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英語字幕終わりー!

「風のたより」の英語字幕の修正が二年越しでようやく終わりました。

’チーム風’が一丸となっての協力体制のおかけです。

英語字幕の修正をやっていただいたのは山之内悦子さん。

彼女と映像を見ながら二人で作業します。

とても贅沢なことだと思います。

山之内さんとやっていると刺激があり、勉強になります。

二人とも細かくしつこいので(仕事に関してだけ)、その分時間がかかります。

でもいい字幕になります。

5日間の合宿生活。

面白かったー。

山之内さん、ありがとうございました!

「空想の森」を久々に新得で上映して

「空想の森」が空想の森映画祭で上映されました。

完成した時以来なので、新得で11年ぶりの上映。

当時撮影に協力してくれた方々も見に来てくれました

上映後、前に出てきてもらい一言ずつ感想を言ってもらいました。

’いんであん’こと、芳賀さんが話した感想が心に残りました。

「自分たちにとっては見慣れた場所、身近な人たちが登場するので、

完成当初は、この映画、何が面白いんだろう、誰が見るんだろうと思っていました。

時間がたった今見て、なかなかいい映画だなあと思いました。」

と。

これだけでも、足掛け10年格闘してつくった甲斐があったなあと思いました。

記録していなかったらすっかり忘れ去られていた記憶。

「空想の森」は、私自身が仲間たちと共に過ごした時間の記録でもあります。

映画にしたことで、その時の空気、湿度、匂いと共に、

感情も思い起こされてきます。

こうやって、確かに私たちはここで生きていたんだな、と。

100年後、誰かがこの映画を見たとき、

映画を通して、登場する人たちと出会うことで、そうそう!と共感したり、ププッと笑ったり、明日からまた頑張ろう!と思えるような映画を私はつくっていきたいと改めて思いました。

農繁期で忙しい宮下さんと文代さんは見に来られませんでしたが、

今度ゆっくり見てもらいたいなあと思いました。

帰りに宮下さんのところに寄ると、

枝豆、とうきびなど、とれたての野菜をいただきました。

本当に美味しいです。

宮下さんのつくる野菜は。

信級日記 vol.21

令和元年 7月4日

さぎり荘を出発し、会場のミュゼ蔵へ。

お昼を過ぎると続々とお客さんがやってきた。

吉澤さんが左腕をつってきてくれた。

私はまさか来てくれるとは思っていなかったのでびっくりした。そして嬉しかった。

ひとしきり事の顛末を吉澤さんが話す。

夜に救急車で長野市まで運ばれ、診察を受け脱臼だったので帰ってくださいと言われたそう。夜遅かったので誰も迎えにきてもらえず、タクシーで帰ってきたとのこと。

「高い酒になったよ」と吉澤さん。

「いやー、とにかく脱臼で済んでほんと、よかったわー」

左腕が使えなくて不自由だけど、元気でよかった。

イチローさん、ゆみこさん、ちほちゃんも見にきてくれた。

赤ちゃんを連れたお母さんの姿もあった。

30人ほどの会場だったが、ほぼ満席になった。

冷房を入れてもらい、扇風機も回した。

西川さんが挨拶をして上映が始まった。

私は後ろの方から見ていた。

みんな集中してみていた。時々笑いもあり、私はホッとした。

上映後、休憩を挟んで、輪になって座り質疑応答。

夫婦の会話が面白くて笑ってしまった、

共働学舎の生活が見られてよかった、など

いろんな感想、質問があって面白かった。

イチローさんは、聡美さんとあかりの畑のシーンを見て、

「自分の母親もあんな風にして自分を育ててくれたんだなあと思った。」

というようなことを言った。

親子で見にきてくれた信州新町の方。

近くの町から見にきてくれたご夫婦。

映画を楽しんでもらえて、本当によかった。

西川さんもとても嬉しそうだった。

打ち上げは、西川さん行きつけのひはら食堂でやった。

15人ほどの人が参加。

ジンギスカンがとても美味しかった。

西川さんの娘さんと娘さんのお友達、心一朗くんも参加。

楽しいひと時でした。

ハプニングがあったけど、無事2回目の撮影を終えることができた。

ああ、よかったー。

信級日記 vol.20

令和元年 7月3日

長野駅から車に乗り、信級へ向かう。

東京で腰の治療をして、痛みがだいぶ軽減した。

よかったー。

途中、信州新町のミュゼ蔵(4日の上映会場)に寄って、会場のセッティング。

西川さんが頑張ってすでに機材をつないでいて、あらかた準備は整っていた。

入り口に遮光のための布も付けられていた。

薄いけど遮光もできてなかなかいい感じ。

カナタの加藤さんに借りたとのこと。

よかった。

暑くなった場合は冷房をつけてもらえるよう、係の人にお願いした。

それから、扇風機も回そうかということになった。

私は画と音を出して、調整をした。

なかなかいい上映会場になってホッとした。

そして私は植野家のキャビンに戻り、ゆっくりと荷物を積み込み、さぎり荘へ移動。

あと二日、無理をしないようにして、さぎり荘に宿泊することにした。

温泉もあるし、とにかく養生しようと。

信級日記 vol.19

令和元年 7月1日

腰がかなり痛い。

寝ていても痛い。

でもとにかく、羽田さんのインタビューはなんとか頑張ろう。

9:30 とてもじゃないけど、キャメラバックを持つことができないので、

三脚も植野くんに持ってもらって羽田さんのお宅へ向かう。

羽田さんは、にこやかに迎えてくれて、仏間に通してくれた。

相変わらずビシッと綺麗なお家。

植野くんに機材を運んでもらって、キャメラをセッティング。

板の間に座ってのインタビュー。

大工の仕事のこと、小学校のことなど植野くんは聞いていた。

そして合間にこれから信級でこうしていきたいということなど、自分の考えも羽田さんに話していた。

なかなかよかったのではないかと私は思った。

私は腰が痛くて、座る態勢を変えるのに一苦労だった。

インタビューが終わり、茶の間で文子さんがお茶を入れてくれた。

そこでまたタケノコの煮物、ブルーベリーなどをいただきながらお茶飲み話。

植野くんは文子さんと話をするのは初めてとのこと。

こういう感じで、植野くんや浅野さんにインタビュアーになってもらって、これからも信級の人たちにお話しを聞いていきたいと思う。

なんとか無事に撮影を終えてホッとした。

羽田さん宅を後にして、植野家に戻る。

機材を降ろしてもらい、私は腰の治療に東京へ向かった。

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