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ブリュッセルにて その4

2018年4月21日。

シネマノバでの上映の日です。

夜8時からの上映でした。

私とニコラは4時頃に劇場入りしました。

ノバは毎日映画をやっていません。

非営利の団体で、スタッフで協力しながら映画館を運営しています。

質の高い良い映画をみんなで選んで上映している映画館です。

企画を立てて、大体は週末の夜の営業です。

今回は日本の山形国際ドキュメンタリー映画祭特集です。

「風のたより」のほかに、

「ニッポン国VS 泉南石綿村」、「選挙に出たい」、「獨自存在」、「MACHINES」、

「あまねき調べ」などを上映しています。

まず、ニコラが劇場を案内してくれました。

とても素敵な劇場でした。

映写室も見せてくれました。

映写はデニスが担当です。

地下にはバーがあります。

これまたとてもかっこいいバーです。

マリクレアーがバー担当です。

彼女はイギリス人。

今夜の食べ物はアフリカの料理。

結構ボリュームがあります。

ニコラは私にドリンク券・食事券を渡してくれました。

早速ベルギーはブリュッセルの地ビールをいただきました。

ホント、ビールが美味しいところです。

そして、劇場に戻って画と音のチェック。

なかなかいい感じで、上映は楽しみです。

そして外の道路に面したところにポスターを貼ったり、看板を出したり。

私も一緒にポスターを貼っていました。

すると、風のたよりのポスターの前に立ち、じっと見ている青年がいました。

「この映画、今夜上映しますよ。」

と私は英語で話しかけました。

すると、

「この映画館、前から気になっていたのだけど、一度も入ったことないんだ。

この映画はどんな映画なの?」

と彼は私に尋ねました。

とても澄んだきれいな瞳の青年でした。

私はこの青年に見てもらいたいと思い、一生懸命英語で説明しました。

優しい彼は、「いいよゆっくり話して」と言ってくれたのですが、

私はニコラに助けを求め、フランス語で説明してもらいました。

ひとしきりニコラの説明が終わると、

「ワーオ、君がこの映画をつくったの?僕はラッキーだ。つくった人に会えるなんて」

というようなことを私に言いました。

「そうよ。あなたはラッキーよ!だからぜひ今夜観に来てね。」

と私は言いました。

「うん、見にくるね!」

といって彼は劇場を後にしました。

ヤマガタ映画祭の上映記念につくった「風のたより」手ぬぐいも受付に並べました。

キリよく10ユーロにしました。

今夜、日本語とフランス語の通訳をしてくれるアヤさんもやって来ました。

彼女も映画をつくっている人です。

そうこうしているうちに、お客さんも来はじめ、上映時間になりました。

あの瞳の綺麗な青年は本当に来てくれました。しかもカッコイイ弟を連れて。

私は一番後ろの席に座り、みんなと一緒に見ていました。

ああ、やっぱり劇場でみるのは最高だなあ。としみじみ思いました。

みんながすごく集中して見てくれているのを感じました。

後半が始まって半分くらいの時、あの兄弟が私のところにきて

「残念だけど、帰ります」

と言いました。

劇場の外に私も出て話してみると、

「出てくる人たち、動物が素晴らしい。僕は大好きこの映画。最後まで見られないのが本当に残念だけど、終電に乗らないと家に帰れないから。」

と彼は言った。

「えー、泊まっていけばいいのに。」と私。

「とても残念だから、今度また上映するときに連絡しますね。」と言って、

メールアドレスを交換しました。

そして記念に手ぬぐいをプレゼントしました。

映画が終了したのは夜11時過ぎ。

確かに終電なくなるわ。

ニコラが、私がブリュッセルに来たことを、僕たちのギフトだと言ってくれました。

私こそ、上映していただいて、きめ細かくもてなしていただいて、ここでの上映は私へのギフトだと思います。

そして質疑応答をしました。

どんな風に撮影をしたのか、

上映はどういう風にやっているのかなど、

結構質問が出ました。

そして自主上映をやりたい人がいたらぜひ声をかけてくださいということも言いました。

フランス語で通訳してもらい、きちんと伝えられて嬉しかったです。

ニコラをはじめ、ノバのスタッフの方々、

ミクちゃん、マリエーブ、アリス、本当にありがとうございました。

またブリュッセルで上映ができますように♪

ブリュッセルにて その3

ミクちゃん、クリスタフご夫妻にもとてもお世話になりました。

街を案内してもらったり、お家でご飯をご馳走になったり、楓くんの演劇の発表会に誘ってくれたり・・・。

普通の旅ではできない貴重な経験をさせていただきました。

近所の教会

毎日開催されている蚤の市

音楽学校の前にて

街中では建物の壁にこのような絵がよく描かれていました

この日は裸だったしょんべん小僧

グランパレスにて

ピエールマルコリーニ

ミクさんはここのチョコが一番好きだそうだ。

ミクさんが働いているカフェ

とても美味しかった!

