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風のたより その53 高崎からの風

高崎市民測定所クラシルから、この一年の報告のお便りがきた。

2012年4月21日に開設。

それから、930検体の測定をしたそうだ。

そして「放射能との付き合い方」藤村靖之先生(非電化工房)、

「放射能に克つ農の営み」野中昌法先生(新潟大学)の講演会を主催。

これからも、講演会や勉強会、そして食や農やエネルギーの自給など、

原発に依存しない社会をつくるための暮らしのネットワークづくりをしていきたいと締めくくられていた。

竹渕さん、甲田くん、岩田さんなどなど、高崎のみんなの顔が浮かぶ。

 

 

風のたより その52 大沼にて

裁判の翌日。

野村さんといっしょに大沼へ行った。

山田農場ではユウサクとコウサクが、スキーをして遊んでいた。

ハルサクはバケツを持ってお母さんのお手伝い。

 

 

 

あかり農場へ。

久しぶりに聡美さんと会った。

あかりも日菜も元気だった。

ちょっとのつもりが夕食までごちそうになった。

聡美さんはすっきりしていた。

それがとても嬉しかった。

 

ここで生きてるぜ!っていうような感じ。

意見陳述 

先日3月15日の大間原発裁判の野村保子さんの意見陳述をアップさせていただきます。

 

意 見 陳 述

私は「大間原発訴訟の会」で運営委員をしています。

私は訴状第10章、第11章に関連して意見を述べます。

大間原発に反対してきて20年以上になります。

私が原発に関心を持ったのは1986年です。

その頃私は、家族に安全で美味しい野菜を食べてもらいたいと無農薬野菜と無添加食品の共同購入をしていました。

そのときの仲間の一人が訴訟の会代表の竹田とし子さんです。

添加物の怖さを知り、農薬や環境問題の勉強をしていたとき、旧ソ連のチェルノブイリ原発で事故が起きました。

1986年4月26日、チェルノブイリ原発は暴走して爆発し、国際原子力事象尺度でレベル7の事故を起こしました。

広島原爆の約800倍の放射性物質が北半球全体に広がり、8000キロ以上離れた日本にも放射能が飛んで来ました。

無農薬野菜は野菜を作る前に土を作ります。

農薬を使わず手で雑草をとり何年もかけて作った堆肥をすき入れて丁寧に育てた土が、

たった1度の放射能で取り返しのつかない惨事になることをチェルノブイリは教えてくれました。

日本に飛んで来た放射能が母乳に含まれていたことが発表され、日本中のお母さんが恐怖の中につき落とされました。

また輸入されたイタリア産スパゲッティやブルガリア産のイチゴジャムなどから放射能が検出され、大騒ぎになりました。

放射能に汚染された食品が私たちの暮らしの中に入って来る恐さです。

今、福島原発からの放射能汚染が問題になっていますが、

原発が事故を起こしたら暮らしが立ち行かなくなることをチェルノブイリで学んだはずです。

その放射能を今、日本が世界にまき散らしているのです。

その後、市民グループが開く講演会で、高木仁三郎さんや広瀬隆さんのお話を聞き、原発と核の怖さを勉強させていただきました。

そんなとき対岸の大間原発の建設計画を知り「ストップ大間原発南北海道」の立ち上げに参加しました。

ここ函館から、晴れた日には津軽海峡を挟んで大間が見えます。

「こんなに近いところに原発ができるんだ」と思いました。

函館空港と函館駅をつなぐ「漁り火通り」は、津軽海峡沿いにあり、夜にはイカ釣りの漁り火が瞬く美しい光景が見られます。

通勤でその道を通る度に、建設途中の大間原発にMOX燃料が入ったら、

あそこにプルトニウムが存在する、その恐怖をいつも感じていました。

また、大間原発は冷却のために海水を必要とします。

その海水を7度も上げて、1秒間に91トンの温排水として津軽海峡に流します。

大間のマグロ、函館のイカなど味覚の宝庫、津軽海峡が汚されてしまうのです。 5月から7月にかけて津軽海峡は霧が立ちこめ、函館でも前が見えなくなるほどの濃い霧になることがよくあります。

