アーカイブ

旅する映画 その13 安房へ

瀧口輝三朗(みきお)さん 2009年4月12日。 千葉県の房総半島、館山を目指す。 ただ今「空想の森」の自主上映会を計画している、 安房地人協会(瀧口さんたちが何か一緒にやるときの名前)の瀧口輝三朗さんに会いにゆく。

10:00。川崎駅からバスで木更津駅へ。 1時間ほどバスに揺られる。 そこから電車で館山駅へ。 初めて見る外房の海は春の穏やかな陽を浴びキラキラしている。 車窓は、だんだんのんびりした風景になってきた。 12:56。館山駅につくと、瀧口さん、仲間の真魚長明さん、友絵さんが出迎えてくれた。

左から真魚長明さん、友絵さん これから車2台に分乗して、上映候補のホールなどを案内してもらう。 まず、旧三芳村の道の駅のレストランで昼食をご馳走になる。 お互い初めて会うので、ここで自己紹介などする。

「空想の森」の上映をやりたいと私に連絡をしてきた瀧口さんは、 外房の太海(ふとみ)という町の出身。 5年ほど前に実家に帰ってきて、現在は化粧品の販売をしながら、 2年前から真魚さんと田んぼをいっしょに借り、 米をつくったり、味噌やしょうゆをつくったりする暮らしを始めた。 この日も午前中、地元の人たちとしょうゆの仕込みをしてきたそうだ。

真魚さんは東京出身で、世界を放浪していた。 サーフィンをしにこの町にやって来てそのまま住み着き、 現在、合気道の先生をする傍ら文筆業などもしている。 この地域に風を吹かせている人のようだ。

この旧三芳村は、昭和48年から有機農業に取り組んでいる町として知られて いるそうで、昔から農業が盛んなところなのだ。 しかしこの町もご多聞にもれず、耕作放棄地が増えている現状だそうだ。 それでもやはり、有機農業に取り組む農家は多いとのこと。 この道の駅のレストランも、地元の野菜をふんだんにつかったメニューが並んでいた。

この辺りは、コンクリートの原料となる土が出る山が多く、ずっと山が削られ続けてきた。 そのために、グランドキャニオンの様な荒涼とした姿が続く場所に変貌してしまったところが多いのだそうだ。 削られた土はダンプカーに満載され、東京方面にどんどん運ばれていく。 それに伴い様々な問題が発生していた。 今、鬼泪山(きなだやま)という国有林に指定された山が削られようとしている。 真魚さん、瀧口さんはその反対運動もしている。

そして、自分の暮らす地域をもっと面白くしようと、瀧口さんらが中心になって、 安房地人協会という名前で、映画の上映会、講演会などなど、色々な活動をしている。 その一環で、「空想の森」の上映会をやろうということになったのだ。 そして、私は今回、関東に来たついでに、上映会の前に一度瀧口さんに会ってみたいと思い、 安房を訪れることになったのだ。

昼食後、3箇所のホールを案内してもらった。 120人ほどのキャパの町の施設、房総半島で一番大きなホールとそこの会議室、 ローズマリーのテーマパークの中の100人ほどの劇場。 設備、金銭面などを総合的に考えると、 最後に行った会場が一番いいのではないかと、4人で話した。

外観 客席

この広い房総半島の南半分に映画館がなくなったそうだ。 海を渡り、東京や横浜に映画を見に行く人が多いという。 そんなところだけに、地味なドキュメンタリー映画を自主上することはかなり大変なことだと思う。 それを、きちんと宣伝して集客してやろうとしてくれている瀧口さんたちに、ありがたい気持ちでいっぱいになった。

[…]

旅する映画 その12  高崎から渋谷へ

2009年4月10日。 9:19発の高崎湘南ラインに乗って渋谷へ向かう。 今日は、早川由美子さんと会う約束をしている。 彼女も自主制作でドキュメンタリー映画(「ブライアンとその仲間たち パーラメント・スクエアSW1」)をつくり、 それを今年の空想の森映画祭に応募してきたことが縁で知り合った。 東京の人だったので、同じ作り手として個人的に話をしたいと思い連絡を取ったのだ。 車中、どっと疲れが出て横たわりたいくらいヘロヘロだった。

11:10。渋谷着。待ち合わせのハチ公前に座ってぼんやり町を眺めていた。 やたらに騒々しい。音があちこちから耳に刺さってくる感じだ。 待ち合わせまで時間があるので、交番でコインロッカーの場所を尋ね、大きな荷物を預けた。 12:00に早川さんが私を見つけて声をかけてくれた。 早川さんのお勧めのチェコ料理のお店に向かって二人で歩き出した。

早川由美子さん 早川さんは、ジャーナリズムの勉強のためにイギリスに留学していた。 その時、国会議事堂の前で反戦運動をする人たちと出会い、キャメラを回し始め、 一本の映画を完成させ、今上映活動をしている。 私と共通するところもあり、お互いのことを色々話した。

