2012年5月8日(火)
朝起きると、声がおかしくなっていた。
風邪をひいたらしい。
山本さんは早朝、漁に出かけていった。
朝ごはんをいただき、少しゆっくりした。
海沿いは霧で真っ白だった。
山本家の皆さんには本当にお世話になった。
毎日おいしいご飯を食べさせてもらって、4日間心ゆくまで撮影させてもらった。
私は、大間原発の問題を知ることになって撮影を始めてから、現地の人・大間で暮らす人たちはどんな暮らしをしていて、どんなことを考えているのだろうと考えていた。
そして奥本さんに山本さんを紹介していただき、一家の暮らしをほんの少しだけ共有させてもらい、お話も聞かせていただいた。
山本さんには山本さんの世界がある。
私には私の世界がある。
その世界が重なることもある。
大間原発建設問題は1970年代から長い間に渡っての今だ。
とても複雑で繊細な問題もある。
それでも私は思う。
今こそ、何を大事にして生きていくのか、
ひとりひとりが考えて自分で選択する時だと。
大間の人も、違う地に暮らす私たちも。
山本家に戻ると、朱美さんがトロ箱いっぱいの殻つきウニ、マグロの胃袋、べコ持ち、梅干しなどたくさんのお土産を用意してくれていた。
お礼を言って、また、6月に会いましょうと山本家を後にした。
函館港に着き、野村家に直行。
「あなた顔がヘンよ。」私の顔を見るなり野村さんは言った。
どうやら熱が出てきたようだった。
二人では食べきれないほどのカキをいただいたので、野村さんは竹田さんに電話して、仕事が終わったら野村家に寄ってもらうことにした。
それから石川さんに電話して夕食を野村家に食べにくるように連絡した。
私はソファーに横になってダウンしていた。
野村さんが頭に乗せてくれたアイスノンが気持ちよかった。
この日の夕食。
野村さんが夕食をつくってくれて、豪華な食卓を石川さんと三人で囲んだ。
それから1週間、野村さんの手厚い看護を受け、5月16日、無事に帰宅。
三食つくってもらえて、お茶も入れてもらえて、こまごまと気遣っていただき、体はしんどかったけど結構シアワセだった。
野村さん、本当にありがとうございました。
それから、親方、おかみさん、あゆみちゃん、さとみ、ご心配おかけしましたが、無事十勝に帰りました。
風邪でダウンしている間、野村家でいただいたおいしい食事などの写真。
5月14日。大沼にて。
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