この店で私は野菜の種を買いました

マーケットでシェーブルを買いました。

私の滞在しているアパートの隣のお店

楓くんの演劇の発表会

劇場で3日間、普通に公演をしました。

初日だけ保護者や関係者のみのお客さんでした。

クリスタフが夕食を作ってくれました。

ミクちゃんは、彼の味付けはまずいからね、と私に言っていましたが、

とても美味しかったです。

ブリュッセルにて その2

滞在中、ニコラは私を気にかけてくれて、毎日メールをくれました。

ある日、彼の娘のELEONORE(エレオノル)を連れて、私を公園に連れて行ってくれました。

公園の中のカフェで奥さんのMAELLE(マエル)と合流して、とても楽しいひと時を過ごしました。

エレオノルは「私は一人になりたい。」と言って、どんどん私たちから遠く離れて歩いて行ってしまいます。

見えなくなるところまで行ってしまったので、ニコラが追いかけて連れ戻して来ましたが、「一人になりたい」と泣いて訴えます。

なんでも一人でやりたがる自立心の強い子です。

マエルはとてもキュートで魅力的でな人でした。

ピアニストで子供にも教えているそうです。

もっと英語が話せたらどんなによかったのに・・・とホント思いました。

ニコラとマエルは7年前に日本を旅をしたそうです。

だから少しだけ日本語が話せて、カタカナも書けます。

今度日本に来るときは、ぜひ私が北海道を案内したいと思います。

ブリュッセルにて その1

少し時間が経ってしまいましたが、ブリュッセル・シネマノバでの「風のたより」の上映の時のことを記します。

自分の作品が初めての海外で上映されることになりました。

しかもベルギーで。

なんだかそれも嬉しかったです。

ヤマガタ国際ドキュメンタリー映画祭で見てくれたnicolas(ニコラ)から連絡があった時は、本当に嬉しかったです。

ブリュッセルはフランス語圏。でも多くの人は英語も普通に使っています。

やり取りは当然英語。

四苦八苦しながら、翻訳ソフトも使いながらのメールでのやり取りでした。

それでも、ヤマガタで会って話をしているので安心してやり取りができました。

学生の時に、私は英語なんてできなくったって生きていけると強く思っていました。

でもやはり、概ね英語が共通の言語である以上、できた方が何百倍もよかったなあと、今実感しています。

だっていろんな話をしたいですもん。突っ込んだ話があまりできないのがものすごく残念なのです。

2018年4月18日。

空港に到着すると、ニコラとミクちゃんが迎えに来てくれました。

ニコラがチョコとノバのプログラムをプレゼントしてくれました。

ミクちゃんは、私がお世話になるお宅の下の階に住んでいる人で、時々、シネマノバの手伝いもしているそうです。

「昨日まで寒かったのに、今日からいきなり暑くなったんですよ。」

とミクちゃんとニコラが言いました。

この日から私がブリュッセルを去る日まで、記録的な夏日が続きました。

この時期には珍しいことだそうです。

「ヨウコが太陽を運んできたみたいだね。」とニコラ。

「ヨウコのヨウは太陽の陽なの。だからだね。」と私。

今回の6日間のブリュッセル滞在は、ホテルではなく、ニコラの友人のお家にお世話になりました。ニコラが全てをアレンジしてくれました。

ベルギーの人ってどんな気質なのか、どんな風に暮らしているのか、見てみたかった私にはニコラのその配慮がありがたく嬉しかったです。

ブリュッセルの中心地から歩いて30分ほどのアパートのペントハウス(最上階)に、アリスと子供二人とマリエーブと子供一人の二世帯の家族が暮らしています。

マリエーブが子供の父親の家にしばらく行くので、空いたマリエーブの部屋に私が泊まらせてもらうことになりました。

ペントハウスは2階建てで、上の階に私が貸してもらう部屋と子供たちの部屋、そしてバス、トイレがありました。

とても明るくて、窓からは街が見渡せる眺めのいい部屋でした。

ヨーロッパって感じの眺めです。

下の階に二つの部屋と大きなリビングとキッチン、ベランダがありました。

とても快適な家でした。

アパートの目の前にはバーがありました。

暑いのもあって、みんなビールを飲んでいます。

それだけで心踊りました。

この日から私は毎日ここでビールを飲みました。

このバーは素敵な老夫婦が経営していて、ビールの値段も安く、そしておつまみをサービスで持って来てくれるんです。

