の私だったら心地いい空間と言っていたけど、えげつなくていいんじゃないって言ったんです。」

とミワさん。

どうやら今シーズンはマスキ色を前面に打ち出すらしい。

 

マスキくん寄合から帰って来て来た。

「寄合に集まった地域のオジサンたちに、柔らかいパンもつくってくれって言われちゃったよ。」

と苦笑い。

 

ミワさんのリクエストでユミコ祭りで撮ったものを見ることに。

連フンの場面では大笑い。

 

8時過ぎ。

マスキくんの空間づくりが始まった。

明日オープンなのだ。

今シーズンのラムヤートの空間をどんなふうにつくっていくのか。

私もキャメラを持ち、邪魔にならないように見る。

 

「さあ、やるか!」 とマスキくん。

WATER WATER CAMEL の「水平線の見える丘で」が大音響で始まった。

鳥肌がたった。

音楽と目の前の風景と自分の気持ちがマッチした。

 

一つモノを置く。

離れて見て全体を見る。

少し位置を変える。

また戻す。

その繰り返し。

モノと空間と対峙するマスキくん。

美しかった。

 

そうやってひとつひとつモノの位置が決まっていく。

空間全体が調和していく。

 

なんだか映画の編集と似ているなあと思った。

 

店の外に出てみた。

温かい明かりの中に、ワクワクするような空間が浮かびあがっていた。

 

「お客さん入りづらいでしょ。錆びた鉄や腐った木とか、自分の好きモノだけを置くことにしたんです。売りモノは二つだけ。前田真三さんのポストカードとバレリーナのカード。それを引き立たせるように配置したんです。」

とマスキくん。

私も夢中で撮影した。

立ち会わせてもらってとても嬉しかった。

 

11時、終了。

さあ、明日はいよいよラムヤート6年目のスタートを切る。

撮影報告 その179 ラムヤート6年目のスタート  vol.4

2013年3月30日。

8:00 起床。

窓を開けると、外は雪化粧。

天気もいい。

まだ寝ていた一坪君を起こして、昨日見つけた撮影ポイントへ行って撮影。

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帰ってきて朝食をいただく。

 

マスキくんが二階の新しくつくったパソコン部屋で仕事をしていた。

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私が寝ている部屋の小さなすりガラスを開けて中をのぞいてみた。

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自分の好きなものを置いているのだろう、いたるところに小ささモノが置かれていた。

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壁には色んな絵が描かれていて楽しい。

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前に私が撮影した時につくっていた小屋の壁に、イベントの参加者に絵をかいてもらったものだそうだ。

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キャメラが空いていたので、急いで少しだけ撮影した。

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「友達になりたいと思う同世代の男に久しぶりに会いました。」

と一坪君が私に言った。

ゴンちゃんの仕事を撮影しながら話をしているうちに、一坪君はすっかりゴンちゃんが大好きになったようだ。

そのせいか、私の予想より一坪君はだいぶテープをまわしていた。

今晩はゆみこ祭りもあるので、残りのテープの配分などを二人で相談。

一坪君が31日に帰った後は、オープン前日とオープンの日を私が撮影するので、テープの残量が気にかかっていた。

「尺が決められた中で撮影するのは、良く考えて撮影できていいことだから。ゆみこ祭りは10分しか回さないから大丈夫です!」

と妙に自信たっぷりに一坪君が言うので、テープを買いに行くのをやめた。

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白黒のノラネコはチョコちゃんを探してか、今日も家の周りを歩いている。

近所のエッケさんが、ラムヤートの周りの氷割りや雪かきをしている。

「いつもコーヒーとパンでやってくれるんだ。」

とマスキくんが言った。

マスキくんには洞爺の愛すべき人々が何人もいる。

エッケさんはその一人。

エッケさんを見ていると、マスキくんのその思いが私にも伝わってくる。

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ゆうらは、エッケさんの子どものタンタンと雪山でそり遊び。

もうこれだけで、なんて素敵な日なんだろう♪と思ってしまう私。

この何でもない日常のキラキラ感を私は映画で伝えることができるだろうか?

 

この日のランチはエッケさん、タンタンもいっしょににぎやかにいただく。

 

夕方、みんなで私の車に乗り、ゆみこ祭りの会場へ向かう。

ミワさんは準備があるので早めに家を出ていた。

いこいの湯の近くのログハウス。

洞爺湖の眺めがいい。

 

中に入ると、大勢の子どもが走り回って遊んでいた。

ミワサンは準備で動き回っている。

マスキくんは会場の飾りつけをはじめた。

 

私は前にもお会いしている人がいたりして、お話しをしながらみんなの準備を眺めていた。

今日の主賓のゆみこさんは、伊達の路地裏祭りでカレーとカキ氷の店をやっていた女性だったことがこの時わかった。

 

