2012年5月6日(日)。
今日も曇り。
私は昨日と同じように起きてからすぐにキャメラを持って、山本さん夫婦といっしょに過ごしながら撮影。
お茶を飲みながら、朱美さんと話をする。
山本家は、大間で魚の獲れる量が減ってくる初夏から冬まで、岩手県の久慈に拠点を移して魚を獲るという生活を続けている。
「大間で魚が獲れたら行かなくてもいいんだけど。」と朱美さん。
漁の日、山本さんは朝4時過ぎから支度をはじめ、5時には港を出る。
帰って来るのは夕方6時か7時くらいだ。
18歳で山本さんと結婚し、以来ずっと朱美さんはご飯をつくり、掃除をし、子供を育て、家を守ってきた。
「子どもたちが大きくなったと思ったら、息つく暇もなく今度は孫の世話だもの。」と朱美さんは笑う。
船にいっしょに乗らせてもらった長男の卓也さんは、家族3人で名古屋に行き、元気に働いているそうだ。
「それにしても、山本家はみんなよく話をしますね。」と私が言うと、
「そう。うちはみんな何でもよくしゃべるの。」と朱美さんは言った。
庭に出てみた。
今日もくもり空で肌寒い感じだ。
家の前のこいのぼりが勢いよく泳いでいる。
大間は風が強い日が多い。
漁で使う糸に山本さんがこいのぼりをつけたそうだ。
少し花が咲いていた。
家の脇に小さな畑があり、ネギやキャベツが植えられていた。
私が撮影していると朱美さんも庭に出てきた。
今年はカラスにキャベツをやられたそうだ。
「この倍くらいの大きさがあればもっと野菜がつくれるのだけどね。」と畑からネギをとった。
昼ごはんは暖かいそうめん。
畑のネギが入っていた。
そして自家製の梅干しが何ともおいしかった。
これは、山本さんたちが半年過ごす岩手県・久慈の人から教えてもらった方法でつくった梅干しとのこと。
絶品だ。
午後、ユキさんと子どもたちがやってきた。
山本さんは小屋の中でトウキくんのパンクした自転車の修理にかかった。
ユノちゃんはその周りでほうきと塵取りを持って一生懸命お掃除をしていた。
パンクを修理してもらったトウキくんは、元気よく自転車をこいで遊びに行った。
その後ろ姿を見つめる山本さんの目が印象的だった。
そして私は家の中に入って、ユキさんのインタビューをさせてもらう。
大間原発のことを撮影するようになってから、私は大間の漁師の人がどんな暮らしをしていて、原発についてどう思っているのかを知りたくなった。
そして特に若い人が原発のことをどのように考えているのだろうと気になっていた。
ユキさんも10代で同級生のカズキさんと結婚し、3人のお母さん。
看護士として大間の町の病院で働いている。
チャキチャキした肝っ玉母さんという感じだ。
ユキさんは今回の福島第一原発の事故を目の当たりにして、原発の問題を初めて自分のこととして捉えるようになったという。
子育て中の今、放射能のことがとても気になるとユキさんは言った。
子どもには安全なものを食べさせたいので、買い物をする時は常に産地をチェックしている。
母の朱美さんが食べ物のことをきちんと調べて買っているので、子どもたちが実家にいる時の方が安心だとユキさんは言う。
職場では、原発のことを話せる人がほとんどいないという。
というのは、ユキさんが勤める病院は、大間原発を運営する会社・電源開発がお金を出してできた病院なのだ。
大間町にはこの病院しかない。
給料もこの会社から出ているそうだ。
職場では、原発ができて事故が起きた時のことを想定した講習会をしているそうだ。
それを聞いて私は思った。
世界初のフルモックス燃料の原発で事故が起きたら一体どうなるのだろうか。
原発から3キロ以内の病院もすぐに避難しなければいけない地域になるのではないだろうか。
現在ユキさんは家族5人で実家近くのアパートに暮らしている。
そろそろ家でも建てたいと思うが、大間原発の問題があるからまだ家は建てるなと山本さんに言われているそうだ。
住み慣れた大好きな大間を離れたくない思いが強いが、大間原発が建設されたら、やはり子供のことを考えると大間にはいられない。
自分たちが他の場所に家を構えることによって、何かあった時の家族の避難場所にもなるからそれもありかなと考えるようになったという。
ユキさんは率直に色んな話をしてくれた。
本当にありがとうございました。
明日から山本さんは漁に出る。
幸い天気も良くなるとのこと。
朝、漁に出かけるところを撮影することにした。
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