2008年7月6日、青森朝日放送のチャーターしたヘリコプターが、青森県大間崎沖で行方不明になりました。

翌々日、大間崎沖に墜落していたことがわかり、4人の方が亡くなられました。

ヘリコプターは濃い霧の中で方向感覚を失い正常な飛行ルートから外れていたことがレーダーから分かりました。

もし先の見えない濃霧の中で、ヘリが完成した大間原発に突っ込こむなどということがあれば大惨事です。

一瞬のうちに原子炉の破壊とヘリコプターの燃料による火災が起き、

こわれた炉心から放射性物質が環境に放出されます。 また、国際海峡である津軽海峡は外国船が多く航行します。

プルトニウム燃料を積んだ船が衝突事故などでプルトニウムごと津軽海峡に沈んだら放射性物質は海から世界にばらまかれます。

下北半島の大間町から130キロメーターの距離にある三沢には米軍基地があります。

基地では緊急発進の訓練が日常的に行われています。

2012年、昨年の7月22日、三沢基地から飛び立った米軍のF16が北海道沖に墜落しました。

三沢基地周辺では自衛隊、及び米軍の墜落事故や不時着事故が多発しています。

原発事故が起きる可能性も含めて、気象条件や飛行機事故など、いつ原発に何が起きるのか不安な日々をおくるなんてどうしても嫌だ、

子ども達の未来を奪う原発を建てさせたくないと強く思うようになりました。 勉強のために講演会を開き、函館とその近郊から市民視察団を集めて大間町の原発敷地を見学するなどの活動をしてきました。

しかし、とうとう2008年4月、大間原発建設許可が出されました。

2010年7月28日、大間原発を止める訴訟を起こしました。

私は訴状の第10章の第2を担当させていただきました。

「原発解体の問題点」と題して、原発から出る放射性廃物と廃炉の問題を取り上げました。

廃炉について勉強すればするほど、大きな問題があることを知りました。

[…]

撮影報告 その175 第9回大間原発訴訟

2013年3月13日。

3月15日、9回目の大間原発の裁判の撮影のため、函館へ向かう。

今回も野村家に宿泊。

 

2013年3月14日。

明日の裁判に向けての弁護団会議。

 

3人いる裁判官の内の一人が女性に変わったとのこと。

そのこともあって、女性三人に意見陳述をしてもらうことにした。

と弁護団の森越弁護士が言った。

 

菅野真知子さん、上田桂さん、野村保子さん。

意見陳述の原稿の読み合わせして、みんなの意見を聞く。

菅野さんが大間訴訟の会代表の竹田さんの友人で千葉県からやってきた。

上田さんは2回目の意見陳述。

 

弁護士のプレゼンは、只野弁護士の「地震と地震動と応答スペクトル」について。

 

そして、これからどのように裁判を進めていくかの話し合い。

 

 

2013年3月15日。

午前中、意見陳述の修正をするために、菅野さんが野村家にやってくる。

菅野さんと野村さんの陳述を読み合って、最終チェック。

 

お昼前、三人で函館弁護士会館へ。

傍聴に来た人、取材する人たちが今までで一番少なかったように思う。

みんなが裁判所へ入るまでを撮影。

毎回撮っているので、今回は三脚を立てて引き気味に撮った。

いったんキャメラを弁護士会館においてから、抽選に行った。

2回目の抽選で傍聴券が当たった。

 

新しい裁判体になって2回目。

政権が変わって初めての裁判だ。

 

傍聴席は満席。

今回はほとんどの人が中に入れた。

私は一番後部中央の席に座った。

開廷前に2分間、報道の写真撮影がある。

今回は1社。

シャッター音が法廷内に響いた。

菅野真知子さん

すぐに意見陳述が始まった。

トップバッターは菅野さん。

なぜ千葉に暮らす自分が大間原発を止めてほしいのかを訴えた。

 

間もなく、バーの向こうの原告席の森越弁護士が私を見て何かゼスチャーしている。

声が聞こえるか?ということだった。

[…]

風のたより その51 3月11日

昨日は猛烈な西風。

吹き溜まり、わんさか。

ホワイトアウトすることもしばしば。

天気はよかったが、車を走らせると嵐だった。

 

2013年3月11日。

もう二年が過ぎたのかと思う一方で、

まだ二年しかたっていないのに、と思うことも多々。

 

この二年間。

色んな土地へ行き、たくさんの人に会い、様々なことを感じ、

記録してきた。

出会った人たちの顔が次々思い浮かぶ。

それぞれの場で、今を一生懸命生きているのだろうな。

私も頑張らねば。

 

3月下旬あたりに、最後の撮影をする。

一坪キャメラマンを呼んで、洞爺湖・ラムヤートで。

先日、オーナーのマスキくんと話したら、意気揚々としていた。

新しい窯も完成し、おいしいパンが焼けているらしい。

いい撮影をしたい。

 

その前に、15日は函館地裁で大間原発の裁判に行ってきます。