おいしくご飯も食べ終え、場所を変えて一杯飲みながら話そうと、 私たちはセンター街の方へ歩いた。 そこで目についた台湾料理の店に入り、まるテーブルに座った。

せっかくだから、映画をつくっている友人たちも呼んでいっしょに話そうということになり、 私は、自分の仲間の一坪悠介君、新井ちひろさん、橋爪明日香さんに電話をした。 数時間後みんなやってきた。 早川さんも、根来さん、岡さん、向笠さんという映画仲間に電話して同じくみんなやってきた。 まるテーブルは8人でいっぱいになった。 そこで私たちは3時頃から夜10時過ぎまでずーっと飲みながら話をしていた。 私はいつの間にやら疲れも吹っ飛んで、すっかり楽しんだ。 作り手同士で話すことは、あまり機会がなかったので、こうして話せることは私は嬉しかったし、 刺激になったし、私もがんばろうという気持ちになった。 また、東京に出た時はみんで会いたい。

旅する映画 その11 すぎな農園から榛東村へ

2009年4月9日。 7:30。起床。 8:00。朝の仕事を始める。 進さんはもっと早くから起きて仕事をしている。 母屋の前の水道で、数個の大きなポリタンクに水を汲む。 家と山の上の鶏舎の途中に、餌を調合する小屋がある。

右手の小屋が飼料小屋

ここで飼料の調合し、小分けにする。

ここで週2回ほど、餌の調合をしている 竹渕さんはおいしくて安全な卵のために、餌に大変こだわっている。 98パーセント以上国産の飼料。 小麦、米の粉、米ぬか、魚粉(酸化防止剤不使用)、 おから(国産無農薬大豆)、カキがら、醤油かすなど。

軽トラに水と餌を積み、まず山の上の鶏舎へ。 鶏に水と餌をやりと卵採りだ。

まずは餌と水だ。私が餌をやる。 鶏舎へ入ると、鶏が待ちきれないのか、まとわりついてくる。 何箇所かに置かれた餌箱に餌を入れる。 一つの肥料袋に入っている餌を一つの鶏舎に使う。 餌は15キロほどあり、結構重い。

一輪車に水のタンクを乗せ、進さんは水やりだ。 この水のタンク、かなり重い。 人が働いている姿ってかっこいいと思う。 特に体を使う仕事は。 無駄のない動き、ちょっとしたコツが仕事がやりやすくなったりする。 鶏舎の横には、開墾途中の畑が広がっている。 掘りおこした桑の木の根っこがあちこちに顔を出している。 その畑を悠然と歩いている白いネコが一匹、小さく見えた。 田代「あの白いネコ、竹渕さんちの?」 進さん「そう。ビビっていうネコで、家の中で飼ってるゲンちゃんとかのお母さんなんだ。」 田代「ビビ!」 ビビは歩みを止め、こちらを見た。 竹渕「俺が呼んでもいつも無視なんだよ。かみさんと間違えたのかな。」 私はちょっと嬉しかった。

卵小屋の下。割れた卵を食べに来たビビ。

竹渕さんは外ネコ、家ネコをあわせて6、7匹のネコを飼っているのだ。 ゲンちゃんは、大きな目が印象的なシュッとした美しいネコで、 私はなでたり、だっこしたくてたまらなかった。 しかしなかなか顔さえもよく見せてはもらえず、やっと私の前に顔を出すようになったくらいだ。 仲良くなるにはもっと時間が必要だ。 外ネコは、たまに餌を食べに帰ってくるくらいなのだそうだ。 ここんちのネコは幸せだ。 出入り自由で、畑や林、自由にどこでも遊びに行ける。 そして家に帰ればご飯もあたる。

そして二人でいっしょに卵採り。 朝は特に卵を温めている鶏が多い。5羽も6羽も重なっていたりする。 それをどかしながら、にーじゅういち、、にーじゅうに・・・ と数を忘れないように数えながら卵を採る。

ある鶏舎の中で、鶏が騒いで一斉に右や左に飛んで、 ブワーっと砂やら餌が舞い上がった。 […]

旅する映画 その10 倉渕・すぎな農園にて

2009年4月8日。 9:00頃目が覚めた。起きられなかった。 身支度をして下りると、すでに朝のひと仕事が終わっていた。 今日も気持ちいい天気。 私は仕事してないけれど、早速朝食。 智子さんの自家製パン、目玉焼き、ルバーブジャム、コーヒー、みかん。 おいしくいただく。