一人一品持ってきた料理や飲み物がテープに並ぶ。

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マスキくんの司会で会が始まった。

私と一坪君を紹介してくれて、撮影を了解してもらった。

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第一部はこども部。

小学生の子が二人で漫才をしてくれた。

これがけっこう面白かった。

都はるみが歌っている洞爺音頭をみんなで踊って一部終了。

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ゴンちゃん

二部はお祝いの部。

友人たちが音楽でゆみこちゃんと渡辺さんを祝う。

ゴンちゃんが即興でゆみこさんに贈る歌を歌った。

アンコールが起きて2曲目も歌う。

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マスキくんとゆうら

「ゴンちゃんの歌すごくいいですねー。田代さん、映画の音楽、ゴンちゃんにつくってもらったらいいと思います!」

と一坪君が興奮気味で私に言った。

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ヒロシマさん

洞爺へ移住して一番長い大工のヒロちゃんがしゃみせんで歌をうたう。

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あゆみちゃんとジュンちゃん

みんながやんやと声援を送る。

ヒロシマさんの人柄がにじみ出ていた。

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新郎の渡辺さんと新婦のゆみこちゃん

新郎新婦が着替えて登場。

ゆみこちゃんは美しかった。

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友人の宇宙くんの新郎新婦へのインタビューがこれまた面白かった。

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マスキくんと宇宙クン

宇宙クンはマスキくんを「シショウ」と呼ぶ。

宇宙クンはマスキくんが耳元でささやいたことをそのまま言う。

独特の間の抜けた感じがおかしくあったかい。

 

この二人のコンビを心配して、妻のミワさん、シホちゃんが助け舟をだしたりしていた。

そのうち、司会はシホちゃんがやっていた。

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ゆみこちゃんが花嫁衣装にギターを抱えて歌を歌う。

かっこいい。

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友人たちの心のこもったお祝いの会。

ゆみこちゃん、新郎の渡辺さんはどれだけ嬉しいだろうか。

 

車の運転があるので私はお酒を一滴も飲まず水を飲んでいた。

色んな人と話をして、お料理も堪能して、とっても楽しかった。

話す人は酔っている人がほとんど。

しらふで楽しむのもいいものだと初めて思った。

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ミワさん

しかし、ミワサンは縁の下の力持ち。

進行しながら、料理を出したり片付けたり、参加者に気を配り、とても楽しそうに働いている。

 

女の子たちはマイクを持ち歌ったりしてはしゃいでいる。

女三人集まればとよく言ったものだ。

ゆうらはマイクは持たないが、他の子供たちと楽しそうに遊んでいる。

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「田代さん、この会は洞爺が凝縮されています。もう尺関係なく撮っちゃてます。」

と一坪君。

「やっぱりそうでしょ。好きなように撮ったらいいよ。」

と私。

そんな風に一坪君が感じていることが私は嬉しかった。

 

マスキくんはこの土地で生きることを決め、人間関係をつくり、豊かな暮らしをつくってきたんだなあ。

と改めて感じた。

 

マスキくんの愛すべき人々が私も愛おしかった。

 

第3部 大人の部。

これを楽しみにしている女性が大勢いた。

以前、ケイコちゃんという友人が洞爺を離れる時のお別れ会のこと。

男性陣が連フンをして、ケイコちゃんを胴上げした。

前後の人にひっぱられて、ポロリも続出だったそうだ。

 

連フンとは、長いフンドシを男性たちが連なってつけること。

マスキくんは連フンをやりたくなくて気が重いと毎日言っていた。

ミワさんも私は見たくなかったから、前の時は見なかったと言っていた。

しかし、今回は主賓のゆみこちゃんのリクエストなので、やらざるを得なかった。

 

「そろそろ時間です。よかったら控室へ。」

とマスキくんが、それぞれの場所で話に興じている男性に声をかけていく。

基本、ここに男性全員。

撮影の一坪君も例外ではない。

彼はなぜか張り切って参加。

私が撮影することになった。

 

男性陣がフンドシ装着中、帰る人の車が出られない事態が発生。

車の持ち主を探すため、ミワサンが暖簾を顔に覆い、控室を開けて車のナンバーを叫ぶ。

なんともおかしかった。

 

テンション高く、音楽に乗って連フン男性陣が出てきた。

腰にビニール紐、そこに一枚の布を前と後ろに通しているだけだった。

 

先頭はあゆみちゃんの夫のジュンちゃん、そしてゴンちゃん、一坪君とつながっていて、お尻の方に悟さん、マスキくん、宇宙くん、最後がヒロシマさん。

今回は11人の男性が一つのフンドシに連なっていた。

テーブルの周りをグルグル回ったり、走ったり。

私はおかしくておかしくてキャメラを揺らさないようにするのが精いっぱいだった。

紐がずり下がってしまう人、前後に引っ張られてあわてて押さえている人などなど。

最後はまるくなってゆみこちゃんを胴上げ。

そして控室に走って戻っていった。

女性陣は大盛り上がりでアンコールを叫んでいた。

 

一大イベントが終わり、戻ってきた男性陣は妙な連帯感が生まれていた。

フンドシイレブン。

「招集がかかったらいつでも馳せ参じます。」

とゆみこちゃんの夫・渡辺さんが言ったのにはびっくり。

 

いい会だったなあ。

 

会場を片付けて家に帰ったらもう12時を回っていた。

「一坪君が最後の晩だから、ワイン1本買ってきたから飲みましょう。」

とマスキくんが言った。

ゴンちゃん、マスキくん、私、一坪君はワインで、ミワさんはお茶で乾杯した。

月浦ワイン、おいしかった。

 

そしてみんな、ゆみこ祭りの余韻にひたりながら眠りについた。

 

 

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