ここで飲むのが一番でした。

わりと古いアパートなのでエレベーターがありませんでした。

5階まで登って行かなくてはいけません。

ニコラが重たいスーツケースを運んでくれたのはありがたかったです。

ベランダで子供たちが裸ん坊で水遊びをしていました。

アリスの子供の他、近所の子供も一緒に遊んでいました。

マリエーブが部屋を案内してくれました。

「自由に使ってね。」と、そのまんま私に貸してくれました。

そして1階の鍵と部屋の鍵、下の階のみくちゃんの部屋の鍵も渡されました。

滞在中、貸してもらった部屋と、ミクちゃんの家を使わせてもらうことになりました。

ミクちゃんとクリスタフには、アントワーンと楓くんの二人の男の子がいます。

高校生と中学生です。二人ともとっても魅力的な子でした。

次男の楓くんは結構日本語が話せます。

日本の漫画が大好きで読んでいるからだそうです。

ある日、私が家に入るために通りに面したドアの鍵を開けていると、

「yoko!」と呼ばれました。

振り返るとクリスタフがビールを飲んでいました。

そして私も一緒にビールを飲み始めます。

近所に住むクリスタフの友だちが通りかかると、一緒に一杯飲んだりします。

彼も映像の仕事をしていた人で、今は映像理論を教えることができるように大学に通っています。

よく喋る愉快な人ですが、とても繊細な面もあります。

私がテーブルにキャメラを置いたりしてると、

「ヨーコ、ここはいいけど町の中心地に行ったら気をつけるんだよ。」

とか、「ほらほら、カバンのチャックがあいているよ。」

と注意してくれます。

でも幸い私は一度も危険な目にあいませんでした。

私はクリスタフに

「ほらまた、社会の窓が開いてるよ」

と注意していました。

彼と撮影や映像の話をしてとても刺激になりました。

英語なのでなかなか難しかったのですが、私がその単語わからないと言うと、

一所懸命私が理解できる単語を使って話してくれました。

クリスタフもフランス語が母国語で英語は第二外国語なのですが。

着いた日の夜は、近所の食堂 LA BOULE D’ORでニコラ、ミクちゃん家族、ミクちゃんの友人のサチコさんらと夕食を囲みました。

ベルギービールを飲みながら、本当にブリュッセルにやって来たんだなあと実感しました。

ベルギーの人ってあたたかいなあって思いました。

そしてこれからの6日間が楽しみでなりませんでした。

土曜の午後に

時々行く焼肉屋の斜め向かいにその店はあります。

パッと見ではなんだかよくわからないけど、素敵な店です。

よく行く蕎麦屋の通りでもあったので、ある日店に入ってみると、

やっぱり素敵な店でした。

日本でまじめにつくられているモノを売っていました。

店主の方が、また素敵な若者でした。

私は時々お店に行くようになりました。

「一本向こうの通りにウチとテイストは違うんですけど、この店と同じ頃にオープンした雑貨とカレーの店があるんですよ。こういう感じで、店が増えていってくれるといいなあと思っているんです。」

この辺り、なんだかいい感じにお店をオープンする人が出てきているんだなあと思い、

その店に行ってみました。

中に入ると、奥から店主らしき若者が出てきました。

彼は私を見ると、

「タシロさんですよね。ボクをおぼえていますか?コータです。高校生の時、映画祭を手伝った・・・」

「えー!あの時の高校生の?よく私をおぼえていたねー!」

と私。

20年くらい前、私たちがまだ30歳になったくらいの頃でした。

その頃の私たちは、毎年、新得空想の森映画祭をバリバリやっていました。

映画の選定、ワークショップの開催、ライブの開催などなど、かなり盛り沢山なことをやっていて、いつも人手が足りていませんでした。

そんなある年、地元の高校生たちが15人くらい映画祭をがっつり手伝ってくれたことがありました。

コータ君のことはおぼえてはいませんでしたが、素晴らしい高校生たちでした。

コータ君は高校を卒業して、海外をめぐり、そして地元に戻ってきて、雑貨・カレー屋をオープンしたのでした。

お店の内装も自分でやったそうです。

そして、映画の上映会もお店で開催したりしています。

すごいなー。頑張ってるなー。

次はカレーを食べに来ようと思います。

とても嬉しくなった土曜の午後でした。