食後、進さんが車で倉渕(くらぶち)を案内してくれた。 こぶし、桜など花々が咲き誇り、すっかり春だ。

倉渕の野菜の出荷場。 今この近くで、農家の男衆が当番制で井戸を掘っている。 まだ水は出ていない。

倉渕パン工房 湧然

倉渕パン工房 湧然へ。 ここは竹渕さんの卵を使ってシフォンケーキをつくっている。 竹渕さんの卵だとよく膨らむのだそうだ。

パン屋さんの奥さんと竹渕さん

そして、上映実行委員のメンバーで、倉渕入植9年目の田中さんの畑へ。 耕二さんと悦子さんが畑で精を出していた。

悦子さんと耕二さん

育苗ハウスにはトマト、なす、パプリカ、ハーブなどの小さな葉っぱ並んでいた。 ポカポカあったかい育苗ハウスの中は、新しい生命力に満ちあふれている。

育苗ハウス

育苗ハウスを背にして、右手に小松菜の畑ともう一つ畝を切っている畑、 左手にはブドウ畑、手前にはルバーブが少々。

ルバーブ 「ここの畑はこれだけあっても出荷するのは小松菜だけなんです。 あとは自分たちで食べるための畑なんです。」 と悦子さんが笑った。

ブドウ畑

今の時期は、耕二さんは苗の世話、悦子さんは、ブドウについている虫を皮をめくり、 1匹1匹手でつぶすという気の遠くなる作業をしている。 ひとえにうまいワインを飲みたいが為だ。 「ブドウには3種類、駆除しなきゃいけない虫がいるんですが、 そのうちの1種類は、春先の今時期に退治しなくては、後で大変なことになるんですよ。」 と悦子さん。 あとの害虫は、常時駆除する虫、実がついた時に駆除する虫がいるそうだ。

今のブドウは枝の選定作業が終わったところ。 山葡萄とかけ合わせのヤマソウ、メルロー、など数種類のブドウを80本ほど植えている。 枝を2本残すのだが、何かあった時の予備で3本残している。 支柱と枝を這わせる頑丈なひもがはられている。 今は細い枝だけの姿だが、これから枝が伸び、 葉っぱが生い茂って緑の壁になって実をつけるのだ。

[…]

旅する映画 その9 高崎から倉渕へ

2009年4月7日。 11:00。シネマテークで「1978年、冬。」という中国の映画を見た。 画の切り取り方、少ない台詞。 感情を揺さぶられる映画だった。 最後にいい映画を見て、私はとても気分がよかった。。

そして、志尾さん、小林さん、泉監督と昼ご飯を食べに蕎麦屋へ。 またひとしきりみんなで話す。泉さんがおごってくれた。 私は、お礼と別れの挨拶をして駅前のバス停に向かった。 また6月に群馬に上映で来られることが決まったのでルンルンだ。

前回、自主上映の時には、竹渕さんの家にちょっと寄っただけだったので、 今回は仕事をやってみたいと思い、2日ほどお世話になることにした。 竹渕さんは、「すぎな農園」の園主。 妻の智子さんといっしょに鶏を飼い、卵をとり、野菜もつくっている農家だ。

倉渕(くらぶち)行きのバスを待っていると、横でいっしょに待っていたおばさんが、 「これでしばったら荷物が倒れないよ。」とビニールの袋をくれた。 映画祭事務局、見に来てくれたお客さんからお土産をいただいて、 私は紙袋3つとスーツケースを抱えていたのだ。 ありがたくいただき、持ち手をしばってバスに乗り込んだ。

うつらうつらしながら、満たされた気分で2時間近くバスに揺られた。 竹渕さんがこんな遠くからわざわざ東京のポレポレ東中野まで映画を見に来てくれたかと思うと 改めてありがたい気持ちでいっぱいになった。

16:00過ぎ、倉渕のバス停で下車。 まもなく竹渕さんがワゴン車で迎えに来てくれた。 卵の配達の途中だったので、残りの5、6軒を私も同行した。 この辺りは、山間の集落なのだが、どん詰まりという感じはしない。 明るい感じだ。その集落ごとに雰囲気が違う。 農家の家の造りが独特だった。 昔、養蚕をやっていた農家が多かったようで2階は蚕の部屋だっだ。

マキバ

竹渕家に着くと、進さんはヤギのマキバの餌やりなど。 私は荷物を2階の部屋に運び、作業服に着替えた。 すぎな農園は、鶏、ヤギ、犬、猫。動物たちといっしょに暮らしている。 その餌やりだけでも一仕事だ。

そして、今晩のおかずの野菜を進さんといっしょに畑に取りに行った。 掘り出した大根や人参などを畑に囲っているのだ。 青菜の新芽も摘んだりした。

家に戻ると、温泉に行こうということで、 3人で車で30分ほどの倉渕川浦温泉へ。 ここでゆっくりとお湯につかった。

家に戻って進さん、智子さんと夕食を囲んだ。 人参のマヨネーズと味噌とゴマ和え、厚揚げと肉の生姜・にんにく・ネギと豆板醤炒め、 ひじきと白菜炒め、ご飯、味噌汁。 これに、地元の牧野酒造の2種類の日本酒。 もう、メニューといい、味つけといい、盛り付けの仕方といい 私の好みのものばかりで、本当においしくいただいた。 智子さんは料理がほんと、上手だ。

高崎映画祭のことや宮下さんの話などをした。 宮下さんと竹渕さんはけっこう共通点があったこと、 竹渕さんは動物の世話してくれる人が見つかったら、 新得に遊びに行くことにしたとのこと。 生の文代さんを見たいと。 これはまた楽しみだ。

とにかく食事がとってもおいしかった。 […]