2008年10月4日。 福井県福井市のビニールハウスの中で「空想の森」上映会。 40人のお客さんが見にきてくれました。 笑いやどよめきも随所で起こり、なかなかいい雰囲気の上映会でした。 企画してくれ玉井さん、義元さん、ありがとうございました。
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2008年10月4日。 福井県福井市のビニールハウスの中で「空想の森」上映会。 40人のお客さんが見にきてくれました。 笑いやどよめきも随所で起こり、なかなかいい雰囲気の上映会でした。 企画してくれ玉井さん、義元さん、ありがとうございました。 義元孝司さん 2008年10月4日 福井県福井市黒丸町で農業を営む 義元孝司さんのビニールハウスの中で上映会をしました。 とっぷり日が暮れた午後6時半過ぎ、上映は始まりました。 虫の声もやんわりと聞こえるいい月夜でした。 ブドウ棚の下に、ブルーシートをしき、そこが客席でした。 40人ほどの方が集まってきました。 中には農業をしている方も多く、 おしゃべりや、どよめきや笑いのある上映会でした。 私を招いてくれたのは、「よろず道楽研究所」の所長の玉井道敏さん。 農業、米パン、ブドウもつくっていて、いづれは肉牛もやりたいという義元孝司さんでした。 私は玉井さんのお宅に2泊お世話になりました。 奥さんの美喜子さんとも色んな話をして、とても楽しかったです。 美喜子さんの手料理はおいしかった。 「会わせたい人が色々いるから。」と玉井さん。 上映翌日は一日車で私を色んな方に会わせにまわってくれました。 福井県の農林水産部の森本照美さんのお宅を訪ねました。 彼女の家で、若狭湾でとれた鯖で 昔ながらの方法でつくった「へしこ」を食べさせてもらいました。 鯖を塩漬けしてから、米ぬかにつけるここの昔からの食べものです。 この方法でつくっているのは、今では一軒だけだそうです。 現在は、若狭の近海で鯖がすっかりとれなくなってしまったこともあるそうです。 「打ち豆」といって、大豆をつぶして食べることも教えてくれました。 森本さんのお宅では、彼女のお父さんが、石臼で大豆を打つのだそうです。 それを味噌汁に入れたり、煮物に入れたりして食べるのだそうです。 「地がらし」も福井県で作られているものです。 少し分けてもらいました。 山の方で、6人ほどで自給自足で暮らしている 「萌叡塾」の谷崎さんを訪ねました。 製材所だった建物を改装した大きな家。 喫茶室は素敵でした。(cafe手の花) コーヒーは自家焙煎で道具は銅製品を使っていて、ほんといい空間でした。 私もそこでコーヒーを淹れたいと思いました。 ここでは6人が農業をしながら好きな手仕事をして暮らしていました。 目の前の田んぼで米をつくっています。 鶏は平飼い、ミツバチの箱も5箱ありました。 ビールもつくっていました。 燻製小屋もありました。 「毎日の食事こそおいしいものを食べたい、手を抜きたくないんだよね。」 と谷崎さん。 […] 13回目のShintoku空想の森映画祭は9月15日無事に終わりました。 私にとっては忘れられない映画祭となりました。 第一回目のこの映画祭にお客さんとして参加して、初めてドキュメンタリー映画をスクリーンで見ました。ドキュメンタリーって何て面白く豊かなんだろうと思ったのでした。 そして、大人たちが心底楽しんでいる姿に、こんな大人もいるんだ、世の中捨てたもんじゃないと思ったものです。 この映画祭がきっかけとなり、映画祭を立ち上げたドキュメンタリー映画監督の藤本幸久さんの映画のスタッフとして、2本の16ミリ映画に関わりました。(『森と水のゆめ』、『闇を掘る』)それと同時に空想の森映画祭のスタッフとして、映画祭をつくってきました。 映画祭では、仲間と共にやりたいことをずいぶんやってきました。大変な思いもしましたが、本当に面白かったです。 1996年、一回目の空想の森映画祭で初めて見たドキュメンタリーは「阿賀に生きる」です。私と友人3人で、上映実行委員会を立ち上げ(ブラボー!茂の会)『阿賀に生きる』の上映会を開催し、キャメラマンの小林茂さんをお招きしました。音更町文化ホールに250人を集客しました。 そして引き続いて、帯広の藤丸デパートで5日間、小林さんの写真展「ウガンダに生まれて」も開催しました。 2002年、私自身が映画をつくることになりました。7年間の格闘の末、 2008年3月、ようやく『空想の森』は生まれてきました。 今年、これをやっと、新内ホールでスタッフと共にお披露目することができました。 会場はお客さんで埋め尽くされました。私は見ている間じゅう涙が止まりませんでした。撮影の時のこと、撮影ができなかった2年間のこと、編集の時のこと、スタジオでのダビングの時のこと、パンフレットをつくっていた時のこと、英語字幕の作業の時のこと・・・色んな思いが蘇ってきて泣けました。 スタッフ3人にとっても、今回の映画祭は特別でした。私たちにとって、別れと旅立ちの卒業式のようなものでした。これから3人、それぞれの道を歩いていく、その出発の日でした。 私たちが映画と格闘した7年間はしっかりと作品に刻み込まれています。録音の岸本君、撮影の一坪君は、これからも一生私の大切な仲間です。私はかなりさみしかったけど、笑って別れることができてよかったです。 私は『空想の森』と、それを支えてくれたすべての人と共に、歩き出します。 映画ができてから、上映を通して様々な人たちと出会いました。そして色んなことを考えさせられています。 こんな人も出てきました。東京のポレポレでこの映画を見た人が「自分の町で、『空想の森』の上映会を仲間といっしょにぜひやりたい。」と私に連絡をくれました。 かつて私が『阿賀に生きるを』見て仲間と上映会をしたように。 こんな嬉しいことって他にはありません。 田代陽子 左より、フォン監督、藤岡朝子さん、山本監督、イム監督、私。 今日名古屋から帰ってきました。 あいち国際女性映画祭に参加してきました。 至福の時を過ごしました。 同じように映画をつくっている人たちと語り合い 友達になり、勇気と力をもらいました。 山本監督、泉監督、大森監督、・・・ 中国のフォン監督、韓国のイム監督、デンマークのナターシャ監督、 そしてソウル国際女性映画祭のへギョンさん、シンガポールの女優アリスさんなどなど。 みんなそれぞれのフィールドで映画と自分自身と向き合っているのです。 私もまたがんばるぜ! 「空想の森」は超満員。せっかく見にきたのに、入れない人が 沢山いたのが残念でなりません。 が、名古屋のシネマスコーレで上映が決まりました。 反応はとてもよく、笑いも随所におこりました。 質疑応答も時間が足りなく、別室を用意してくれて 見てくれた客さんとお話をしました。 見に来てくれた方々、映画祭スタッフの方々、本当に ありがとうございました。 名古屋の皆さん、シネマスコーレでお会いしましょう。 今回、味噌カツ、味噌煮込みときしめんを食べられなかったので、 またチャンスができてよかったです。 嬉しくてたまりません。 田代陽子 2008 9/3〜9/7 2008年9月、あいち国際女性映画祭2008に招待される。 9月6日、ウィルホール大会議室にて上映。 約400人のお客さんがやってくる。 上映前、急遽、椅子を増やし並べた。 会場は満員で入場できない人も多数。 左から、司会の人、フォン監督、私、山本監督 上映中の反応はとてもよく、上映後の質疑応答も沢山の質問が出て時間が足りなかったほど。 別室を用意していただき、観客の方々と色んなお話ができてとても楽しかった。 |
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